October 26, 2011

余韻について考える

最近はがきや手紙を書く人が少なくなってきた。年賀状を年1回書く程度だという人が多い。それもパソコンで宛名を印字し、定型の挨拶は印刷されている。手書きは1字も無い。義理で出しているということがあからさまな年賀状は受け取っても何の印象も残らない。

一人一台の携帯電話時代に入り電話とメールでリアルタイムに連絡が取れる。
例えば、故郷から季節のものが手元に届いたとき、ほとんどの人は電話かメールで贈り主の父や母あるいは兄弟や友人に連絡する。贈り物のお礼を言って元気でいることを伝える。
電話にしてもメールにしてもすぐに連絡できるということからは便利な道具である。しかし、電話もメールも何か物足りない。何が物足りないのだろうかと考えていた。
そして、手紙をもらったときの気持ちと比べてみるとそれがはっきりした。
足りないものは「余韻」だ。

故郷からの贈り物のお礼を手紙の場合で考えてみた。
電話でお礼を言うのは照れくさい。そこで手紙でお礼と近況をしたためた。贈り主の父母はもう届いただろうか?ちゃんと受け取っているだろうか?と少し不安になる。3〜4日したそんな時、息子から1通の手紙が届く。すぐに開封したいが、あて先が贈り主の父の名前になっている。じっと我慢して父親が戻ってきたときにそれとなく「今日息子から手紙が届いたわ」と渡すと、父親も照れくさく、「開けてみろ」と母親に返す。母親が開封して読んで聞かせると父はうれしさを堪えて、「ふーんあいつも元気にやっているのか」そして母は「あの子も元気なのね」それだけで会話が終わる。しかし、二人ともうれしくてしょうがないのだ。母は父から渡された手紙をポケットに入れて翌日も読み返し、余韻を楽しむだろう。

1通の手紙やはがきには人を幸せにする力がある。余韻がその力を増幅させるのだ。電話やメールには無い「余韻」が手紙やはがきにはある。
大切な人にこそ拙い字でも手書きのはがきや手紙を是非出してもらいたい。
余韻を贈るために。


cpiblog00620 at 14:28│Comments(5)TrackBack(0)clip!雑感 

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この記事へのコメント

1. Posted by SILENT   May 21, 2012 09:51
5 こんにちは
はじめまして、手紙の余韻すてきな話ですね
余白や余韻のあることを感じることが出来ない
時代になりましたね。其処いらじゅうに余韻も余白も余裕もころっがているのに気づかないだけではないでしょうか。
2. Posted by 三浦尚城   May 21, 2012 10:37
5 コメントありがとうございます。
確かに皆忙しくしていますが、これもデジタル化の成せる業のように感じます。
私どもでは「お手紙プロジェクト」を発足させました。
アナログの良さを若い人たちに知ってもらおうと活動しています。
手紙やはがきは素晴らしい人類の文化だと思います。
3. Posted by gucci replica   February 06, 2015 18:09
ベランダにも部屋の明かりが漏れている。アサガオが大輪を咲かせるためにも改めて厳しく夜更かしを戒めなくてはいけない。
4. Posted by chanel replica   February 06, 2015 18:09
きっと大きな力に言葉がなるときが来る。お国なまりは故郷そのものの無形文化財である。
5. Posted by louis vuitton replica   February 06, 2015 18:10
そして、手紙をもらったときの気持ちと比べてみるとそれがはっきりした。
足りないものは「余韻」だ。

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