October 11, 2006
冒険の旅の仲間たち 5
また一人、「冒険の旅」の仲間になるはずの少女が自殺してしまった。
北海道滝川市の私立小学校の教室で昨年9月、首つり自殺した女の子(12歳)が遺書を残していたことが今年の10月2日に明らかになったという。遺書は「キモイと言われ、つらくなりました」などと同級生からいじめを受けていたことを示唆する内容であった。
なぜ遺書の公開がこんなに遅れたのか? 滝川市教育委員会は児童らからの聞き取りや家庭訪問で調査したが、「いじめなどの事実は把握できなかった」として遺書の内容を公表していなかったのだ。
2日午後に記者会見した同市の教育長は「心のサインをつかめなかったことは誠に申し訳ない」とあくまでもいじめではなかったが、悩んでいるのを察知できなかったというような謝罪を行った。しかし、その数日後には市長をはじめ教育長などが遺族のもとを訪れて土下座をして「いじめ」を認めて謝罪した。それも遺書が公開された後、市に対して抗議の電話やメールが殺到したからであろう。
何度同じことを繰り返せば判るのだろうか?この国の教育界は。
平成8年にいじめを苦にして自殺した大河内清輝君の教訓が全く活かされていない。当時遺書が公開されて大変な波紋を投げかけたが、その後もいじめを苦にしての自殺が後を絶たない。
教師の皆さん、日常の教育指導、保護者からの要求や進学についての相談など多忙を極めていることは良くわかります。しかし、何かを削ってでも子どもたちの様子を観察してください。いじめの兆候は必ず出ています。それを多忙のせいにしないでください。
自殺する子どもに共通しているのは、優しい気持ちを持っているということです。家族に心配させたくないという気持ちから、家庭では普通に振舞い気づかれないようにしています。だから誰にも言えないという苦しみから自分を追い詰めていってしまうのです。
ただ、先生の目を盗んでいじめている子どもたちに早く気づいて欲しいというサインを学校の中では出しています。それに気づいて欲しいのです。
今回も先生に相談しているそうではないか? なぜそこで気づかないのか? 気づいているのに無関心なのか?
勉強を教える技術だけを追い求め、子どもたちが何を考えているか、クラスの子どもに変化が無いかなどを見る機会を持とうとしないか、それとも機会を失っているのか。どうも逃げているとしか思えない。
遺書が公表された後、ある新聞のコラムは、文章の最後に「全国のいじめられっ子諸君、こんな学校行かなくていいから、もう死ぬな」と締めくくっていた。
私も全く同感だ。学校へ行かなくても勉強は出来るし進学も出来るぞ。君たちが死んで、一番悲しむのは、君たちが一番悲しませたくないと思っていた家族だということを良く考えてくれ。ブログをみてメールをくれた小・中・高校の「いじめられっ子」には「心の中へ…冒険の旅」(http://www.shinryokusha.co.jp/smc/pub/bouken.html)をプレゼントするから是非読んでくれ。
北海道滝川市の私立小学校の教室で昨年9月、首つり自殺した女の子(12歳)が遺書を残していたことが今年の10月2日に明らかになったという。遺書は「キモイと言われ、つらくなりました」などと同級生からいじめを受けていたことを示唆する内容であった。
なぜ遺書の公開がこんなに遅れたのか? 滝川市教育委員会は児童らからの聞き取りや家庭訪問で調査したが、「いじめなどの事実は把握できなかった」として遺書の内容を公表していなかったのだ。
2日午後に記者会見した同市の教育長は「心のサインをつかめなかったことは誠に申し訳ない」とあくまでもいじめではなかったが、悩んでいるのを察知できなかったというような謝罪を行った。しかし、その数日後には市長をはじめ教育長などが遺族のもとを訪れて土下座をして「いじめ」を認めて謝罪した。それも遺書が公開された後、市に対して抗議の電話やメールが殺到したからであろう。
何度同じことを繰り返せば判るのだろうか?この国の教育界は。
平成8年にいじめを苦にして自殺した大河内清輝君の教訓が全く活かされていない。当時遺書が公開されて大変な波紋を投げかけたが、その後もいじめを苦にしての自殺が後を絶たない。
教師の皆さん、日常の教育指導、保護者からの要求や進学についての相談など多忙を極めていることは良くわかります。しかし、何かを削ってでも子どもたちの様子を観察してください。いじめの兆候は必ず出ています。それを多忙のせいにしないでください。
自殺する子どもに共通しているのは、優しい気持ちを持っているということです。家族に心配させたくないという気持ちから、家庭では普通に振舞い気づかれないようにしています。だから誰にも言えないという苦しみから自分を追い詰めていってしまうのです。
ただ、先生の目を盗んでいじめている子どもたちに早く気づいて欲しいというサインを学校の中では出しています。それに気づいて欲しいのです。
今回も先生に相談しているそうではないか? なぜそこで気づかないのか? 気づいているのに無関心なのか?
勉強を教える技術だけを追い求め、子どもたちが何を考えているか、クラスの子どもに変化が無いかなどを見る機会を持とうとしないか、それとも機会を失っているのか。どうも逃げているとしか思えない。
遺書が公表された後、ある新聞のコラムは、文章の最後に「全国のいじめられっ子諸君、こんな学校行かなくていいから、もう死ぬな」と締めくくっていた。
私も全く同感だ。学校へ行かなくても勉強は出来るし進学も出来るぞ。君たちが死んで、一番悲しむのは、君たちが一番悲しませたくないと思っていた家族だということを良く考えてくれ。ブログをみてメールをくれた小・中・高校の「いじめられっ子」には「心の中へ…冒険の旅」(http://www.shinryokusha.co.jp/smc/pub/bouken.html)をプレゼントするから是非読んでくれ。
トラックバックURL
この記事へのコメント
1. Posted by replica tote chanel May 19, 2014 16:03
族だということを良く考え