December 12, 2006
小雨の東京国際女子マラソン
11月19日小雨の中、東京国際女子マラソンが行なわれた。小雨が降っていたので、テレビで観戦するつもりであったが、第一京浜の品川駅前を選手が通過すると何か体がうずうずして沿道へ出たくなってきた。自宅から徒歩で5〜6分の第一京浜を選手たちが大森海岸へ向けて走るのだ。ここは箱根駅伝のコースにもなっていて沿道での応援は私にとって正月の恒例になっている。
東京国際女子マラソンの折り返し地点は大森海岸駅前である。ちょうど鮫洲駅前で観戦すると20分くらいで行きと帰りの両方が観戦できる。最高のポイントである。
土佐選手と高橋選手が品川の八山橋を越えた辺りで自宅を出ようとすると電話が鳴り出した。受話器を取ると何やら丁寧に挨拶するので、子どもの学校関係の人かと思い話を聞くと何のことは無い塾の勧誘であった。必要ありませんと言って切るが、すでに選手たちは新馬場の駅前を通過してしまっている。これはまずい。慌てて自宅を出て鮫洲駅に向かう。ちょうど駅前についた時にはすでに二人は通過した後であった。仕方がない。帰りを待とうと沿道で傘を差していると後続の選手が通過していく。
中には「女将頑張れ」などと応援する一団があった。「女将」らしい選手が手を上げて「目標達成」と叫んでいる。また、伴走の男性を連れて走っている選手もいる。沿道観戦の醍醐味はテレビに映らない選手たちの様子を見られることだ。
これだから正月の箱根駅伝も沿道観戦がやめられない。正月はしこたま朝から飲んで応援に行くため、声援も大きな声になる。そのうちテレビにも私の声援風景が映るのではないかと思う。

そうこうしているうちに折り返した先頭の土佐選手が見えてきた。すぐ後を高橋選手が追っている。余裕があるのはどちらかはっきりとは分からなかったが、後ろについている高橋選手の方が有利なように思えた。
近くにいる人たちも「土佐は高橋に抜かれるな」とか「高橋はどこでスパートするのだろう」などと言っている。目の前を通り過ぎて後姿を追っていると「あ!」カメラを持ってきたのに撮るのを忘れたと気がついた。夢中で見ていたため写真のことをすっかり忘れてしまった。ここへ来る前にテレビに映っていた高橋選手のアップを試しに撮ったが、生の写真を撮り損ねた。

急いで自宅へ戻りテレビを見ると30K過ぎて土佐選手がスパートして34K付近では100mの差になっていた。高橋選手はデビュー戦(7位)以外で日本選手に負けたことが無い。6連勝後、2位になり昨年のこの大会では復活して優勝している。今度も盛り返すだろうと思っていたが、何と39K過ぎでは尾崎朱美選手にも抜かれ3位になってしまった。
レースの後の会見では引退はないという。もう一度挑戦して見るとのことであったが、34歳、後から伸びてきた土佐選手や尾崎選手に抜かれる姿を見ていると、元横綱千代の富士の最後の相撲が蘇ってきた。ウルフと呼ばれ無敵を誇っていた横綱であったが伸び盛りの貴花田(後の横綱貴乃花)に負け、引退を決意した。
高橋選手もマラソンでは6連勝して無敵と言われた時期があったが、今回のレースではその面影は無い。完全に土佐選手に力負けをしていた。
スポーツ選手は「勝って騒がれる人になるより負けて騒がれる人になれ」と言われる。高橋選手は負けてもさほど騒がれなくなり、土佐選手は勝ってもそれほど騒がれなくなった。
勝負の世界は残酷である。敗者は生き残れない。そろそろマラソンシューズを脱いでも誰も高橋選手の栄光を傷つける人はいないと思う。日本人最強のマラソン選手であったことには変わりないからだ。
因みに1位から3位まで日本人が独占したのは28回を数える大会で2回目(第20回大会)である。また、気温10度という寒さの中でのレースも第10回大会の8度に次ぐ2番目の寒さであった。その寒さも高橋選手に影響したのかもしれないが、皆同じ条件下のレースである。言い訳はできない。
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この記事へのコメント
1. Posted by omega replica December 31, 2014 12:56
会の8度に次ぐ2番目の寒さであった。その寒さも高
2. Posted by best omega replica March 04, 2015 09:57
あなたが共有して感謝し、私は非常にそれが好き