March 22, 2005
京都----いよいよ祇園へ
慌しくホテルからタクシーで鰻、京料理の老舗「ぎをん梅の井」へ。
http://www.gion-umenoi.com/top1.html(雰囲気はこちらで御覧ください)
ここはM先輩の実家で、現在はお兄さんの息子さん(M先輩の甥)が4代目として伝統の味を受け継いでいます。(御覧になった皆さんも祇園へ来たら是非一度お寄りください)
17名は2階のお座敷に上がり会席料理を堪能しながら、お茶屋遊びの前に腹ごなしとばかりに昔話に花を咲かせ盛り上がっていました。
京料理は見た目も味も上品ですので、ゆっくり味わって食べるのがいいのでしょうが、どうも17名も揃い、ましてやM先輩の実家とあって大騒ぎの中での食事となってしまいました。最後に鰻丼で締めて、いよいよ「ぎをん」の街へと繰り出しました。
酔い覚ましにゆっくり歩いてお茶屋「湊屋」さんへ。
道すがら何人かの舞妓さんとすれ違いほーとため息をついていると、M先輩が彼女はまだ舞妓見習いだと教えてくれました。
おかみさんと舞妓さんの案内で2階の座敷へ通されると、3人の舞妓さんと芸妓(おねえさん)が待っていて席を作ってくれました。
下地は十分「梅の井」で出来ていますので、すぐに盛り上がり「トラトラ」という遊びから入りました。遊びの内容は長くなるので、省略しますが、舞妓さんと1対1で踊りながら勝負をし、負けると舞妓さんたちがいっせいに囃(はや)したてビールを飲み干します。
この囃しが絶妙で素晴らしく、ついつい飲み干してしまいます。それも人によって囃しが異なりこれは稽古なくして出せない「芸」だと感心しました。
先程、道すがらすれ違った舞妓さんをM先輩が見習いだと言った訳を聞くと、姿かたちは舞妓のようだが、口紅が下唇だけで上唇には紅が塗ってなかったと言いました。
見習いの舞妓は上唇に紅を塗ることを許されません。修行が終わって始めて上唇に紅が塗れる。16〜17歳から舞妓修行に入って一人前と認められ、やっと両方の唇に紅が塗れるのだそうです。しかし、そこからが始まりで、その後、舞妓の修行を何年か積んで芸妓として認められる。
芸妓になってからでないとかつらは被れない。舞妓のうちは自毛で髪を結うので手入れが大変で寝るのも一苦労のようです。これは旅館に派遣されるコンパニオンやクラブやバーのホステスさんとは全く違う世界だと感じた。
アルバイト感覚ではとても勤まる仕事ではない。それに何とかしてお客さんを楽しませようとの心遣いが伝わってくる。「おねえさん」の目も厳しいものである。にこにこしているが時々舞妓の方をきっと睨んで目で合図をしている。目は口ほどにものを言うとはこのことだ。
いくつかの遊びをしているうちに舞妓さんが5人になっていた。
後から下唇だけの見習いさんが来ていたのだ。さあ賑やかになってきた。4人の遠征隊の女性も大乗りで、立ち上がって踊りだす始末。これはもう止められない。
女性をここまで乗せるこの技は心が入っていなければ出来るものではないでしょう。
義理や仕事だからというレベルでは到底出来ない。プロの技である。
まだまだ幼さの残る舞妓さんではあるが、今日は本当の日本の遊びを楽しませてもらった。
渋谷や新宿に屯する若い女性(うちの娘もそうか)ばかりではないぞ。京都には芸を磨いている若い子もいるぞ。
成長した姿を見に、また、遊びに来よう。そんな思いでお開きにした。
明日はゆっくり起きて「京大和」を見学させてもらおう。
http://www.gion-umenoi.com/top1.html(雰囲気はこちらで御覧ください)
ここはM先輩の実家で、現在はお兄さんの息子さん(M先輩の甥)が4代目として伝統の味を受け継いでいます。(御覧になった皆さんも祇園へ来たら是非一度お寄りください)
17名は2階のお座敷に上がり会席料理を堪能しながら、お茶屋遊びの前に腹ごなしとばかりに昔話に花を咲かせ盛り上がっていました。
京料理は見た目も味も上品ですので、ゆっくり味わって食べるのがいいのでしょうが、どうも17名も揃い、ましてやM先輩の実家とあって大騒ぎの中での食事となってしまいました。最後に鰻丼で締めて、いよいよ「ぎをん」の街へと繰り出しました。
酔い覚ましにゆっくり歩いてお茶屋「湊屋」さんへ。
道すがら何人かの舞妓さんとすれ違いほーとため息をついていると、M先輩が彼女はまだ舞妓見習いだと教えてくれました。
おかみさんと舞妓さんの案内で2階の座敷へ通されると、3人の舞妓さんと芸妓(おねえさん)が待っていて席を作ってくれました。
下地は十分「梅の井」で出来ていますので、すぐに盛り上がり「トラトラ」という遊びから入りました。遊びの内容は長くなるので、省略しますが、舞妓さんと1対1で踊りながら勝負をし、負けると舞妓さんたちがいっせいに囃(はや)したてビールを飲み干します。
この囃しが絶妙で素晴らしく、ついつい飲み干してしまいます。それも人によって囃しが異なりこれは稽古なくして出せない「芸」だと感心しました。
先程、道すがらすれ違った舞妓さんをM先輩が見習いだと言った訳を聞くと、姿かたちは舞妓のようだが、口紅が下唇だけで上唇には紅が塗ってなかったと言いました。
見習いの舞妓は上唇に紅を塗ることを許されません。修行が終わって始めて上唇に紅が塗れる。16〜17歳から舞妓修行に入って一人前と認められ、やっと両方の唇に紅が塗れるのだそうです。しかし、そこからが始まりで、その後、舞妓の修行を何年か積んで芸妓として認められる。
芸妓になってからでないとかつらは被れない。舞妓のうちは自毛で髪を結うので手入れが大変で寝るのも一苦労のようです。これは旅館に派遣されるコンパニオンやクラブやバーのホステスさんとは全く違う世界だと感じた。
アルバイト感覚ではとても勤まる仕事ではない。それに何とかしてお客さんを楽しませようとの心遣いが伝わってくる。「おねえさん」の目も厳しいものである。にこにこしているが時々舞妓の方をきっと睨んで目で合図をしている。目は口ほどにものを言うとはこのことだ。
いくつかの遊びをしているうちに舞妓さんが5人になっていた。
後から下唇だけの見習いさんが来ていたのだ。さあ賑やかになってきた。4人の遠征隊の女性も大乗りで、立ち上がって踊りだす始末。これはもう止められない。
女性をここまで乗せるこの技は心が入っていなければ出来るものではないでしょう。
義理や仕事だからというレベルでは到底出来ない。プロの技である。
まだまだ幼さの残る舞妓さんではあるが、今日は本当の日本の遊びを楽しませてもらった。
渋谷や新宿に屯する若い女性(うちの娘もそうか)ばかりではないぞ。京都には芸を磨いている若い子もいるぞ。
成長した姿を見に、また、遊びに来よう。そんな思いでお開きにした。
明日はゆっくり起きて「京大和」を見学させてもらおう。
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この記事へのコメント
1. Posted by replica prada leather May 19, 2014 16:01
ないとかつらは被れな