アメリカ合衆国
November 04, 2006
アメリカへ9
Y君と別れてアラスカ航空でニューアーク空港へ戻る。帰りは疲れていたせいであろう食事や飲み物もとらずぐっすりと眠った。空港からニューヨークのホテルまではスムースに帰ることができた。電車の乗り降りもだいぶ慣れてきたが、明日はいよいよ帰国である。
ステーショナリーショーが最終日のためI君とTさんそしてOさんはブースの片付けで午後から大変であったろうと思う。二人と夕方ホテルで合流し、4日間の状況を確認する。和風カードは日本に戻ってもう一度企画をやり直すことにする。
Oさんは荷物があるので一旦ニュージャージーの自宅へ戻りPM7時にホテル前で落ち合うことにしたという。
疲れを取るため日本であれば一風呂浴びてさっぱりするかということになるが、ニューヨークでは一風呂というわけにはいかないので、シャワーを浴びてさっぱりする。
ここのシャワーの水圧は強すぎる。肌に当たると痛いくらいである。それを逆手にとって肩に当ててマッサージ代わりにする。打たせ湯気取りで、最後のアメリカでの食事をどうするか思案する。明日は日本へ帰るので、ここは1つアメリカのステーキとやらをガツンとやっつけるかと考える。アメリカのステーキはどこで食べても固くて大味であるが、国民食なので最後の夕食くらい敬意を表するかという気持ちである。
Oさんと7時に落ち合い4人でステーキハウスに繰り出す。ここまで来たらデカイやつをやっつけるぞという気持ちでTボーンステーキを注文する。I君が無謀だからやめたほうがいいという。どうも前回のように少し食べてくれといって押し付けられるのではないかという不安からのようだ。
大丈夫だと大見得を切って大きなTボーンに食らいつく。朝から何も食べていないせいか意外にスムースに腹の中へ収まる。どうだ見たかというようにI君を見ると本当に食べたんですねという顔をしていた。
食事の後Oさんと別れ、ホテルに戻って帰国の準備をする。何度かアメリカには来たが、不思議と私は時差ぼけが無い。強行軍であったが、今回もほとんど時差ぼけにならず無事に帰国の途につけそうだ。
それにしても海外で事業を展開する難しさをしみじみ感じた渡米であった。
ステーショナリーショーが最終日のためI君とTさんそしてOさんはブースの片付けで午後から大変であったろうと思う。二人と夕方ホテルで合流し、4日間の状況を確認する。和風カードは日本に戻ってもう一度企画をやり直すことにする。
Oさんは荷物があるので一旦ニュージャージーの自宅へ戻りPM7時にホテル前で落ち合うことにしたという。
疲れを取るため日本であれば一風呂浴びてさっぱりするかということになるが、ニューヨークでは一風呂というわけにはいかないので、シャワーを浴びてさっぱりする。
ここのシャワーの水圧は強すぎる。肌に当たると痛いくらいである。それを逆手にとって肩に当ててマッサージ代わりにする。打たせ湯気取りで、最後のアメリカでの食事をどうするか思案する。明日は日本へ帰るので、ここは1つアメリカのステーキとやらをガツンとやっつけるかと考える。アメリカのステーキはどこで食べても固くて大味であるが、国民食なので最後の夕食くらい敬意を表するかという気持ちである。
Oさんと7時に落ち合い4人でステーキハウスに繰り出す。ここまで来たらデカイやつをやっつけるぞという気持ちでTボーンステーキを注文する。I君が無謀だからやめたほうがいいという。どうも前回のように少し食べてくれといって押し付けられるのではないかという不安からのようだ。
大丈夫だと大見得を切って大きなTボーンに食らいつく。朝から何も食べていないせいか意外にスムースに腹の中へ収まる。どうだ見たかというようにI君を見ると本当に食べたんですねという顔をしていた。
食事の後Oさんと別れ、ホテルに戻って帰国の準備をする。何度かアメリカには来たが、不思議と私は時差ぼけが無い。強行軍であったが、今回もほとんど時差ぼけにならず無事に帰国の途につけそうだ。
それにしても海外で事業を展開する難しさをしみじみ感じた渡米であった。
October 17, 2006
アメリカへ8
彼が案内してくれたのは何と回転寿司屋であった。最近ではシアトルでも大変人気があるという。その言葉通りまだ早い時間であったが、店はすでに満席状態であった。15分くらい店の中で待ち席に座る。私はビールを頼んだが、彼は水でいいという。「おい、どうしたんだ。あれほど酒が好きでよく一緒に飲み歩いたじゃないか?今日は積る話もあるし飲み明かそうと思っていたんだぞ」そういうと彼は「悪いな。実は酒を止めたんだ。」とポツリと言った。
どうも様子が変だと思っていた。自宅で家族を紹介してもらい夕食を一緒に食べるのかと思っていたのだが、二人でカウンターの前で回転寿司をつまんでいる。彼から今までの状況や家族のことを残らず聞いたが、ここでは省略させてもらう。
ただ言える事はあれだけ好きだった酒をピタッと止めたというのは、相当な覚悟だと言うことである。
長男は今消防士か警察官を志望して勉強しているとのことであった。アメリカでは消防士と警察官と言うのは命を賭けた職業だという。もちろん日本でもそうであるが、アメリカは日本の何倍も過酷なようだ。
彼の話を聞いていろいろなことを考えさせられたが、酒を絶ち、竹刀を振ってアメリカでも九州男児の意地を見せている彼には敬服した。
私ならすぐにでも日本に逃げて帰りたくなるが、彼はアメリカに踏みとどまり日本男児の気概を見せているように感じた。
回転寿司を握っているのは、ほとんどがメキシコ人だという。カウンターの中のチーフは日本語も上手で寿司屋の意気のいいところを真似ていた。ネタは海が近いせいかなかなか良く、美味しかった。
彼が今日は家に泊められなくて申し訳ないと言って空港近くのモーテルに案内してくれた。
「こういうところもアメリカらしくていいぞ」と言ってチェックインを済ませてくれたが、「おい大丈夫か」というと明日の朝迎えに来るからそれまでゆっくり休んでいろよという。
二人で部屋に入り少し話をして彼は帰っていった。
2階建ての長屋のようなモーテルの窓は簡単に壊せそうだし、ドアも弱そうだ。この場所がどのあたりかもよくわからない。彼が明日何かの都合で来れなかったらどうすんだよ。そんなことを考えていたが、彼が言うようにまあこれも経験だと思うと何だかモーテルに1人で泊まるのも楽しくなってきた。
アメリカに最初に来た時にはYMCAに泊まったが、ここも凄かった。部屋にトイレもシャワーもなく、男性、女性で階が分かれていてその階の奥に共同のトイレとシャワーが付いている。夜にトイレに行くと素っ裸の黒人や白人がうろうろしている。シャワーといってもトイレの横に3つあるだけで更衣室もないのだからみんな裸でうろうろしているのも当然だ。その時のことを考えれば、まあ快適な部屋である。ただ、いつ強盗に襲われても不思議はないような木造の2階建てである。
しかし、いつの間にか朝になっていた。疲れていたのと酔っていたのとで横になったらすぐに寝てしまったのだろう。昨日の心配は全く杞憂であった。私はどこでも良く眠れる。酒が入ればなおさらだ。外を見ると今日はよい天気になりそうである。
しばらくすると彼が迎えに来てくれた。「よく眠れたか」というので「あっという間に朝になっていたよ」と答える。
空港まで彼に送ってもらい、チェックインも済ませてくれたので助かった。二人で軽く朝食をとり別れたが、彼は私の姿が見えなくなるまで見ていてくれた。再会を約束したが、いつ実現するかわからない。強行スケジュールの2日間であったが、大変に有意義な時間を彼と持てたことに感謝をした。
どうも様子が変だと思っていた。自宅で家族を紹介してもらい夕食を一緒に食べるのかと思っていたのだが、二人でカウンターの前で回転寿司をつまんでいる。彼から今までの状況や家族のことを残らず聞いたが、ここでは省略させてもらう。
ただ言える事はあれだけ好きだった酒をピタッと止めたというのは、相当な覚悟だと言うことである。
長男は今消防士か警察官を志望して勉強しているとのことであった。アメリカでは消防士と警察官と言うのは命を賭けた職業だという。もちろん日本でもそうであるが、アメリカは日本の何倍も過酷なようだ。
彼の話を聞いていろいろなことを考えさせられたが、酒を絶ち、竹刀を振ってアメリカでも九州男児の意地を見せている彼には敬服した。
私ならすぐにでも日本に逃げて帰りたくなるが、彼はアメリカに踏みとどまり日本男児の気概を見せているように感じた。
回転寿司を握っているのは、ほとんどがメキシコ人だという。カウンターの中のチーフは日本語も上手で寿司屋の意気のいいところを真似ていた。ネタは海が近いせいかなかなか良く、美味しかった。
彼が今日は家に泊められなくて申し訳ないと言って空港近くのモーテルに案内してくれた。
「こういうところもアメリカらしくていいぞ」と言ってチェックインを済ませてくれたが、「おい大丈夫か」というと明日の朝迎えに来るからそれまでゆっくり休んでいろよという。
二人で部屋に入り少し話をして彼は帰っていった。
2階建ての長屋のようなモーテルの窓は簡単に壊せそうだし、ドアも弱そうだ。この場所がどのあたりかもよくわからない。彼が明日何かの都合で来れなかったらどうすんだよ。そんなことを考えていたが、彼が言うようにまあこれも経験だと思うと何だかモーテルに1人で泊まるのも楽しくなってきた。
アメリカに最初に来た時にはYMCAに泊まったが、ここも凄かった。部屋にトイレもシャワーもなく、男性、女性で階が分かれていてその階の奥に共同のトイレとシャワーが付いている。夜にトイレに行くと素っ裸の黒人や白人がうろうろしている。シャワーといってもトイレの横に3つあるだけで更衣室もないのだからみんな裸でうろうろしているのも当然だ。その時のことを考えれば、まあ快適な部屋である。ただ、いつ強盗に襲われても不思議はないような木造の2階建てである。
しかし、いつの間にか朝になっていた。疲れていたのと酔っていたのとで横になったらすぐに寝てしまったのだろう。昨日の心配は全く杞憂であった。私はどこでも良く眠れる。酒が入ればなおさらだ。外を見ると今日はよい天気になりそうである。
しばらくすると彼が迎えに来てくれた。「よく眠れたか」というので「あっという間に朝になっていたよ」と答える。
空港まで彼に送ってもらい、チェックインも済ませてくれたので助かった。二人で軽く朝食をとり別れたが、彼は私の姿が見えなくなるまで見ていてくれた。再会を約束したが、いつ実現するかわからない。強行スケジュールの2日間であったが、大変に有意義な時間を彼と持てたことに感謝をした。
September 29, 2006
アメリカへ7
タコマ空港の到着ロビーをうろうろしていると大きな声で「おーい」という日本語が聞こえてきた。到着した人を迎える人ごみの中から聞こえてくる。その時私の携帯電話が鳴った。「三浦、Yだよ。いま俺の前を通り過ぎたじゃないか。目の前にいるよ」え、と思い正面を見るとジャンパーを着てY君が手を振っていた。20数年ぶりになるがお互いにすぐわかった。握手をして空港に止めてある車に乗り込むと、彼がシアトルの街を案内すると言って車を走らせた。
ここは日本人が良く来るよと言って案内されたのが、STARBUCKSの発祥店である。
「ここにSTARBUCKSができた時にはみんな馬鹿にしていたよ。50セントのコーヒーを売っているところがほとんどだった時に2ドルのコーヒーを売り出したのだからな。スタンド式で2ドルだよ。だから最初は誰も入っていなかったよ。閑散としていた。それが今ではアメリカだけでなく、日本にもSTARBUCKSの店が溢れているのだから驚きだよ。まあ、本物を出せばいつかは認めてもらえると言うことかもしれないな。」
そう言って店に入っていった。その店はこじんまりして当事のままだという。市場のすぐ前にあるが、あまり目立たない。しかし、今ではちょっとしたシアトルの観光地になって観光客は店の前で写真を撮っている。Y君が撮ってやるよというので、私も店の中で写真を撮らせてもらう。私は普段コーヒーをほとんど飲まないので、味がよくわからないが、アメリカでも美味しいとの評判らしい。また、この店だけ当初のオリジナルロゴを使用しているとのだと聞いた。今はロゴが少しスマートになっているというが私にはあまり興味がなかったので、オリジナルロゴの入ったカップホルダーを捨ててきてしまった。
NYに戻った時、その話をしたらコーヒー好きのI君がもったいないと悔しがっていた。
NY時間では夕方4時頃であるが、4時間の時差があるため、シアトルはちょうど昼時になっていた。朝が早かったのでお腹が空いてきた。ここはキングサーモンが有名なのだというので、二人でレストランに入りキングサーモンのバーガーを食べた。確かに美味しい。パンではなくお米ならもっと美味しいだろうになどと勝手に想像する。
そこから歩いて3分くらいのところにマリナーズの公式店があると言うので覗いてみた。イチローグッズが沢山おいてある。日本人がたくさん訪れると言うので、日本人の店員もいて買いやすい。三女の土産に帽子をひとつ買って店を出る。
Y君が少し郊外に行こうかというので、車に戻る。公園の中にある滝を見物し、高級住宅街を案内してもらう。歩きながら話を聞くと、今でもY君はアメリカで剣道を教えていると言う。七段も取得したそうである。立派である。ただ、アメリカで剣道を行なうには周りとの調和など難しいことがいろいろとあるようだ。剣道を行なう場所を確保するのも大変だと言う。今は日曜日の午前中に稽古をしているようだ。日曜日の午前中は教会に皆が行くので、場所が空いているということである。
稽古をする場所には事欠かない私たちは幸せである。
Y君は、私がアメリカで食事に困っているだろうと気を利かせて「おもしろい所で夕食を食べよう」と言い出した。
ここは日本人が良く来るよと言って案内されたのが、STARBUCKSの発祥店である。
「ここにSTARBUCKSができた時にはみんな馬鹿にしていたよ。50セントのコーヒーを売っているところがほとんどだった時に2ドルのコーヒーを売り出したのだからな。スタンド式で2ドルだよ。だから最初は誰も入っていなかったよ。閑散としていた。それが今ではアメリカだけでなく、日本にもSTARBUCKSの店が溢れているのだから驚きだよ。まあ、本物を出せばいつかは認めてもらえると言うことかもしれないな。」
そう言って店に入っていった。その店はこじんまりして当事のままだという。市場のすぐ前にあるが、あまり目立たない。しかし、今ではちょっとしたシアトルの観光地になって観光客は店の前で写真を撮っている。Y君が撮ってやるよというので、私も店の中で写真を撮らせてもらう。私は普段コーヒーをほとんど飲まないので、味がよくわからないが、アメリカでも美味しいとの評判らしい。また、この店だけ当初のオリジナルロゴを使用しているとのだと聞いた。今はロゴが少しスマートになっているというが私にはあまり興味がなかったので、オリジナルロゴの入ったカップホルダーを捨ててきてしまった。
NYに戻った時、その話をしたらコーヒー好きのI君がもったいないと悔しがっていた。
NY時間では夕方4時頃であるが、4時間の時差があるため、シアトルはちょうど昼時になっていた。朝が早かったのでお腹が空いてきた。ここはキングサーモンが有名なのだというので、二人でレストランに入りキングサーモンのバーガーを食べた。確かに美味しい。パンではなくお米ならもっと美味しいだろうになどと勝手に想像する。
そこから歩いて3分くらいのところにマリナーズの公式店があると言うので覗いてみた。イチローグッズが沢山おいてある。日本人がたくさん訪れると言うので、日本人の店員もいて買いやすい。三女の土産に帽子をひとつ買って店を出る。
Y君が少し郊外に行こうかというので、車に戻る。公園の中にある滝を見物し、高級住宅街を案内してもらう。歩きながら話を聞くと、今でもY君はアメリカで剣道を教えていると言う。七段も取得したそうである。立派である。ただ、アメリカで剣道を行なうには周りとの調和など難しいことがいろいろとあるようだ。剣道を行なう場所を確保するのも大変だと言う。今は日曜日の午前中に稽古をしているようだ。日曜日の午前中は教会に皆が行くので、場所が空いているということである。
稽古をする場所には事欠かない私たちは幸せである。
Y君は、私がアメリカで食事に困っているだろうと気を利かせて「おもしろい所で夕食を食べよう」と言い出した。
September 22, 2006
アメリカへ6
「初花」を出てOさんと別れてホテルに戻るが何かそわそわする。明日はシアトルへ行くのだ。それも1人でアメリカの国内線に乗るのだ。何だかテレビでよく見る「初めてのお使い」の心境である。
翌朝AM6時前にI氏に同行してもらいホテルのすぐ前のPennsylvania stationからNewark Airportへ向かう。昨日、Oさんから「3日前にNewark Airportの1つ手前の駅で白昼に殺人事件があったので気をつけて」などと脅かされたものだからついつい弱気になってしまう。
以前の出張では忙しくてシアトルまで行くことができなかったので、今回の出張中にどうしても行って会いたい人がいた。
ニューヨークからシアトルまで飛行機で6時間強、時差が4時間近くある。1泊では厳しいがそれでも今回を逃すといつ会えるか分からないので、強行軍であったが行くことにした。
I氏とNewark Airportで別れると急に心細くなったが、搭乗口の列に並び1/3くらいしか解らない英語に戸惑いながら何とか飛行機に乗り込む。
さあもう戻れないぞ。シアトルのタコマ空港で無事会えるだろうかと余計なことまで考えてしまう。
私がシアトルで会いたかったというのはY氏である。Y氏とは大学時代学校は違ったが、剣道を通じて親交があった。特に卒業した後、彼は故郷の福岡へ戻り英語の教師をしていたのだが、私も熊本に初任地として赴任した。それから親交が特に深まった。30年以上も前のことである。
今では考えられないが、当時の田舎の学校は長閑で彼が宿直の時、私も学校に泊めてもらい夜を明かして話し込んだりしたものだ。今なら不審者が学校にいたなどと通報されてしまうだろう。二人とも若かったので、徹夜しても翌日は平気で仕事が出来た。
彼がアメリカに渡ったのはそれから1年後である。その理由はここでは話せないが、相談を何度も受けた。アメリカに渡ってから3年後に一度帰国した。その時以来であるので、27〜8年ぶりだ。積もる話が山ほどある。
小さなアラスカ航空の飛行機の中にはどうも日本人らしい人は見当たらない。当たり前だが英語だけが飛び交っている。機内の乗務員で日本人の顔立ちに似ている40歳くらいの女性がいたので、ほっとしたがもちろん日本語がはなせるわけがない。エスキモー系の人なのであろう少し色黒で日本のおばちゃんという感じである。
シアトルへの到着はニューヨーク時間ではPM3時頃であるが、現地ではAM11時頃とのことである。国内でこれほど時差があるというのは……。アメリカはやはり広い。
さあ、Y氏と無事会えるだろうか多少不安がよぎる。
到着ロビーをうろうろしてあたりを探すがどこにいるのかよくわからない。携帯電話をかけるが留守電である。よわったぞ。
翌朝AM6時前にI氏に同行してもらいホテルのすぐ前のPennsylvania stationからNewark Airportへ向かう。昨日、Oさんから「3日前にNewark Airportの1つ手前の駅で白昼に殺人事件があったので気をつけて」などと脅かされたものだからついつい弱気になってしまう。
以前の出張では忙しくてシアトルまで行くことができなかったので、今回の出張中にどうしても行って会いたい人がいた。
ニューヨークからシアトルまで飛行機で6時間強、時差が4時間近くある。1泊では厳しいがそれでも今回を逃すといつ会えるか分からないので、強行軍であったが行くことにした。
I氏とNewark Airportで別れると急に心細くなったが、搭乗口の列に並び1/3くらいしか解らない英語に戸惑いながら何とか飛行機に乗り込む。
さあもう戻れないぞ。シアトルのタコマ空港で無事会えるだろうかと余計なことまで考えてしまう。
私がシアトルで会いたかったというのはY氏である。Y氏とは大学時代学校は違ったが、剣道を通じて親交があった。特に卒業した後、彼は故郷の福岡へ戻り英語の教師をしていたのだが、私も熊本に初任地として赴任した。それから親交が特に深まった。30年以上も前のことである。
今では考えられないが、当時の田舎の学校は長閑で彼が宿直の時、私も学校に泊めてもらい夜を明かして話し込んだりしたものだ。今なら不審者が学校にいたなどと通報されてしまうだろう。二人とも若かったので、徹夜しても翌日は平気で仕事が出来た。
彼がアメリカに渡ったのはそれから1年後である。その理由はここでは話せないが、相談を何度も受けた。アメリカに渡ってから3年後に一度帰国した。その時以来であるので、27〜8年ぶりだ。積もる話が山ほどある。
小さなアラスカ航空の飛行機の中にはどうも日本人らしい人は見当たらない。当たり前だが英語だけが飛び交っている。機内の乗務員で日本人の顔立ちに似ている40歳くらいの女性がいたので、ほっとしたがもちろん日本語がはなせるわけがない。エスキモー系の人なのであろう少し色黒で日本のおばちゃんという感じである。
シアトルへの到着はニューヨーク時間ではPM3時頃であるが、現地ではAM11時頃とのことである。国内でこれほど時差があるというのは……。アメリカはやはり広い。
さあ、Y氏と無事会えるだろうか多少不安がよぎる。
到着ロビーをうろうろしてあたりを探すがどこにいるのかよくわからない。携帯電話をかけるが留守電である。よわったぞ。
August 28, 2006
アメリカへ5
ショー2日目も8時45分頃にジャビットセンターへ入り準備する。少し遅れてOさんが赤飯のおにぎりをたくさん持って登場する。赤飯のおにぎりなんて何年ぶりだろう。何といってもおにぎりは力がつく。ありがたいことである。
今日も精力的にブースを見て回る。不思議と時差ぼけはないのだが、頭の上を英語が飛び交うと何か疲れが増すようだ。
何度か当社のブースに戻り来場者の感想を聞きながら、再び興味のあるブースを見て回る。私は明日から1泊2日でシアトルへ行くため今日でブースを見て回るのが最後である。そのため気になるところへ何度か足を運ぶ。
昼食はチーズやバーガーのにおいが立ち込める1階の休憩所で、1人堂々(?)と赤飯のおにぎりと麦茶を頬張る。恥ずかしいと言うより何か優越感に浸れるなー「どうだ」と言
う感じである。
午後3時に会場の休憩コーナーでミーティングを行う。どうも当社の方向性が少し違うようだ。コテコテの和風も受け入れられている。中途半端であったかもしれないなど反省点が見えてくる。今回はリサーチが主眼であるので、どんどん意見を出してもらった方がいい。それも批判的な意見ほど改良に結びつく。Oさんも我々がいろいろと努力してきたというのを知っているため、ズバズバとはいいにくいのだろうが、逆に本音を言ってもらわないとここまで来た甲斐がなくなってしまう。まああと2日厳しく指摘してもらおう。
午後6時頃に会場を後にして4人で食事に行く。今日はというか今日もというか和食を探す。そうだ2年前に行った寿司屋がいい。あそこは純日本的な本格寿司屋だ。たしか「初花」という店だ。そうと決まれば一直線にタクシーを飛ばす。
店に入るとすぐに「いらっしゃいませ」という威勢のいい声が聞こえる。これでなくちゃいけない。と訳のわからない独り言を言いながら注文する。さすがに日本人の料理だ。繊細である。そんな時ふとアメリカ時間で今日は5月22日だということに気がついた。私の誕生日ではないか。つい店の人にも55歳の誕生日だというと「少しお待ち下さい」と言って豪華なフルーツの盛り合わせをサービスしてくれた。また、店の人や居合わせたひとたちも揃ってハッピーバースデーを合唱してくれたではないか。アメリカで誕生日を迎えるなど夢にも思っていなかったので、いい記念になった。
いろいろな人からアメリカまで行って和食ではつまらないでしょう、などと言われるが遊びで行くならともかく仕事で行くとなれば、体調を万全にしておくのが当然であり、そのためには食事に注意するのが一番であると思っている。
ビジネスの勝負に、はるばるアメリカまで来ているのだから体調を崩したでは話にならない。特に苦手な料理であれば尚更だ。
まあ、そうは言っても最後の日はステーキをやっつけてやるから見ていろ。
そういえば今日は赤飯のおにぎりだったな。そうかOさんお心遣いありがとうございました。自分でもさきほどまで誕生日を失念していました。
今日も精力的にブースを見て回る。不思議と時差ぼけはないのだが、頭の上を英語が飛び交うと何か疲れが増すようだ。
何度か当社のブースに戻り来場者の感想を聞きながら、再び興味のあるブースを見て回る。私は明日から1泊2日でシアトルへ行くため今日でブースを見て回るのが最後である。そのため気になるところへ何度か足を運ぶ。
昼食はチーズやバーガーのにおいが立ち込める1階の休憩所で、1人堂々(?)と赤飯のおにぎりと麦茶を頬張る。恥ずかしいと言うより何か優越感に浸れるなー「どうだ」と言
う感じである。
午後3時に会場の休憩コーナーでミーティングを行う。どうも当社の方向性が少し違うようだ。コテコテの和風も受け入れられている。中途半端であったかもしれないなど反省点が見えてくる。今回はリサーチが主眼であるので、どんどん意見を出してもらった方がいい。それも批判的な意見ほど改良に結びつく。Oさんも我々がいろいろと努力してきたというのを知っているため、ズバズバとはいいにくいのだろうが、逆に本音を言ってもらわないとここまで来た甲斐がなくなってしまう。まああと2日厳しく指摘してもらおう。
午後6時頃に会場を後にして4人で食事に行く。今日はというか今日もというか和食を探す。そうだ2年前に行った寿司屋がいい。あそこは純日本的な本格寿司屋だ。たしか「初花」という店だ。そうと決まれば一直線にタクシーを飛ばす。
店に入るとすぐに「いらっしゃいませ」という威勢のいい声が聞こえる。これでなくちゃいけない。と訳のわからない独り言を言いながら注文する。さすがに日本人の料理だ。繊細である。そんな時ふとアメリカ時間で今日は5月22日だということに気がついた。私の誕生日ではないか。つい店の人にも55歳の誕生日だというと「少しお待ち下さい」と言って豪華なフルーツの盛り合わせをサービスしてくれた。また、店の人や居合わせたひとたちも揃ってハッピーバースデーを合唱してくれたではないか。アメリカで誕生日を迎えるなど夢にも思っていなかったので、いい記念になった。
いろいろな人からアメリカまで行って和食ではつまらないでしょう、などと言われるが遊びで行くならともかく仕事で行くとなれば、体調を万全にしておくのが当然であり、そのためには食事に注意するのが一番であると思っている。
ビジネスの勝負に、はるばるアメリカまで来ているのだから体調を崩したでは話にならない。特に苦手な料理であれば尚更だ。
まあ、そうは言っても最後の日はステーキをやっつけてやるから見ていろ。
そういえば今日は赤飯のおにぎりだったな。そうかOさんお心遣いありがとうございました。自分でもさきほどまで誕生日を失念していました。
July 22, 2006
アメリカへ4
いよいよStationery SHOWの当日である。開場の1時間くらい前に入場して最後の点検を行なう。主催者が徹夜で準備したのであろう通路の床はカーペットがきれいにひかれて、華やいだ雰囲気になっていた。少し遅れてOさん親娘とMさんが到着する。Oさんは私が和食好きということで、おにぎりと麦茶を用意してくれた。これはありがたい。昨年見学に来たときは、ピザと巨大な肉団子の乗ったスパゲッティーそれにハンバーガーしか会場にはなく、二日間止むを得ずこれらを食べることになった。あの時の苦痛にゆがんだ私の顔を覚えていたのであろう。大きなおにぎりをたくさん作ってきてくれた。それにしてもあのおにぎりは大きかったなあ。朝食も昼食もおにぎりをほお張り、力をつけてショーの会場を視察する。
とにかく開場が広いため、われわれ日本から来た3人はばらばらになって開場を見て廻り、それぞれこれは日本で売れそうだと思うものをチェックすることにした。ブースナンバーが6000番まである。複数のブースを繋げて出展しているところも多いので、実際には2000社くらいであろうか?それにしても9割がグリーティングカードを出展している会社であり、アイテム総数はとてつもない数である。
当社のブースはOさんとMさんに任せて、ひたすら会場を見て廻る。ブースのナンバーをメモしながら気になったカードをチェックする。言葉がよくわからないが、電子辞書を片手に「見せてください」(こんな意味のことを言ったと思うが)といいながらカードを見ているといろいろと話しかけてくる。最初は無視していたが、それでも何か言わなくてはと「wonderful」だとか「That‘s great」など口からでまかせを言っていると、こいつはだめだというように去っていくのでゆっくり見ることができた。輸入したいものがあれば、交渉はOさんがしてくれるので、私はとにかく見て廻ることに専念する。
PM3時ごろに休憩所に集合しそれぞれの感想を話し合う。初日ということで気負いすぎ、かなりの距離を歩いたためへとへとである。和をモチーフにした当社のブースの事も気になり、様子をOさんに聞くが、あまりよい反応は得られず、がっくりする。
今回はリサーチが最大の目的であったが、それでも出展したものに対する好評価を多少期待していた。
アメリカへ「和風」を取り込んだカードを輸出する企画を半年行なってきた。机上と現場とはやはり違う。まだ初日ではあるが、企画の難しさを実感する。後3日いろいろと感想を集めてもらおう。
June 24, 2006
アメリカへ3
翌日はStationery SHOWのブース作りのための買い物に出かける。床に引くカーペットや照明などいろいろと買出しをして一部持ち帰り、大きなものはOさんに翌日車で取りに行ってもらうことにする。
準備のためにjavits Convention Centerへ下見に行くとすでに大きなブースでは準備が始まっていた。昨年も視察に来たが、とにかくブースの数が多い。6000番台までの表示があり、この中で鎬を削るのかと思うとため息が出てくる。
ホテルからjavits Convention Centerまではタクシーでも僅かな距離で送迎の無料バスも出ているとの事であった。下見を終えて明日の準備に備える。
ショー前日はホテルの近くでアメリカンな朝食をとり、Oさん親娘とホテル前で待ち合わせる。娘のKさんは日本の高校を中退し、アメリカの大学に通いながらプロのドラマーを目指している。Kさんのことについては、別の機会にゆっくりお話することにしよう。
日本から展示用に持ち込んだ荷物に、アメリカで作っていた鶴の額やカードなど、それに昨日買い込んだ荷物を車に詰め込み二手に分かれてjavits Convention Centerへ向かう。そこで今回のショーのためにアルバイトとしてブースに立ってもらうMさんと落ち合う。若くてかわいらしいギリシャ系アメリカ人のMさんに4日間ブースでいろいろと来場者の意見を聞いてもらうことにする。
Oさん親娘にMさんそれに我々3人で準備をするので、ブースの飾り付けにそれほど時間はかからないだろうと思っていたが、取り掛かって見るとそこはこうした方がいい、いやあそこはこうしようという具合になり、結局夕方遅くまでかかることになる。
何だか飾りつけが終わるとほっとしてショーが終わったような気持ちになってくる。いやいや明日からが本番だ。今日までは準備運動だと気持ちを奮い立たせる。もちろん今夜は出陣前夜である。アメリカンな食事では力がつかないと言うことで、Oさんが教えてくれた評判の日本食レストラン丼屋(DONBURI−YA)へ我々3人とOさん親娘で行くことにする。
そこはもう全く日本の居酒屋である。店員も日本人で、料理も純和風である。こうでなくては力がつかない。お酒は日本酒。つまみは刺身に牛筋と大根の煮込み。それにシシャモの炙りときゅうりの1本漬。食事はネギトロ丼にうどんなど。
印象的だったのが、Oさん親娘がこんなに美味しい漬物は久しぶりだと言って、きゅうりの1本漬を奪い合っていたことである。思わずもう1本と言って追加した。
アメリカで暮らしているとこういう素朴な日本の食文化が恋しくなるのだな。日本で暮らせてよかったと改めて感じた。
準備のためにjavits Convention Centerへ下見に行くとすでに大きなブースでは準備が始まっていた。昨年も視察に来たが、とにかくブースの数が多い。6000番台までの表示があり、この中で鎬を削るのかと思うとため息が出てくる。
ホテルからjavits Convention Centerまではタクシーでも僅かな距離で送迎の無料バスも出ているとの事であった。下見を終えて明日の準備に備える。
ショー前日はホテルの近くでアメリカンな朝食をとり、Oさん親娘とホテル前で待ち合わせる。娘のKさんは日本の高校を中退し、アメリカの大学に通いながらプロのドラマーを目指している。Kさんのことについては、別の機会にゆっくりお話することにしよう。
日本から展示用に持ち込んだ荷物に、アメリカで作っていた鶴の額やカードなど、それに昨日買い込んだ荷物を車に詰め込み二手に分かれてjavits Convention Centerへ向かう。そこで今回のショーのためにアルバイトとしてブースに立ってもらうMさんと落ち合う。若くてかわいらしいギリシャ系アメリカ人のMさんに4日間ブースでいろいろと来場者の意見を聞いてもらうことにする。
Oさん親娘にMさんそれに我々3人で準備をするので、ブースの飾り付けにそれほど時間はかからないだろうと思っていたが、取り掛かって見るとそこはこうした方がいい、いやあそこはこうしようという具合になり、結局夕方遅くまでかかることになる。
何だか飾りつけが終わるとほっとしてショーが終わったような気持ちになってくる。いやいや明日からが本番だ。今日までは準備運動だと気持ちを奮い立たせる。もちろん今夜は出陣前夜である。アメリカンな食事では力がつかないと言うことで、Oさんが教えてくれた評判の日本食レストラン丼屋(DONBURI−YA)へ我々3人とOさん親娘で行くことにする。
そこはもう全く日本の居酒屋である。店員も日本人で、料理も純和風である。こうでなくては力がつかない。お酒は日本酒。つまみは刺身に牛筋と大根の煮込み。それにシシャモの炙りときゅうりの1本漬。食事はネギトロ丼にうどんなど。
印象的だったのが、Oさん親娘がこんなに美味しい漬物は久しぶりだと言って、きゅうりの1本漬を奪い合っていたことである。思わずもう1本と言って追加した。
アメリカで暮らしているとこういう素朴な日本の食文化が恋しくなるのだな。日本で暮らせてよかったと改めて感じた。
June 09, 2006
アメリカへ2
前2回はJFケネディ空港からマンハッタンへ向かったが、今回初めてニューアーク空港に降りた。アメリカの入国手続はとにかく時間がかかる。日本と違いてきぱきしていない。なぜこんなに非効率なのか不思議なくらいである。車椅子の乗客も優先されるわけでもなく一緒に列に並んで順番を待っている。毎回思うのだが、あまりにも待たせすぎる。スペースは十分にあるのだが、人がいない。混んでいても突然窓口を閉めてどこかへ行ってしまう。入国審査を厳しくするのと、きびきび効率よく行なうのとは相反しない筈だが・・・。
まあアメリカだからしょうがないかと最近ではあきらめてしまう。
夕方Madison Square Gardenの目の前にあるHOTEL PENNSYLVANIAに着いて荷物を降ろす。少し休んで食事をとりに外へ出る。ニューヨーク最初の夜だからアメリカンで行こうとの話に乗せられコテコテの店に3人で入った。これが失敗であった。私のその後の食事を大きく左右してしまった。3人が注文したのは、ポークリブ、サラダ、サンドウィチであるがこの量が凄まじい。付け合せのポテトだけで十分である。これが一人前かと驚く量である。多少は予想をしていたが、サンドウィチについてきたポテトフライの量には圧倒された。
聞くと前回もここで食事をしたという2人はこれらの量をいとも簡単に平らげて、それでもまだ足りないらしく追加注文していたと言う夫婦の驚くべき話をしてくれた。
しかし、ここアメリカではそれは特殊なことではないようだ。そのせいか日本では考えられないくらいの肥満がそこにもここにも溢れている。大丈夫かアメリカ人、こんな食事をしていたら大変なことになるぞ。
3人で頑張って食べたが、ポテトフライは3分の1も食べきれない。ポークリブを何とか平らげただけで、後は完食出来なかった。
目の前の食事に圧倒され、落ち着いてビールも味わえなかった。
こんな脂っこい食事はもう嫌だ。やはり和食が一番だと言うことで、次の日から和食、和食、昼には現地のO夫人におにぎりまで作って来てもらい、昼食はおにぎりと麦茶で力をつけるという具合だ。8日間の滞在中夕食にアメリカンを食べたのは最初と最後の日だけである。最初は敬意を表して、そして最後はやけくそであった。
初日からアメリカ食の洗礼を受け。毎度のことであるが、もう2度とアメリカには来ないぞと誓った。
まあアメリカだからしょうがないかと最近ではあきらめてしまう。
夕方Madison Square Gardenの目の前にあるHOTEL PENNSYLVANIAに着いて荷物を降ろす。少し休んで食事をとりに外へ出る。ニューヨーク最初の夜だからアメリカンで行こうとの話に乗せられコテコテの店に3人で入った。これが失敗であった。私のその後の食事を大きく左右してしまった。3人が注文したのは、ポークリブ、サラダ、サンドウィチであるがこの量が凄まじい。付け合せのポテトだけで十分である。これが一人前かと驚く量である。多少は予想をしていたが、サンドウィチについてきたポテトフライの量には圧倒された。
聞くと前回もここで食事をしたという2人はこれらの量をいとも簡単に平らげて、それでもまだ足りないらしく追加注文していたと言う夫婦の驚くべき話をしてくれた。
しかし、ここアメリカではそれは特殊なことではないようだ。そのせいか日本では考えられないくらいの肥満がそこにもここにも溢れている。大丈夫かアメリカ人、こんな食事をしていたら大変なことになるぞ。
3人で頑張って食べたが、ポテトフライは3分の1も食べきれない。ポークリブを何とか平らげただけで、後は完食出来なかった。
目の前の食事に圧倒され、落ち着いてビールも味わえなかった。
こんな脂っこい食事はもう嫌だ。やはり和食が一番だと言うことで、次の日から和食、和食、昼には現地のO夫人におにぎりまで作って来てもらい、昼食はおにぎりと麦茶で力をつけるという具合だ。8日間の滞在中夕食にアメリカンを食べたのは最初と最後の日だけである。最初は敬意を表して、そして最後はやけくそであった。
初日からアメリカ食の洗礼を受け。毎度のことであるが、もう2度とアメリカには来ないぞと誓った。
May 29, 2006
アメリカへ1
5月25日に3度目となるニューヨーク出張から帰ってきました。そこで、何回かに分けて(飛び飛びになるかと思いますが)アメリカでの事をブログで紹介していきたいと思います。
今回初めて国外の航空会社でアメリカへ渡ったが、飛行機の客室乗務員についてひとこと言わせてもらいたい。
とにかく乗務員の態度が義務的で顧客側に立っていない印象を強く受けた。飲み物や食事を配る時に通路を独占し、乗客が通りたくても譲る気配は全く無い。乗客が待っているのを承知のはずだが、「お待ち下さい」や「どうぞ」、「御迷惑をかけます」などの言葉や態度は全く無い。そこで待ってろ。私は今仕事をしているのだと言わんばかりである。もちろん日本語が出来る乗務員もいるが、その言葉が情けない。飲み物を配る時に「何か飲みますか、何かいりますか」である。それも笑顔ではなく、義務的な顔つきで言ってくる。「お飲み物は何に致しましょうか?」「何をお持ちしましょうか」日本の航空会社であれば間違いなく笑顔でこう言ってくるだろう。
これまでの2回は国内の航空会社でアメリカへ渡ったが、日本の客室乗務員はお客に対する姿勢が素晴らしい。通路にいるときもあたりに気を配り、乗客を優先させる。笑顔を絶やさず、義務的な態度は見せない。
国柄が違うと言えばそうかもしれないが、改めて日本の乗務員の質の高さが浮き彫りになった。日本の乗務員は人間として乗客に接するが、この飛行機は動物と人間の中間の扱いだと感じた。アメリカまで安全に運ぶことだけで、飛行中楽しく過ごさせようとは思っていないようだ。(少し言いすぎかもしれないが、そう感じた)
こんな時は、寝るに限ると居眠りをきめこんだ。
アメリカ人は合理主義者が多いのだろうが、他人に気を配る細やかさは接客業には不可欠のはずだ。
あーあ先が思いやられるなー。そんな思いで、3度目のニューヨークの土を踏んだ。