February 24, 2005

続心力舎の名前について考える

心力舎の名前についての続編です。

どんな物にも力があります。しかし、その力を正しく使えるかどうかでその人、その企業、その団体の価値が決まります。
財力は一番分かりやすいでしょう。お金をどのように使うかです?
自ら蓄えたお金ですから、自分や家族の楽しみ、趣向のために使うことは一向に構わないと思います。しかし、そういう使い方だけで終わってしまうのか? それともいわゆる人のため、社会のためなどに持てる財力の一部を使うのか? これらによって個人や企業、団体の社会的評価が大きく変わることがあります。(人のためと言って親切を押し付ける人もいますが)
体力や知力もそうでしょう。恵まれた体力を正義に使うか暴力に使うかでは大きな差が生まれます。
知力などは社会のために生かすか、犯罪に活用するかで天と地ほどの開きが生まれるでしょう。
このようにいろいろな物に存在する力をどう活かすか? どう使っていくか? 難しいですね。

いろいろな力の中で、もっとも強大な力をもつ「心の力」。これの活かし方一つで人生や世界を大きく変えてしまいます。
しかし、心に力があるということを認識している人はごく僅かです。
そして、心は弱いもの、繊細なものと思ってしまう人が殆どです。これも心の一面ではありますが、本当の心には大きな力があります。

心の力については、成蹊学園の「心力歌」の第2章の始めに次のような一説があります。

「心に力ありといへども、養はざれば日に泯(ほろ)ぶ。心に霊ありといへども磨(みが)かざれば日に昏(くら)む」中略「心の力と心の霊と、われに備はるものぞと知らば。これを養ひ磨(みが)くべき、道おのづからここに開けむ。」後略(原文引用)

そうです。大きな力を秘めている心といえども養い、磨かなければその力を発揮しません。
そのために心力舎の舎は「学び舎」となっているのです。
日々心を養い、磨いて、その心を尽くせる仕事であればどのような仕事でも請けていこうというのが当社の基本コンセプトです。
どんなに大きな仕事でも、心を尽くせない仕事は行ないません。

ここにひとつの悩みがあります。心力舎は設立7年を過ぎましたが、いまだにロゴマークが決定しません。これは見えない心を表すロゴがなかなか出来ないからです。
いくつもの案が出来ては消えていきました。目に見えない、しかし確かに存在する「こころ」強くもあり、弱くもある「こころ」これをどう表現するかで立ち往生しています。
「こころ」を強くするためには常に積極的に明るくしていかなければなりませんが、私はそれを「はんなり」という京都の方言が現しているように思います。
「はんなり」優しい響きです。「陽気ではなやか」「上品で明るい」というような意味があります。
こころが常に陽気で、上品なはなやかさがあれば、これはもう最強のこころになること請け合いです。
こんなところをヒントにロゴをあらためて考えていきたいと思っていますが、「はんなり」これ自体がつかみどころの無い言葉ですので、余計に迷路に入っていくかもしれません。

ところで、「はんなり」といえば「京都」、「京都」といえば「舞妓」そんなわけで、次回は「舞妓」いや「京都について考える」と題しまして華やかな心になって書いていきたいと思います。


cpiblog00620 at 19:49│Comments(0)TrackBack(0)clip!こころ 

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