September 12, 2007
熊本帰省2007.30年前を思いだす
今日の宿は水道町近くの白川沿いにある小さなホテルである。今晩は寝るだけだというので特別安いホテルにした。ツインで5,000円以下である。その分夕食は豪華にと上通りへ歩いて出かける。熊本も毎年少しずつ変わっていくが、30年前と景色はほとんど変わらない。水道町の電停前、今は立て替えられているが、私が働いていたビルの前を通る。
そうかあれから30数年が経ったのだ。大学を卒業後、就職して3ヶ月の全寮研修が終わり初任地の発表があったときにはそれこそびっくりした。大阪支店勤務と言われたのだ。えーと思った。大阪は大阪で採用があり、関西の大学から10名程度採用されていた。全寮生活だったので、関西出身の同期とも随分話をしていたが、まさか東京採用の私が大阪支店勤務とは・・・。しかし、これはほんの序曲に過ぎなかった。
大阪支店勤務は10名、しかし、大阪までの新幹線のキップを渡されたのは8名、私とI君は航空券を渡された。辞令を受けにとにかく現地に着くためだ。航空券の行き先は福岡となっている。何だこれは。何かの間違いだろうと質問すると君達二人は大阪支店管轄の福岡営業所勤務だと告げられた。ここでまたびっくりである。研修期間でも福岡営業所があるなどとは一言も聞いていない。これは詐欺だ。間違いなく詐欺だ。内心本当にそう思った。
しかし、社命である。I君と二人で翌日飛行機に乗り込む。福岡に着いたのは7月の暑い日であった。博多駅前の福岡営業所は当時10名強の小さな事務所であった。とても一部上場企業に入社したとは思えなかった。博多弁が飛び交い九州の右も左も分からないこんなところで仕事をするのかと思うと就職に失敗したと本気で思った。
しかし、本当に驚くのは次の瞬間であった。Y所長の前に呼ばれて辞令を受けとると何と大阪支店、福岡営業所、熊本事務所となっている。熊本?何のことだ? 所長にこれは何ですかと聞くと、聞いてないのかと言われ三浦は熊本勤務だと告げられた。福岡に営業所があるのも知らなかったくらいであるから、熊本事務所などがあろうとは夢にも思っていなかった。
I君は福岡で私は熊本だと言われた時にはもう二度と東京にはもどれないなと本気で思った。研修中に何かとんでもないことをしでかしたのだろうか? それともよほど出来が悪かったのだろうか? いろいろと考えたが思い当たらない。
確かに研修終了の日に担当であった先輩社員を胴上げしてスーツのまま大浴場に投げ込んだ首謀者であったことは認めるが・・・。
入社してすぐ左遷とは・・・。
熊本事務所は3名の社員に嘱託が1名という零細企業であった。住居もガラス屋さんの2階に下宿というような待遇から始まったのだ。
そんな30年前のことが頭をよぎって立ち止まっていると、先を歩いていた家族から早く早くと呼ばれて、はっと我に返った。
よし今日はあの頃の給料ではとても食べることが出来なかった「加茂川」でステーキと馬刺しを食べよう。