September 06, 2006
熊本帰省2006.1大渋滞
今年も熊本への帰省を終えて先日無事に帰京した。
何回かに分けて1週間の帰省状況をブログでお伝えしようと思います。
今年は最初からの相棒であったボンゴフレンディーからアルファードに乗り換えたため、出発の2週間くらい前よりアルファードには良く言い聞かせていた。
「きつい旅になるが頑張れよ。帰ってきたらゆっくり休ませてやるからな」、「今年は10回目の記念の年だ。記念すべき今年はアルファードに任せたぞ」と。
ボンゴフレンデイーは慣れたもので、体と車が一体となっているかのように走れたが、アルファードとコンビを組んでの帰省は初めてのため多少緊張をしての出発となった。
出発は8月12日夜、10時56分であった。すこし高をくくりいつもより少し遅めに出たのが失敗であった。
渋谷の手前で渋滞があり、海老名サービスエリアに着いたのが0時30分。ここで夕食となった。往路は長女と二人で運転をしていくのだが、私が3分の2は運転することになるだろう。ここでしっかり夕食をとっておこうと思い、「カツカレー」を食べる。妻も長女も三女も「たんたん麺」、「山菜そば」、「カレーうどん」という具合に真夜中だというのに決して軽いものではない。「この後、妻と三女は寝るだけなのになー」とつい思ってしまう。
普段でもこの時期長い列が出来るが、今年はガソリンの値段が急上昇しているため、養老SAでは給油にいつもより長い列が出来ていた。高速道路では一定の間隔を保ちながら独占的に給油所を置いているため、ガソリンの悪質な値上げを抑える目的で前月の一般道路での最高値を上限としている。そのため7月の上限であったレギュラー137円、ハイオク148円が高速道路での8月の値段として設定されている。一般道ではすでにレギュラー145円、ハイオク157円となっているので、高速道路で給油した方が安いのである。
深夜の高速道路を徹夜で走りぬけていく。2時間程度長女と交代したが助手席では寝られなかった。AM7時、桂川PAで軽く朝食を摂る。いつもであればもう少し先まで走らせるのだが、茨木ICから自然渋滞に加え事故と故障車で45Kの渋滞だとの情報で早めの朝食とトイレ休憩にした。今年は12日の出発ということで、多少は覚悟していたが桂川PAを出た10分後に渋滞地獄が待っていた。それも10年目にして最大の渋滞であった。桂川を出たのが7時35分。そして10分後の7時45分から渋滞が始まった。まず事故渋滞で7キロ進むのに2時間を要した。その後も渋滞は手を緩めることなく続き、何と45キロ進むのに6時間という前代未聞の記録を作ってしまった。
13日は熊本の玉名温泉で1泊して翌日ゆっくり熊本市内へ入る予定であった。玉名温泉の黄金館(こがねかん)へは遅くても17時前後に到着するはずであったが、ナビの到着予定時間ではすでに22時を指していた。途中何度も旅館に電話を入れたが、21時までであれば何とか食事を用意して待っているが、それ以降だと宿泊だけになるという。何とかしてくれ、このままでは夕食にありつけないではないか。
しかし、渋滞は容赦なく続いていく今年はなぜか事故と故障車が多い。パトカーとJAFの車が頻繁にサイレンを鳴らして私たちの脇を過ぎていく。
やっと渋滞を抜けたのが玉名から500キロ弱の地点であった。時間は15時30分、21時の制限時間まで5時間30分。ナビの到着時間は22時05分を指している。途中休憩していては全く間に合わない、また、どこかで故障車や事故があっても万事休すである。最寄のPAで運転していた長女と交代して、ここから玉名温泉まで直行すると宣言し、全員にトイレはこれ以降旅館まで行かれないと通告してトイレに行かせ、水分補給のペットボトルだけ買いこむ。500キロ直行は長い運転歴の中でも始めてである。気合を入れ直すと疲れは一気に吹き飛び、戦闘モードに変わって出発する。
夕食の制限時間21時までに旅館に到着したか否かは次回のブログで。
何回かに分けて1週間の帰省状況をブログでお伝えしようと思います。
今年は最初からの相棒であったボンゴフレンディーからアルファードに乗り換えたため、出発の2週間くらい前よりアルファードには良く言い聞かせていた。
「きつい旅になるが頑張れよ。帰ってきたらゆっくり休ませてやるからな」、「今年は10回目の記念の年だ。記念すべき今年はアルファードに任せたぞ」と。
ボンゴフレンデイーは慣れたもので、体と車が一体となっているかのように走れたが、アルファードとコンビを組んでの帰省は初めてのため多少緊張をしての出発となった。
出発は8月12日夜、10時56分であった。すこし高をくくりいつもより少し遅めに出たのが失敗であった。
渋谷の手前で渋滞があり、海老名サービスエリアに着いたのが0時30分。ここで夕食となった。往路は長女と二人で運転をしていくのだが、私が3分の2は運転することになるだろう。ここでしっかり夕食をとっておこうと思い、「カツカレー」を食べる。妻も長女も三女も「たんたん麺」、「山菜そば」、「カレーうどん」という具合に真夜中だというのに決して軽いものではない。「この後、妻と三女は寝るだけなのになー」とつい思ってしまう。
普段でもこの時期長い列が出来るが、今年はガソリンの値段が急上昇しているため、養老SAでは給油にいつもより長い列が出来ていた。高速道路では一定の間隔を保ちながら独占的に給油所を置いているため、ガソリンの悪質な値上げを抑える目的で前月の一般道路での最高値を上限としている。そのため7月の上限であったレギュラー137円、ハイオク148円が高速道路での8月の値段として設定されている。一般道ではすでにレギュラー145円、ハイオク157円となっているので、高速道路で給油した方が安いのである。
深夜の高速道路を徹夜で走りぬけていく。2時間程度長女と交代したが助手席では寝られなかった。AM7時、桂川PAで軽く朝食を摂る。いつもであればもう少し先まで走らせるのだが、茨木ICから自然渋滞に加え事故と故障車で45Kの渋滞だとの情報で早めの朝食とトイレ休憩にした。今年は12日の出発ということで、多少は覚悟していたが桂川PAを出た10分後に渋滞地獄が待っていた。それも10年目にして最大の渋滞であった。桂川を出たのが7時35分。そして10分後の7時45分から渋滞が始まった。まず事故渋滞で7キロ進むのに2時間を要した。その後も渋滞は手を緩めることなく続き、何と45キロ進むのに6時間という前代未聞の記録を作ってしまった。
13日は熊本の玉名温泉で1泊して翌日ゆっくり熊本市内へ入る予定であった。玉名温泉の黄金館(こがねかん)へは遅くても17時前後に到着するはずであったが、ナビの到着予定時間ではすでに22時を指していた。途中何度も旅館に電話を入れたが、21時までであれば何とか食事を用意して待っているが、それ以降だと宿泊だけになるという。何とかしてくれ、このままでは夕食にありつけないではないか。
しかし、渋滞は容赦なく続いていく今年はなぜか事故と故障車が多い。パトカーとJAFの車が頻繁にサイレンを鳴らして私たちの脇を過ぎていく。
やっと渋滞を抜けたのが玉名から500キロ弱の地点であった。時間は15時30分、21時の制限時間まで5時間30分。ナビの到着時間は22時05分を指している。途中休憩していては全く間に合わない、また、どこかで故障車や事故があっても万事休すである。最寄のPAで運転していた長女と交代して、ここから玉名温泉まで直行すると宣言し、全員にトイレはこれ以降旅館まで行かれないと通告してトイレに行かせ、水分補給のペットボトルだけ買いこむ。500キロ直行は長い運転歴の中でも始めてである。気合を入れ直すと疲れは一気に吹き飛び、戦闘モードに変わって出発する。
夕食の制限時間21時までに旅館に到着したか否かは次回のブログで。