May 02, 2006

剣道日誌10

4月30日、初の六段挑戦は失敗に終わった。

京都へは不安を抱えながら向った。当日まで行くか、棄権をするか迷っていた。傷めた左足は早素振りが出来るまでに回復していたが、2週間稽古をしていない。本当に踏み込めるのか?自分でもやってみないと分からないというのが本音であった。無理をしないほうがいいという仲間もいた。しかし、敵前逃亡をするようで棄権をするのは嫌だった。そんな思いで着いた京都には同志社大学剣道部OBのM先輩が待っていた。京都市立体育館で再会し、いろいろとアドバイスを受けた。
M先輩は6月より京都府剣道連盟の事務局長の任に着くという。京都では大変に顔が広い。(昨年まで「京大和」の支配人を務めていて花街でも大変顔が広いのだが…)偶然会場でお会いした範士九段、教士八段(共に京都)の先生方に私の立会いを見てアドバイスをもらえるようにしていただいた。

ところが、始まってみると審査どころでは無くなった。一人目の立会い30秒くらいで左足ふくろはぎからひざの裏にかけて激痛が走った。肉離れか、靭帯損傷か、意識はすべて足へ向いてしまった。手を挙げて棄権することも考えたが、先輩や先生方に見ていただいているということが頭をよぎり、2人目の立会いも行なった。ただこれは立っているのが精一杯という無様なものであったが。
審査が終わりすぐに着替えた。発表は見るまでもない。M先輩は気遣って微妙なところだなと言ってくれたが、私自身は棄権をせずに済んだことだけで満足であった。

発表後に伝えなさいとM先輩が先生方に言われたと、私へのアドバイスを伝えてくれた。
それを聞いて愕然とした。失敗したのは足のせいではなかった。2人目のほうが良かったと言うのだ。ただ立っていただけなのに。確かに2人目は剣先をはって堂々と構えていた。それはそれしか出来なかったからだ。1人目には溜めが無いといわれた。気が焦っていたのだろう、先を取るつもりで仕掛けが早すぎたようだ。
足のさばき、すり足、左手の使い方、上からの攻めなど多くのことを教えられた。その中でも特に印象深かったのは「審査は誰に指導を受けていたかを見られる場だ」と言うことである。きちんとした指導者についていればその人の所作自体がきちんとする。どういう教え方をされてきたかが現れると言うのだ。
「10年稽古をするより10年かけて師を探せ」と言う言葉が重く感じられた。

失敗はしたが、京都へ来てよかった。多くのことを学ばせてもらった。まずは体を万全にして新たな挑戦の始まりだ。
因みに左足は全治2ヶ月とのことであるが。


cpiblog00620 at 21:49│Comments(1)TrackBack(0)clip!剣道 

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この記事へのコメント

1. Posted by うりぼう   May 19, 2006 17:07
読ませていただきなるほどな、と思いました。次回チャレンジに向けて足をお大事にしてください。

私は良い師と先輩に恵まれていますが、自分の稽古量確保への執念が足りないと痛感しています。現在入院中のA先輩の入院前の稽古にかける姿勢を大いに見習い前進せねばとひしひしと感じます。私

も負けぬよう、6月からは稽古に励みたいと考えております。今後ともよろしくご指導ください。

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