March 16, 2006
会える贅沢3
3月11日、福岡から県庁に勤めるM君と銀行を退職し医療関係の組合に転職したY君が上京した。M君もY君も共に大学の剣道部の1年後輩である。二人とも熊本で挙げた結婚式にも出席してくれた、私にとって大変仲の良い後輩である。
Y君とは何と20数年ぶりである。毎年手紙のやり取りはあるがなかなか会う機会がなかった。それが二人揃っての上京である。
しかし、これは私に会うための上京ではなく、先週私もお見舞いに行った妙義のA君のお見舞いに上京したのである。
私ももう一度彼らと一緒にお見舞いに行こうとM君をモノレールの大井競馬場駅まで迎えに行き、その後JR品川駅でやはり見舞いにいきたいという後輩のH夫人を車に乗せ、関越道を走り前橋駅でY君とK君を迎えて病院へ見舞いに行った。
A君は個室に移り苦しそうであったが、懐かしい顔が揃ったという事で多少明るい表情を見せてくれた。
今は長く話すと負担になると言う医者のことばで、お見舞いは早々に切上げ東京に戻ることにした。
せっかく二人が上京したというので、彼らの同期9人と私の同期5人の14名が集まり、近況報告会を有楽町で行った。
A君を心配した皆がそれぞれに回復を祈り、近況を語り合ったわけだが、50代前半のそれぞれ大変忙しい人たちがこうやって集まれたのは、A君の人望の成せる業だと皆が感じた。
個別に会えることはあってもこうやって皆が集まり、語り合えるのはそうはないだろうと思う。このひと時は大変贅沢なひと時なのだと感じざるを得ない。
人と会えることがとても贅沢なことだと分かったのは50歳になる少し前からである。年を重ねるたびに会えなくなってしまう人の数が増えていく。この瞬間、瞬間を大切にしていきたいという気持ちがだんだんと強くなる。
Y君とは何と20数年ぶりである。毎年手紙のやり取りはあるがなかなか会う機会がなかった。それが二人揃っての上京である。
しかし、これは私に会うための上京ではなく、先週私もお見舞いに行った妙義のA君のお見舞いに上京したのである。
私ももう一度彼らと一緒にお見舞いに行こうとM君をモノレールの大井競馬場駅まで迎えに行き、その後JR品川駅でやはり見舞いにいきたいという後輩のH夫人を車に乗せ、関越道を走り前橋駅でY君とK君を迎えて病院へ見舞いに行った。
A君は個室に移り苦しそうであったが、懐かしい顔が揃ったという事で多少明るい表情を見せてくれた。
今は長く話すと負担になると言う医者のことばで、お見舞いは早々に切上げ東京に戻ることにした。
せっかく二人が上京したというので、彼らの同期9人と私の同期5人の14名が集まり、近況報告会を有楽町で行った。
A君を心配した皆がそれぞれに回復を祈り、近況を語り合ったわけだが、50代前半のそれぞれ大変忙しい人たちがこうやって集まれたのは、A君の人望の成せる業だと皆が感じた。
個別に会えることはあってもこうやって皆が集まり、語り合えるのはそうはないだろうと思う。このひと時は大変贅沢なひと時なのだと感じざるを得ない。
人と会えることがとても贅沢なことだと分かったのは50歳になる少し前からである。年を重ねるたびに会えなくなってしまう人の数が増えていく。この瞬間、瞬間を大切にしていきたいという気持ちがだんだんと強くなる。