June 16, 2011

「忙中、閑あり」について考える

最近ブログが更新されていないじゃないかとお叱りを受けた。
そう言えばうっかりしていた。もう1ヶ月半も更新していない。
言い訳はたくさんある。20でも30でも言い訳は言える。
仕事でも出来ない理由を言う人は多い。グタグタと出来ない理由をよくもこんなにあるなというほど出す人がいる。こんなに出来ない理由を考えるくらいなら、さっさと仕事をすればいいのにと思ってしまうほどだ。

「忙中、閑あり」という言葉を思い出した。
忙しい、忙しい、と慌てふためいている中にも、足元を見直せば必ず閑が存在している。閑というものは自らが見つけ出すものである。ついつい忙しいとその中に心が埋没し、忙しさの中に飲み込まれてしまう。まず自分を見失わずしっかりと足元を見つめると、不思議と時間が落ちているものだ。
「忙中、閑あり」の如く対極にあるものが、反発せず同居している言葉に次のようなものがある。
暗中に明あり。
嫌中に好あり。
寒中に温あり。
動中に静あり。
苦中に楽あり。
死中に活あり。
疑中に真あり。
信中に偽あり。
どんな時や事態にも裏と表が必ずある。
だから、悲観する必要もないし、有頂天になってはいけないのだ。

「忙しい」からブログを更新できなかった、という言い訳は、自分の能力がない。自分を冷静に見られない。そんなことを公表していると同じことだと気が付いた。
暇すぎてブログを書けなかった、ということにしておこう。
いや待てよ、そうすると「小人閑居して不善をなす」と言われそうだ。
いずれにしても言い訳は良くない。潔くサボっていましたと、謝ろう。


cpiblog00620 at 19:33│Comments(3)TrackBack(0)clip!雑感 

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この記事へのコメント

1. Posted by prada replica   February 06, 2015 18:10
それは仕方が無い。若い人は若い人の言葉があり、それが時代という時間の堆積で国語になっていく。
2. Posted by rolex replica   February 06, 2015 18:10
それでも国語を学び、歴史に目をやり、文化に親しむ。その上で他国語を学んだらどうかといつも思っている。
3. Posted by hermes replica   February 06, 2015 18:11
国際的な人間に育てる。世界の人とコミュニケーションをとれるようにする。これらは大事なことで英語を学ばせることに何の異存もない。それと同じくらい国語も学ばせるということであればだが。

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