雑感

December 01, 2007

「合唱」について考える

浜中開校60周年1
先日、品川区立浜川中学校の開校60周年式典及び祝賀会に招待されて参加してきた。
長女、次女が卒業し、現在三女が通う中学校である。元PTA会長という肩書きでの招待である。本来であれば現役のPTA会員でもあるため、お手伝いをしなければならない立場であるが、現役PTA会員の立場は女房に任せ参列してきた。
10年前、50周年の式典の時は、PTA会長として準備に1年をかけ苦労して開催した。そんな思いもあり関係者の方への感謝の意味もこめてお祝いを懐に出席したのである。

浜川中学は以前大変に荒れた学校であったと言う。(私がPTA会長の時にはかなり落ち着いていたが、)校内暴力がはびこり授業がまともに出来ない状況が数年続いた。それを改善したのが、地域の「青少年を明るくする会(青明会)」と「合唱」である。一人の音楽の先生が荒れた学校の中で、合唱を指導していった。20年前のことである。それが、今では「挨拶」と「合唱」の浜中といわれるまでになった。入学式、卒業式、記念式典には必ず合唱を行なう。年に一度合唱コンクールも開催されている。
そして、1年生より2年生、2年生より3年生とレベルが数段上がっていく。小さな歌声が学年が上がるに従い自信のある大きな歌声になっていく。

合唱が子ども達の連帯感を生み、他のクラスに勝ちたいという競争心に火がついて努力を惜しまず練習に精を出す。そして、歌い終わった後は充実感で皆の顔が輝いている。特に卒業式の合唱は聞くほうも歌うほうも泣きながらの大団円になるのだ。
浜中開校60周年2
もちろん60周年の式典でも1年生から3年生までの合唱を聞いた。
そして、圧巻だったのは祝賀会で披露した教員とPTAによる今回限りの混声合唱団である。
今日1日のために編成された即席の合唱団であるが、校長から新人の教員、PTAの会長から若いお母さんお父さんまでが、何度か集まって練習をした成果を披露したのだ。
モンスターペアレントや不良教員など世間を騒がせている学校が多くあるが、ここ浜川中学校は大変に仲がいい。教員とPTA、学校と地域、先生と生徒と大変に良い環境である。
荒れていた時代が嘘のようだと古い卒業生は感心する。合唱が学校を、生徒を、教員を変えていったのだ。それがよく分かる。

1つのことを継続して伝統にしていくのは口で言うほど容易いものではないと思うが、浜中は合唱を通して学校改革を見事に行なった。そして、立派な伝統となったのだ。
今日の合唱を聞かせてもらって心の底からそう思った。


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November 16, 2007

稲尾和久氏について考える

11月13日未明、元西鉄ライオンズの名投手稲尾和久氏が死去したという。稲尾投手といえば言わずと知れた鉄腕であり、昭和33年の日本シリーズで3連敗の後4連投4連勝で逆転優勝し3連覇を達成した。そして「神様、仏様、稲尾様」とまで言われた投手である。若い人でも稲尾投手を知らない人は少ないであろう。
この年はよく覚えている。住んでいた近くに東京タワーが完成し、セリーグでは巨人が優勝して大騒ぎをしていたのを小学生であったが良く覚えている。
日本シリーズで巨人が3連勝した後、誰も西鉄が逆転優勝をすると予想した人はいなかったはずだ。東京は巨人ファンが多く稲尾を打ち崩せ、西鉄に負けるなという声があちこちで聞かれた。当時はテレビというよりラジオで試合の様子を聞いていた人がほとんどであった。その時の実況中継の一部は次のようなものであった。
「第二カウントから、独特のモーションから第2球。打ちました。大きいこれはホームランか、レフトあきらめたか、ファールか、かまえた、いやホームラン。立役者今日のゲームの立役者稲尾、投げてよし、打ってよしホームラン稲尾のホームラン試合終了。逆転しましたサヨナラ勝ち4対3。抱き合って喜んでいます。三原監督ホームベースまで駆け寄りました。」

高校時代無名であった稲尾選手は、昭和31年バッティング投手として西鉄ライオンズに入団した。キャンプで黙々と主力選手に投げるボールを見て先輩の豊田泰光氏らが名将三原脩監督に進言して主戦投手に引き上げられたという。

稲尾氏の記録は今の生ぬるいピッチャーには考えられないだろう。日本シリーズ7試合のうち6試合に登板し、1シーズン42勝をあげたここともある。そして酷使に耐え、恨み言1つ言わず「丈夫に生んでくれた両親に感謝したい」といつも言っていたというから頭が下がる。

私がこんなに肩入れするのには訳がある。実は昭和53年ライオンズが西武に買収され福岡を去るとき、こんな歌が出来て福岡市民はライオンズが福岡を離れることを惜しんだのだ。
題名は「蘇れ俺の西鉄ライオンズ」福岡では大ヒットした歌であるが、ほとんどの人は知らないであろう。当時私は福岡に住んでいて署名運動にも参加し、「ライオンズを呼び戻す会」の会員にもなった。(この会は少し怪しい会ではあったが)もう30年以上前であるが、いまだに3番まである歌詞を覚えている。そして間奏に先ほど書いた実況中継がながれるのだ。曲の最後は次の実況で終わる。
「レフトフライです。仰木後退芝生に入りました。かまえています。つかみました試合終了。ライオンズついに奇跡の逆転4連勝なりました。いま稲尾がキャッチャーと握手をしています。」
仰木氏も稲尾氏もすでにあちらの世界に行ってしまった。


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October 02, 2007

「シウマイ」について考える

崎陽軒の「シウマイ」をよく食べる。なぜか子どものころからお気に入りの「シウマイ」である。高級ではない。それほど大きくもない。そしていつも冷めた「シウマイ」を食べる。ビールのつまみにはもってこいだ。
あまり気にしていなかったが、他では「シューマイ」と表示されている。崎陽軒は「シウマイ」である。冷めても美味しい「シウマイ」で何となく気に入っていたのだが、日曜日の新聞でそのなぞが解けた。そういう訳だったのかと納得した。

以下は新聞記事の抜粋である。
「崎陽軒はもともと駅構内で食料品や雑貨などを販売することからスタートした。初代社長が小田原にはかまぼこ、静岡にはわさび漬け、浜松にはうなぎという名物がある。横浜で特産品になるものはないかと考えていた。横浜といえば南京街(今の中華街)。当時から賑わっていた南京街で何かいいものはないかと探したところ、料理を注文すると必ずといっていいほど小皿で付いてきたシューマイに目をつけた。さっそく駅で販売を…と思ったが、ふかしたてのシューマイを駅で販売することは不可能。しかもシューマイは冷めるとパサついたり、固くなって味が落ちてしまう。冷めても美味しく食べられるシューマイは出来ないものかと開発に取り組んだ。そして、豚肉にホタテの干し貝柱を戻したものを練りこみ、肉自体にも味をつけておくなどの工夫を凝らして冷めてもおいしく食べられる「シウマイ」が出来上がった。昭和三年、ついに崎陽軒の「シウマイ」は発売された。
発売当初から現在に至るまでレシピや大きさは変えていないという」

これで納得した。冷めたら不味くなるものという常識を覆す工夫があったのだ。そして昔のままのレシピだから懐かしい味で飽きがこないのだ。
「無理だ」「出来ない」というところからは何も生まれてこない。どうしたら「出来るか」と考えるところからチャンスが生まれてくる。
因みに「シューマイ」ではなく崎陽軒は「シウマイ」と表示しているのは、一説には「旨い(ウマイ)という文字を入れたかったからだという。これも考えたものだ。こんなところにも隠し味があった。
シウマイ醤油入れ
もう1つ私が崎陽軒の「シウマイ」を好む訳は、陶器で出来た醤油入れの絵柄が気に入っているからだ。顔と手だけでこれほどまでに表現できるのかといつも感心してしまう。ついつい集めてしまった容器が家には沢山置いてある。


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September 04, 2007

「ところてん」について考える。

先週のことである。友人が高知からところてんを送ってきてくれた。突き棒付の本格ところてんである。ところてん、最近食べてないなーと思ったとたんに口の中がすっぱくなってきた。ところてん
突き棒でところてんを押し出して食べてみた。
びっくりである。付いていたのは酢醤油ではなくだし汁であった。
全くすっぱくない。そばつゆを付けて食べているような感じである。そして美味い。
いやー発見だと思ったら、高知ではダシでところてんを食べるのが常識という。
送ってくれた友人の奥さんは関東のすっぱいところてんは食べられないようだ。

ところてんは心太または心天と書く。どうしてだか分からないが「太い心」や「天の心」と書くようだ。どうもところてんには心が関係していて底が深いように感じたためいろいろ調べてみた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%A6%E3%82%93
うん、いろいろと奥が深い。ところてんは高貴な食べ物のようだ。
そして驚いたのが各地によっていろいろな食べ方があるということだ。
http://www.rakuten.ne.jp/gold/i-kappa/tokomap%20folder/tokomap/index.html
ところてんはやはり奥が深いぞ。
心して食べなくては。それにしても地域によってこれほど差があるとは・・・。
ところ変われば品変わるとはこのことだと改めて納得した。


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August 03, 2007

「横綱」について考える。

「横綱」朝青龍が二場所出場停止、ならびに4ヶ月間減俸ならびに謹慎処分を言い渡された。怪我の診断書を相撲協会に提出し、巡業を欠席すると言いながら母国モンゴルへ無断帰国し、あろう事か親善サッカーをしていたというのだ。
テレビの映像を見る限り怪我など微塵も感じられない。仮病といわれても仕方がない行動である。いや、本当に怪我をしているにもかかわらずサッカーをやったというのであればこれはまた重大な問題である。「横綱」という公職につきながら怪我を押して他のスポーツに興じていたとなれば、「横綱」という地位をあまりにも軽んじ過ぎる軽率極まりない行動である。

これまでも朝青龍は土俵上での粗暴な振る舞い、支度部屋での乱暴、八百長疑惑など横綱としての品格に欠ける行動が多かった。
今までは横綱が1人しかいないという事情もあり、協会も手緩い処分でファンをがっかりさせてきたが、今回は前代未聞「横綱」として初の出場停止という重い処分と受け取られている節もあるが、全く逆である。これほど甘い処分があるかと言いたい。

日本固有の歴史ある相撲は神技であり、「横綱」という地位は絶対不可侵の崇高なものである。
現神といってもいい。降格のない地位ということは死(引退)を持って償うしかない存在なのである。いくらスポーツ化したとはいえ国を代表する武道であり、数多の立派な「横綱」を輩出してきた大相撲である。ここは即引退を勧告するのが協会としての役目であろう。日本人であろうと外国人であろうと「横綱」に変わりはない。それにふさわしい人格を備えた者でなければ「横綱」という地位は守れない。強い相撲取りが「横綱」になるのではない。横綱にふさわしい相撲取りというのが最低条件であり、その条件に叶った者の中から強い相撲取りが「横綱」になるのである。

「横綱」を汚した朝青龍は即引退でなければ禍根を残すであろう。
日本の若者が相撲という世界を敬遠し、それとは反比例するように各国から角界に入門してくる若者は増えてきた。協会や親方衆は大相撲という歴史ある世界を徹底的に教え、教育していかなければ、ファンからそっぽを向かれてしまう。

大相撲ファンとしては今回の事件と処分は大変に寂しい思いでいっぱいである。


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July 26, 2007

「鉛筆」について考える

私は鉛筆をよく使うが、学校を卒業以来一度も購入したことが無い。
購入しないのにどんどん増えていく。現在は大きなおせんべいの箱に使いかけの鉛筆がいっぱい入っている。これだけあればたぶん一生鉛筆を買わなくて済みそうである。
私が小学校の時には皆小刀を筆箱に入れて、休み時間に鉛筆を削って次の時間の準備をしていた。しかし、今は小刀やカッターを学校に持って行ってはいけない。それどころか短い鉛筆を使ってもいけないというのだ。
なぜだ。不思議に思っていたら短い鉛筆を長くして使うキャップも学校へは持ってきてはいけないそうだ。書きづらい鉛筆で勉強してはいけないようだ。そうすると鉛筆削り器で削れなくなった鉛筆はお払い箱になってしまう。そうした鉛筆がたくさん私のところに集まってきたということだ。3人の子どもとその友人から集めた鉛筆がたくさんある。
鉛筆1
シャープペンシルではなく、鉛筆を使うのは自分の成果が短くなる鉛筆で確認できるからである。
私は10ミリ以下になるまで鉛筆を削って使う。最後は持ちづらくなるが長年の技術の成せる業か、あまり苦にならない。
物を最後まで使い切るということを学校でも家庭でも子どもたちに教えなくなって久しい。
使いづらい鉛筆で勉強するより、持ちやすい鉛筆で勉強した方が良く頭に入るという錯覚を持っているようだ。
どんな鉛筆で勉強しても集中しなければ頭には入らない。鉛筆のせいにしてはいけない。

鉛筆を削るという行為にも愛着を持っている。使い慣れて短くなっていく鉛筆にはそれとなく哀愁がありまだ使うぞ、もう少し使うぞ。と意欲が湧いてくる。

鉛筆を削らなくなった小学生が多くなり、物に対する愛着や不器用な子どもが増えていくことに何か危機感のようなものを覚える。
鉛筆ひとつでも情操教育はできるはずだ。学校で鉛筆を削らせよう。
えんぴつ2

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July 06, 2007

「指導」について考える

小学生を相手に剣道の指導を毎週行なっている。仕事の都合でまちまちだが多い週は3回少ない週でも1回は道場へ出るようにしている。
剣道では「手で打つな、足で打て」、「足で打つな、腰で打て」、「腰で打つな、気で打て」というように上達に従って指導のレベルを上げていく。
手打ちの人にいきなり気で打てと言ってもできるものではない。足し算引き算しかできない人にいきなり因数分解をやれと言っても無理であるのと一緒である。

仕事でも同じである。同じことをさせるにもその人の技量によって接し方が変わる。
例えば実力がまだない人が相談に来れば丁寧に教えるが、力があるのに使おうとしない人には自分で考えろと突き放つ。少し力がついてきた人には、考えるヒントを与えて自分で考えさせる。要するに事細かく親切に指導されている人は力が無いと自覚しなければいけない。優しい上司だなどと浮かれていては物笑いである。
逆に突き放される人は力を認めてもらっていると考えていい。楽をして上司や先輩に甘えているのが見透かされているのだ。自分で頭をひねって苦悩しなければもう一回り大きくはならない。

よく、あの人は人によって態度が変わると悪い言い方で言われるが、それが当たり前なのだ。全ての人に同じように接していては仕事を回せない。接し方を変えながら指導していかなければ下の人は伸びないのだ。
もちろんこれは「指導」でのことである。プライベートや懇親の場でのことではない。そこを間違ったり混同したりしているととんでもないことになる。

八方美人は仕事の場では通用しない。出来ない人から慕われ、力のある人からは煙たがられるようにならなければ指導者とはいえない。

剣道でも初心者は楽しい、楽しいと言って熱心に竹刀を握るが、防具をつけて打ち合うようになると、指導も厳しくなり辛く感じるようになる。そこからが本当の剣道なのだが、子どもたちは他のスポーツへ移ってしまう。
会社でも責任のある仕事を任されると途端に潰れてしまう人がいる。

期待されているからこそ厳しい稽古になり、力を認めてもらっているからこそ責任のある仕事を任されるのである。
自分が指導する立場になればきっと分かるのだが・・・。


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June 11, 2007

「誤植」について考える

東京駅が創業当事の姿に戻るという。
3階建てで左右に円形ドームをもつ創業時の美しい姿が2011年に蘇るという。今までも何度か復元の話が出たが、改修工事費が莫大なため断ち切れになってしまったようだ。しかし、今回は900%ある容積率の使用しない分(空中権)を売って改修工事費500億円のほとんどを賄うという。今までは考えられなかった手法である。丸の内の地価が上昇したこともこういう手法で資金調達が可能になる要因であったのだろうが、それにしても空中権が売買の対象になるというのも時代だなーとつくづく思う。

その東京駅をよく利用するが今年の2月から気になることがある。八重洲口の駅構内有楽町寄りで囲いをしながら工事を行なっているのだが、奇妙な工事の貼紙がしてある。写真で見て分かるように、赤く目立つ字で「八重洲支障移転工事」と記されている。その貼紙も1枚や2枚ではない。少なくても10枚以上は広い囲いに張ってある。東京駅長と東京工事区長名で堂々と貼ってあるのだ。それも1月からのようである。
東京駅貼紙誤植
最初に気がついたのが、2月頃であった。あれっと思ったが、八重洲にある何か「支障」になっているものを移転するのだろうか? いやこれは「支所」の間違いではないのだろうか?まあ、間違いならそのうち直すだろうと過ぎ去った。それから今日まで何度か東京駅を利用してこの奇妙な貼紙の前を通ったが、全く貼りかえる様子が無い。誰か見た人が「支障」に×印をして「支所」と書き換えて?を付けていたが、その後も貼りかえる気配が無い。工事の人も、駅員も、通行人も皆見ているはずであるが、貼りかえる気配が無いところを見ると、これは「八重洲支障移転工事」でいいのだ。何だか意味は分からないが、こういうことなんだろうと今日は本気で思ってしまった。

「支所」を「支障」と誤植してしまったのだとしたら、早く貼りかえた方がいいですよ。工事をしている人や、駅員の人達皆気がついているんでしょ。だったら駅長に恥をかかさないで直しましょうよ。500億円のプロジェクト、貼換えなんて大した費用じゃないですよ。
人のやること必ずミスは起きますが、起きたミスはほっとかないですぐに対処しないといけません。東京駅が立派になってもそこで働く人達が見てみぬ振りではいただけません。
特に日本一の東京駅、今日も修学旅行の中学生がたくさん貼紙の前を通っていました。笑われちゃうから直してください。

でも「八重洲支障移転工事」でいいのだとしたら意味を教えてください。


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June 06, 2007

「自作自演」について考える

先月23日、金沢市内で石川県警警務部に所属する44歳の警部補が刺された事件は、自作自演だったと新聞に書いてあった。事情は詳しく報道されていないが、「出勤したくなかった。誰かが見つけてくれると思った」と話しているという。
全く人騒がせな警察官である。警察官が刺されたというニュースで近隣の住民はここ2週間不安に駆られていたであろう。仕事に対応できず、出勤したくなかったという身勝手な理由で世間を騒がせるとは、警察官としてあるまじき行為であり決して許されることではない。
こういう事件が起きると必ずしたり顔で、警察内部に問題があったのではないか、不適切な配置ではなかったかなど周りを非難する論調が出てくるが、甘ったれた本人が最初に非難されなければならない。
警察官だけではないが、公務員の質が落ちてきている。いや日本人全体の質が落ちてきているようだ。戦争まで極論するつもりはないが、危機感を持っての生活が緊張感を生み、生活にメリハリを持たせると思う。平和ボケ、幸せボケもいいかげんにしてもらいたい。

今回の事件を「自作自演」と呼んで報道している新聞が多いが、どうも意味が違うように思う。自分で行ないながら盗難にあっただとか、怪我を負わされたなど被害者を装うような悪い意味に良く使われるが、「自作」とは自ら作ると書くが、もともと自分の所有する農地を耕作して農業を経営することからきていると辞書にも書いてある。また、「自演」とは自分の作品に自分が出演したり、自分で演出したりするということであり、今回の事件のような陳腐なことを指して「自作自演」といってしまうとこの言葉の崇高さが失われるような気がする。「自作自演」とはもっと高いレベルのことを指すのであって、今回のような
低レベルの事件は、金沢の警察官が起した「馬鹿な行為」と切り捨てればいいのである。


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May 29, 2007

「自殺」について考える

なんとか還元水の松岡利勝農水大臣が、昨日議員宿舎で首を吊って自殺したという。
またかとつい思ってしまった。自殺をすれば済むと思っている輩があまりにも多すぎる。一国の大臣ですらこうである。昔にも乃木大将の殉死のように自殺があったが、今の自殺はあまりにも軽すぎる。逃げ場を失って死を選ぶ。そんな感じがしてならない。

朝のニュースのインタビューで、男らしい責任の取り方だと大馬鹿者が言っていたのを聞いて呆れてしまった。
多発する子どもの自殺を何とか食い止めようと必死になっている人たちは、がっかりしてしまうだろう。模範になるべき大臣がこの有様である。死者に鞭打つつもりはないが、松岡大臣の自殺は犬死以外の何者でもない。

男らしいと言っていた大馬鹿者に、山本五十六元帥の「男の修行」を聞かせたい。

苦しいこともあるだろう。
云いたいこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣きたいこともあるだろう。
これらをじっとこらえていくのが、男の修行である。

修行もできない男達にこの国は動かされているのかと思うと恐ろしくなる。
真似するなよ!子どもたち。

自殺については言いたいことがたくさんある。
改めて話をしたいと思う。


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May 22, 2007

「幻のKURIKURI CAFFE」について考える

kurikuri
5月19日の土曜日、T社長と朝からバタバタと墨田区の製本所で書籍を引き取り、市川にあるAmazon e託販売サービスへ納品に行ってきた。
その帰り、幻のKURIKURI CAFFEへ寄ってランチを食べた。
なぜ幻なのか? それはたった2週間だけのCAFFEだからである。
旧中川沿いの奥まった人通りの少ない立地に誇らしげに開店していた。
たった2週間とはいえ手を抜かず本格的なCAFFEを作り上げていたのには驚いた。もっと驚いたのは、2週間後は壊してしまうというのである。
保健所の許可を取り、ガスを入れて調理場を作り、内装の家具を製作し、看板を架けて、飾り付けをしてそれで2週間後は壊してしまうというのである。
kurikuri2
KURIKURI CAFFEはデザイナーの松田由紀さんと木工職人の武田寛子さん合作のGALLERY CAFFEである。2週間で閉店してしまうのだが、由紀さんと寛子さんの二人とも屈託が無い。
コーヒー600円、お菓子400円、日替わりランチ1000円、ケーキ250円〜など食べ物も本格的に出している。もちろん味もいい。お土産にケーキを買って帰ったほどである。
厨房の奥から由紀さんの旦那さんも顔を出した。「いやー大変ですよ」というものの楽しそうである。
もちろん2週間で利益など出るはずもない。しかし、来店する人たちが喜んで帰っていく。5人から6人も入れば一杯のスペースであるが、ドアを開けて開放的なせいか広く感じる。
1時間ばかりお邪魔して、帰り際「楽しいことまた一緒にやりましょうよ、大きくは儲からないけど、楽しければいいじゃないですか」と旦那さんと二人で話しかけてきた。

そういえば10年位前はよく一緒に仕事をした。厳しい条件の中でお互いひいひい言いながらも何とかクライアントに喜んでもらえるものを作ってきたものだ。
確かに利益はあまりなかったが、満足感があった。
そういう仕事をまたやりましょうということだろう。KURIKURI CAFFEで仕事の原点を再確認させられた。

2週間休みなし、睡眠時間は4時間だという。たった2週間の幻のKURIKURI CAFFEである。5月26日で閉店になる。急げば未だ間に合うぞ。お近くの人、是非寄ってみてください。

東京都墨田区立花3-5-9 http://showsgarden.co.jp/kurikuri/index.html

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May 19, 2007

「看板車」について考える

「看板車」とは車体に会社名や商品名を大きく書いて走っている車のことである。最近では絵を入れたり、カラフルなデザインにしたりする車も多くある。文字通り走りながら看板を背負って宣伝をしているわけである。
しかし、運転している人は自分が看板車に乗っているという自覚がない人が多いように感じる。
最近、大手の有名なお弁当屋さんの看板車が、結構なスピードを出して割り込んできた。弁当の配達は時間が決められているので、それで慌てていたのかも知れないが、こちらとしては「何だ!この車」と思ってしまう。それどころかとんでもない弁当屋だということになってしまう。弁当屋(会社)に何の罪も恨みも無いが、ついついひどい運転をする人だと思わず、ひどい運転をする弁当屋だと飛躍してしまう。
それが看板車の宿命である。逆に道を譲ったり、安全運転をしたりしていると優しい弁当屋だと思い込んでしまう。こういう弁当屋なら味もきっといいだろうと飛躍するものである。安全運転は良い宣伝になる。

看板車は宣伝にもなるし、評判を落とす元にもなる。そういう自覚が無いドライバーが多すぎるように感じる。会社の評判を背負って運転しているのだという自覚があれば、わざわざ営業をしなくても看板車で十分営業が出来るのだ。
社名が書いてあるだけでも乱暴な運転をすると、あの会社にいる社員はろくでもない社員ばかりだと印象付けてしまう。

看板車のドライバー諸君、その点を重々承知して運転をしてください。そうするだけで、会社の評判が上がるだけでなく、交通事故が目に見えて減っていくことでしょう。


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「看板車」について考える

「看板車」とは車体に会社名や商品名を大きく書いて走っている車のことである。最近では絵を入れたり、カラフルなデザインにしたりする車も多くある。文字通り走りながら看板を背負って宣伝をしているわけである。
しかし、運転している人は自分が看板車に乗っているという自覚がない人が多いように感じる。
最近、大手の有名なお弁当屋さんの看板車が、結構なスピードを出して割り込んできた。弁当の配達は時間が決められているので、それで慌てていたのかも知れないが、こちらとしては「何だ!この車」と思ってしまう。それどころかとんでもない弁当屋だということになってしまう。弁当屋(会社)に何の罪も恨みも無いが、ついついひどい運転をする人だと思わず、ひどい運転をする弁当屋だと飛躍してしまう。
それが看板車の宿命である。逆に道を譲ったり、安全運転をしたりしていると優しい弁当屋だと思い込んでしまう。こういう弁当屋なら味もきっといいだろうと飛躍するものである。安全運転は良い宣伝になる。

看板車は宣伝にもなるし、評判を落とす元にもなる。そういう自覚が無いドライバーが多すぎるように感じる。会社の評判を背負って運転しているのだという自覚があれば、わざわざ営業をしなくても看板車で十分営業が出来るのだ。
社名が書いてあるだけでも乱暴な運転をすると、あの会社にいる社員はろくでもない社員ばかりだと印象付けてしまう。

看板車のドライバー諸君、その点を重々承知して運転をしてください。そうするだけで、会社の評判が上がるだけでなく、交通事故が目に見えて減っていくことでしょう。


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May 11, 2007

「先生」と呼ばれることについて考える

3月中旬の日曜日、福島県の郡山へ講師として呼ばれて行って来た。主催は福島県異業種交流研究会である。年に何度か勉強会を行なっているという。今回は「環境事業の将来性と取り組みについて」という演題で2時間の講演を行なった。
年に何度か講演を頼まれるが、教育関係が多く環境事業での講演は初めてである。
当社は近年環境事業に力を入れ始めている。そして取り組んでいる事業も1、きんちゃく式ごみ袋 2、多機能性特殊塗料 3、廃油改質機 4、節水システム 5、バッテリー再生など環境事業と言ってもまだそれほど世の中に広がっていない事業を先駆的に行なっている。
そういった事業の将来性や取り組み方について話をしてもらいたいということで出かけていった。

講演の数ヶ月前同じ環境事業の取り組みについて今回参加している企業の1つに足を運んだことがある。その時はこちらが取り組みについて説明する営業会社という立場でいわゆるお願い型であった。営業で伺うとほとんどの企業が身構えて、話をしていてもどうもぎこちない。立場も弱い立場になる。
それがどうだろう。講師で話をしたとたん、先生と呼ばれるようになる。こちらが席に座っていても向こうから名刺交換にやってくる。営業で回るときとは全く逆である。同じ人が同じ話をしても、営業として話すときと講師として話をするときとではこれほど違うのだ。「先生」と呼ばれるだけで立場が逆転してしまう。

どうもほとんどの人は中身ではなく肩書きで判断する傾向がある。本人も自分が「先生」と呼ばれると何となく偉くなったように勘違いしてしまう。典型的なのが学校の先生たちである。学校を出てすぐ先生と呼ばれ、その気になってしまう輩が多すぎる。もう少し身を引き締めて自省をして教壇に立つべきであろうといつも思っている。

講演の後、懇親会でも交流研究会の会長の横に座り参加者からお酒をつがれると何だか偉くなったように勘違いする。
そんな時いつもこの川柳が頭に浮んでくる。

「先生」と呼ばれるほどの馬鹿でなし。

まあ、たまには「先生」もいいだろう。


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「先生」と呼ばれることについて考える

3月中旬の日曜日、福島県の郡山へ講師として呼ばれて行って来た。主催は福島県異業種交流研究会である。年に何度か勉強会を行なっているという。今回は「環境事業の将来性と取り組みについて」という演題で2時間の講演を行なった。
年に何度か講演を頼まれるが、教育関係が多く環境事業での講演は初めてである。
当社は近年環境事業に力を入れ始めている。そして取り組んでいる事業も1、きんちゃく式ごみ袋 2、多機能性特殊塗料 3、廃油改質機 4、節水システム 5、バッテリー再生など環境事業と言ってもまだそれほど世の中に広がっていない事業を先駆的に行なっている。
そういった事業の将来性や取り組み方について話をしてもらいたいということで出かけていった。

講演の数ヶ月前同じ環境事業の取り組みについて今回参加している企業の1つに足を運んだことがある。その時はこちらが取り組みについて説明する営業会社という立場でいわゆるお願い型であった。営業で伺うとほとんどの企業が身構えて、話をしていてもどうもぎこちない。立場も弱い立場になる。
それがどうだろう。講師で話をしたとたん、先生と呼ばれるようになる。こちらが席に座っていても向こうから名刺交換にやってくる。営業で回るときとは全く逆である。同じ人が同じ話をしても、営業として話すときと講師として話をするときとではこれほど違うのだ。「先生」と呼ばれるだけで立場が逆転してしまう。

どうもほとんどの人は中身ではなく肩書きで判断する傾向がある。本人も自分が「先生」と呼ばれると何となく偉くなったように勘違いしてしまう。典型的なのが学校の先生たちである。学校を出てすぐ先生と呼ばれ、その気になってしまう輩が多すぎる。もう少し身を引き締めて自省をして教壇に立つべきであろうといつも思っている。

講演の後、懇親会でも交流研究会の会長の横に座り参加者からお酒をつがれると何だか偉くなったように勘違いする。
そんな時いつもこの川柳が頭に浮んでくる。

「先生」と呼ばれるほどの馬鹿でなし。

まあ、たまには「先生」もいいだろう。


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April 07, 2007

「東京タワー」について考える

今東京タワーが人気である。いつからだろうか?
昭和33年12月に完成したときには、それは大変な賑わいであった。その賑わいが続いたのが東京オリンピックの開催された昭和39年頃までであっただろうか?
そして、いつの頃からか東京タワーが話題にのぼらなくなった。

完成前よく芝公園の山に登り、建設途中のタワーを眺めていた。ちょうど小学校1年生から2年生の時である。「3丁目の夕日」そのままの光景がそこにはあった。
東京タワーは増上寺の墓地を一部取り壊して建設されたため、建設途中から怪奇現象が起きると噂されよく肝試しと称して夜に友達や上級生と連れ立って建設中のタワーを眺めにいった。その頃完成近いタワーから1人のとび職が転落して即死した。やはり祟りだ。とその時は本当に驚いた。完成まではもう近くには行かないぞと心に決めて自宅の屋根の物干し場から眺めていた。

完成したときにはすぐさま階段で展望台まで上がっていった。外階段で大変怖かったが、エレベーターは長蛇の列であり、そんなに高いところまでエレベーターが上がれるものだろうかと不安であったのだ。もちろん小学2年生では1人では行けない。あの頃は近くの中学生や高校生がよく遊んでくれた。商売をやっている家が多く、両親はいつも忙しそうであったからである。ちょうど「3丁目の夕日」の「鈴木オート」のような工場や店が長屋のように密集していた。
そういえばあの頃私が住んでいた住所は、港区金杉3丁目であった。子どもの足で芝公園の広い敷地を抜けて東京タワーまで歩いて15分弱の所である。

そしてオリンピックの年、入学した中学校は正しく東京タワーの真下のある芝学園である。
6年間毎日、東京タワーを見上げて登校した。
そして、いつからか東京タワーのことが気にならなくなった。いや何かダサい建物だという印象すら持つようになり、避けるようになった。
昭和43年特別展望台がオープンした。その時もあまり興味はなかった。毎日、毎日見上げていたせいかも知れない。

平成元年に、それまでクリスマスの電球のように四隅に一定の間隔をおいて、シルエットのみを浮き上がらせていた照明が、美しく塔全体をライトアップする照明に変わったときは目を見張った。何か東京タワーが生き返ったような印象すら受けたものだ。
それは私が15年ぶりに東京タワーの下へ戻ってきて間もなくの頃であった。
それからだ。再び東京タワーが気になりだしたのは。東京タワー1

そして、今、「3丁目の夕日」や「東京タワー オカンとぼくと時々オトン」で東京タワーが建設当時のように脚光を浴びてきた。
当社のシ−ガル(http://www.seagull.cc/)というグリーティングカードショップでも東京タワーのカードが一番人気である。

東京タワーにはいろいろな思いが詰まっている。くっついたり、離れたり、反発したり、懐かしんだり、いろいろな思いのある東京タワーが今人気になっているのは嬉しいことでもあり、自慢でもある。
東京タワー2
東京タワーが立ち上がるのを毎日見ていたんだぞ。
それがどうした。という声が聞こえるが、「3丁目の夕日」の中に俺はいたんだ。


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March 31, 2007

「被災地ボランティア」について考える

能登半島沖の地震では、1人の死亡と250人の重軽傷者を出し、多くの被災者が避難所で今なお不自由な生活を強いられている。
特に高齢者の多い地域だけに復興には多くのボランティアの方の力が必要である。被災者の精神的なケア、介護、瓦礫の片付けや炊き出しなど多くの力が必要である。
現地には全国からボランティアの方が駆けつけているという心強い報告もあるが、こんな時こそ「平成の学徒出陣」が必要ではないだろうか。

発想はこうである。
大学生に国内でのボランティア活動を義務として年間1人7日間以上課すのだ。大学はこれを後押しし、その期間は出席日数にカウントし、交通費、宿泊費は国または自治体と大学とで負担する。もちろん体の不自由な人や、両親や弟、妹などの面倒をみざるを得ないため、家を空けることが出来ないなどの個別の事情がある人は免除である。
学割に代表されるように、大学生は社会から猶予されている人たちである。大きな災害が起き、多くのボランティアが必要な時こそ活躍すべきであろう。被災地近くの大学から組織として学生を派遣する「平成の学徒出陣」が必要ではないだろうか?

若い人たちが被災地に向かうことで、復興にも活気が出てくるはずである。高齢者の方の話し相手になるだけや、散らかった家財を片付けるだけでも大きな力になる。
いつからか大学がレジャーランドと呼ばれるようになってしまった。また、スーパーフリーのように大学生の犯罪も目立つ。大学生の多くは腐ってしまったのだろうか?
いやそんなことはない。「場」さえ与えればしっかりと活躍してくれる。そんなことを恩師から学んだ。

私の恩師であるT先生は、阪神淡路大震災の翌年から何年にもわたってゼミの学生を連れて神戸にボランティアに向かった。T先生のゼミでは被災地ゼミ合宿として恒例行事となったのだ。
阪神淡路大震災10年目に第9回被災地ゼミ合宿が行なわれ、その様子をお手紙でいただいた。「今年は、10年経った今なお残る傷の深さを理解してもらうことが目的です。」と書いてあった。「被災後すぐは多くのボランティアが現地に溢れ混乱していました。1年後の春、休職や休学をして被災地に来ていた人たちがこぞって本務に戻った時が転機でした。その夏に被災地ゼミ合宿が始まりました」と、合宿を始めたいきさつも書いてあった。
8月に4年生20人、9月に3年生25人が全員被災地入りをしたという。
最初は宿泊所もなく、保育園や焼け跡のバラックに雑魚寝をして仮設住宅での勤労奉仕や復興住宅慰問、福祉施設での勤労、引越しの支援などを行ない、多くの経験を学生に積ませた。

そうだ、今こそ「学徒出陣」だ。若い人たちの力を思いっきり活用させてもらおう。
大学関係者の皆さん、活きた教育を今こそ積ませようではありませんか。そして地域に奉仕する精神を学ばせようではありませんか。T先生のように。


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March 17, 2007

「何とか還元水」について考える

最近政界で話題になっている「何とか還元水」について考えてみた。

事の発端は「何とか大臣」が官舎で水道光熱費が無料のところにもかかわらず、年間507万円もの水道光熱費を計上していたということが発覚したことから始まった。
無料のはずの水道光熱費が何で500万円以上も計上されるのだ。何か他の事に流用したのであろうと追及され、苦し紛れか本当か?「何とか還元水」をつけているので、その費用だと言ったから大騒動になった。
官舎を調べて機器が付けられる、付けられないなど議論が出て、ついに1本500mlで5,250円の有機ゲルマニウム水を飲んでいたための費用なのだといいだす人も現れた。

いやはやマンガを見ているようだとついついニタニタしてしまった。この件に限らず昨今の不祥事を見ていると政治家はよほど神経が図太いのだろう。または厚顔無恥なのだろうと思ってしまう。
最初「何とか還元水」と言った時には、これは商品名を出すと影響が出たり、宣伝になったりするので、伏せているのだろうと真剣に考えたが、全くそうではないらしい。
もし、年間507円もする還元水だとしたら、よほどあくどい業者に騙されたとしか思えない。どんなに高くても月に10万円はしないからである。それを1年間もおとなしく払っていたとしたら、よほど「間抜けな大臣」である。
また、「何とか還元水」を付けたとしてもそれは設備費であり、水道光熱費ではない。これも誠に「とんまな大臣」である。

また、「何とか還元水」が嘘であれば今度は「大嘘つきな大臣」ということになる。
また、1本5,250円という有機ゲルマニウム水を毎日4本も飲んでいたとしたら、経済観念のない「税金泥棒大臣」と言うことになる。
そして、嘘をついて他に流用したとしたら、「詐欺大臣」になる。いずれにしても良いことはない。われわれの血税を507万円も文字通り水の泡としてしまったとしたら、これは万死に値する。

さあ、何大臣になるかは本人が決めることだが、早く「何とか前大臣」となることを望むのは私だけではないだろう。


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March 02, 2007

「赤ちゃんポスト」について考える

親が何かの理由で育てられない新生児を匿名でも受け入れるという「赤ちゃんポスト」の設置を熊本市の慈恵病院が計画し、厚生労働省が違法か否か検討していた問題で厚生労働省は2月22日に「直ちに違法とは言い切れない」との見解を示した。これにより全国初の赤ちゃんポストが熊本市に誕生することになりそうである。
これについては「育児放棄を助長する」「命を救うためにはやむを得ない」など賛否両論があるというが、私は大賛成である。

育児放棄を助長すると言うが、ポストが出来て育児放棄を簡単にするような親は、ポストがなければ虐待か、遺棄をするであろう。また、子どもの命を救うだけではなく、「育てられない」と追い詰められて罪を犯す親をポストは救うことにもなるのだ。
ポストは母子ともに救う観音様のような存在ではないかと思う。
心ある親はどんなに貧しくても、過酷な状況であっても、自分の子どもが愛おしいと思えば育てられないことはない。ポストが設置されたからといって、その気持ちが揺らぐとは到底思えない。
むしろポストがあるという安心感で、人知れず出産に悩んでいる母親に勇気を与えるのではないだろうか? 自分の子を産めば、普通の親であれば愛おしくてたまらないだろう。万が一邪魔でしょうがないという気持ちを持つ親がいたとしても、ポストの存在が母親の罪を未然に防ぎ、子どもの命を救うことになる。

日本全国の市町村長さん熊本に負けずに「赤ちゃんポスト」を設置していきましょう。

「赤ちゃんポスト」(新聞の解説より)
ドイツのキリスト教系社団法人が2000年に設置し、70箇所以上に広がっている。慈恵病院の計画名は「こうのとりのゆりかご」で、外壁に縦45センチ、横65センチの扉を付け、温度を36度に保った内部の医療機器に赤ちゃんを預けられるようにする。赤ちゃんが置かれると、重さでセンサーが感知し、院内にブザーで知らせる。監視カメラは付けない。


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February 17, 2007

「親・教師」について考える

先日、全国連合退職校長会会長のT先生から電話をいただいた。先生とは8年前から交流があり何度か書籍の出版でご一緒させて頂いた。
先生は開口一番「三浦さん困ったことだな。最近の教師や親は、これでは子どもたちが可愛そうだ。とにかく本も読まない。こんなことじゃ教育は出来ないよ」T先生は90歳に近い年齢であるが、かくしゃくとして頭もよく回る。持病を持っているが、今でも教育に奔走している。

先生はお電話の度に教師や親を教育しなければダメだよと言い続けている。
確かに私もそう思う。親や教師の質があまりにも落ちすぎている。立派な親や教師も相当数いるとは思う。しかし、テレビや新聞、週刊誌を賑わしている親や教師の破廉恥で情けない報道を聞くたびに、本当に子どもたちが可愛そうになってくる。

電話を切った後、2001年5月にT先生のご協力で発行した「練達の教育者たち」(89名の退職した元校長先生方による教育論http://www.shinryokusha.co.jp/smc/pub/ren.html)を読み直した。主張は違ってもそれぞれに皆一本筋が通っている。何度読んでも感心させられる。このような先生方に指導を受けた生徒は幸せだと思う。
実は私もその幸せ者の1人で、恩師の故西川 猛先生の文章は何度も読み返している。

先生の文章の一部を引用させて頂く。
教育とは、子どもの「自分探しの旅」を支援することである。
人間は、死ぬまで「自分探しの旅」を自分で進めていくしかない。
ドイツに定住しているデンマーク人が「子どもには、親の義務としてデンマークの歴史と言葉だけは教えておきたい。将来は自分で決めるとしても」。今でも私の心に残っている。他律から自律に向けて成長する子どもたちに、望ましい資質を見につけるように指導することが教師や親の支援の仕方である。

親が先ず子どもを教育する。教育を受けた子どもが学校で先生について勉学に励み、部活やクラスの仲間を通して社会性を学び、親や教師が子どもたちの「自分探しの旅」を支援する。いつになったらこういう循環が出来るようになるのだろうか?

評論でない、現場の教育論の書物をもっともっと親や教師に読んでもらいたい。


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January 03, 2007

2007年正月

あけましておめでとうございます。

今年の正月もいつものようにお墓参りからスタートした。
1月1日朝7時過ぎに車で立川の近くにある霊園へ行く。今年は比較的暖かく風もない穏やかな元旦であるが、それでも霜柱が霊園のあちこちに立っている。それを踏みしめながら三浦家のお墓にお供えをして新年のお参りをする。
霊園を出た後は、毎年のコースである三縁山増上寺から芝大神宮へ廻って、初参りをして戻る。増上寺も芝大神宮も私にとっては大変に縁のあるところである。そのことについては改めてブログで書くことにする。

12時過ぎに母のところへ戻り皆で新年のお祝いをする。
仏壇にお雑煮をお供えしてお屠蘇を頂き、おせち料理を食べて今年の無病息災を祈る。
1時間30分ほどして自宅へ戻り、年賀状の整理と学生から来た年賀状に返事を書く。
自宅でもお正月だということで誰に憚ることなく酒を飲む。やはりお正月には日本酒が似合う。あたりがそろそろ暗くなってきたので、お酒のペースが上がるが、明日は箱根駅伝があるため早めに寝ることにする。

翌朝、三女に起こされて7時に起床する。テレビをつけると箱根駅伝の番組が始まっている。8時スタートだという。テレビを見ながら選手が田町駅前を過ぎたあたりで、出かけることにした。特段贔屓にしている学校はないが、学生の試合は面白い。駅伝1駅伝2今年は三女が通う中学校の冬休みの課題として、箱根駅伝を10分以上沿道で観戦することという宿題が出ていた。そこで三女と連れ立って鮫洲駅前に観戦に行く。すでに大勢の人たちが沿道に出ている。先頭の東海大学の選手が通過していく。しばらくして2位の選手、そして一団となって3位集団が通過する。それを見届けと、鮫洲神社へお参りをして急いで自宅へ戻りテレビ観戦をする。
いつもであれば酒を出して飲み始めるのだが、今日は天気がいいので、浅草へ行って食事をすることにした。
雷門
浅草でビールと熱燗を飲みながら、てんぷらを食べる。浅草はてんぷらの美味しい店がいくつもあるのだ。>てんぷらここまで来て浅草寺を素通りするわけには行かない。仲見世を通り参道に行くと大変な人である。参拝するのに30分くらい並ぶ。参拝後、ちょっと寄るかということで、屋台の店に入り、ここでも熱燗を1本飲んで帰る。
屋台
戻って〆に頂いた八海山をあけて飲む。やはり正月はいいな。しかし、明日はもう会社の準備を始めなければならない。3日からは浮かれて酒ばかりを飲んではいられないぞ。

December 31, 2006

再び「年末」について考える

昨年の大晦日に「年末」について考えると題してブログを書いたが、今年も再び「年末」について考えてみたい。
12月30日は私にとっては大変に忙しい。お飾りをする日であるからだ。昨年も書いたが、自転車、自家用車にもお飾りをする。私の命を預かる乗り物である、仇や疎かにはできない。当家では自動車はもちろんのこと、全員の自転車と会社の自転車の前かごにもお飾りをして正月中走りまわる。昨年の無事故を感謝して今年も安全を祈願するためである。
今では自転車や自動車にお飾りをしない人が圧倒的多数であるが、お飾りをして走ると、何か優越感のようなものと気恥ずかしさのようなものが交じり合い不思議な気持ちである。
まあ古典的なスタイルだがやめるつもりは毛頭ない。

年末になると挨拶代わりに「いやー1年は早いですね」と皆言うが昔から1年の長さは変わらない。過ぎてしまうと何もかも早く感じるが、私の1年を振り返ってみるといろいろなことがあった。海外へはニューヨークやシアトル、パラオに出張し、国内では金沢、仙台、熊本、湯布院、天草、長野、京都、佐渡ヶ島、新潟、四日市、妙義、益田、那須、伊東、熱海、初島へ出かけ、剣道では合宿や大会、講習会に審査会そして毎週の稽古会があり、親族や友人、先輩、後輩の葬儀も沢山あった。ゴルフで朝早くから出かけたことも2度や3度ではない。怪我も何度かして病院へも通った。もちろん仕事は毎日遅くまでしていたし、飲み会も何十回となくあった。
お墓参りやいろいろなご挨拶廻り、スピーチも何度となく頼まれ、手紙やメールは日常茶飯事で行なった。
一つ一つ思い出すと何と長い1年であったろう。みんなはそれらを纏めてしまうから短く感じてしまうのだ。一つ一つをしっかり噛み締めるとよくまあこれだけのことを1年でやってきたと自分ながら感心する。

12月30日に今年最後の打ち合わせをN社長と行ったが、それからが正月の準備で大変である。毎年、慌しく正月に雪崩れ込むという感じであるが、忙しい時ほどいろいろな発想が湧いてくる。今日も来年に向けての企画を3つ書き留めた。すぐにメモしておかないと泡のように消えてしまう。発想というのは一瞬にして湧いては消えてしまう。だから私はどこにもメモを置いてある。トイレにも枕元にももちろん食卓にも。かばんやポーチにはボールペンとメモ用紙が常に用意されている。

正月を迎える準備の最後はいつもトイレ掃除である。それも会社のトイレを掃除して1年の締めくくりとする。他は掃除が出来なくてもトイレだけは掃除をして帰る。それだけで何か清清しい気分になるから不思議だ。
さあ明日からまた長く、充実した1年が始まる。


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December 12, 2006

小雨の東京国際女子マラソン


11月19日小雨の中、東京国際女子マラソンが行なわれた。小雨が降っていたので、テレビで観戦するつもりであったが、第一京浜の品川駅前を選手が通過すると何か体がうずうずして沿道へ出たくなってきた。自宅から徒歩で5〜6分の第一京浜を選手たちが大森海岸へ向けて走るのだ。ここは箱根駅伝のコースにもなっていて沿道での応援は私にとって正月の恒例になっている。

東京国際女子マラソンの折り返し地点は大森海岸駅前である。ちょうど鮫洲駅前で観戦すると20分くらいで行きと帰りの両方が観戦できる。最高のポイントである。
土佐選手と高橋選手が品川の八山橋を越えた辺りで自宅を出ようとすると電話が鳴り出した。受話器を取ると何やら丁寧に挨拶するので、子どもの学校関係の人かと思い話を聞くと何のことは無い塾の勧誘であった。必要ありませんと言って切るが、すでに選手たちは新馬場の駅前を通過してしまっている。これはまずい。慌てて自宅を出て鮫洲駅に向かう。ちょうど駅前についた時にはすでに二人は通過した後であった。仕方がない。帰りを待とうと沿道で傘を差していると後続の選手が通過していく。
中には「女将頑張れ」などと応援する一団があった。「女将」らしい選手が手を上げて「目標達成」と叫んでいる。また、伴走の男性を連れて走っている選手もいる。沿道観戦の醍醐味はテレビに映らない選手たちの様子を見られることだ。
これだから正月の箱根駅伝も沿道観戦がやめられない。正月はしこたま朝から飲んで応援に行くため、声援も大きな声になる。そのうちテレビにも私の声援風景が映るのではないかと思う。東京国際女子マラソン2
そうこうしているうちに折り返した先頭の土佐選手が見えてきた。すぐ後を高橋選手が追っている。余裕があるのはどちらかはっきりとは分からなかったが、後ろについている高橋選手の方が有利なように思えた。
近くにいる人たちも「土佐は高橋に抜かれるな」とか「高橋はどこでスパートするのだろう」などと言っている。目の前を通り過ぎて後姿を追っていると「あ!」カメラを持ってきたのに撮るのを忘れたと気がついた。夢中で見ていたため写真のことをすっかり忘れてしまった。ここへ来る前にテレビに映っていた高橋選手のアップを試しに撮ったが、生の写真を撮り損ねた。
東京国際女子マラソン1
急いで自宅へ戻りテレビを見ると30K過ぎて土佐選手がスパートして34K付近では100mの差になっていた。高橋選手はデビュー戦(7位)以外で日本選手に負けたことが無い。6連勝後、2位になり昨年のこの大会では復活して優勝している。今度も盛り返すだろうと思っていたが、何と39K過ぎでは尾崎朱美選手にも抜かれ3位になってしまった。

レースの後の会見では引退はないという。もう一度挑戦して見るとのことであったが、34歳、後から伸びてきた土佐選手や尾崎選手に抜かれる姿を見ていると、元横綱千代の富士の最後の相撲が蘇ってきた。ウルフと呼ばれ無敵を誇っていた横綱であったが伸び盛りの貴花田(後の横綱貴乃花)に負け、引退を決意した。
高橋選手もマラソンでは6連勝して無敵と言われた時期があったが、今回のレースではその面影は無い。完全に土佐選手に力負けをしていた。

スポーツ選手は「勝って騒がれる人になるより負けて騒がれる人になれ」と言われる。高橋選手は負けてもさほど騒がれなくなり、土佐選手は勝ってもそれほど騒がれなくなった。
勝負の世界は残酷である。敗者は生き残れない。そろそろマラソンシューズを脱いでも誰も高橋選手の栄光を傷つける人はいないと思う。日本人最強のマラソン選手であったことには変わりないからだ。

因みに1位から3位まで日本人が独占したのは28回を数える大会で2回目(第20回大会)である。また、気温10度という寒さの中でのレースも第10回大会の8度に次ぐ2番目の寒さであった。その寒さも高橋選手に影響したのかもしれないが、皆同じ条件下のレースである。言い訳はできない。


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November 18, 2006

「スポーツ」について考える

2006世界バレー女子大会が終わり日本は5位となったが、個人賞で竹下佳江主将がベストセッターとMVP賞を獲得した。彼女なら、という思いである。
私はバレーボールやサッカー、野球などあまり興味はないが、女子バレーボールの竹下選手は見ていても気持ちがいい。159センチというバレーボール界では極端に小さい選手であるが、いつ見ても大きく見える。勝っても負けても背筋をピンと伸ばし、しっかり前を向いて立っている姿は美しい。それよりも何よりも彼女の素晴らしいところは大騒ぎをしないところだ。傍目には地味に見えるが、私には一番闘志が伝わってくる。彼女は武道家だ。

欧米のスポーツはとにかく騒ぎすぎる。サッカーなど点が入るとユニホームを脱いで大騒ぎする。野球もバレーも点が入るたびに大変な喜びようだ。特に勝負がついた瞬間など相手は膝をついてがっくりしているその脇を飛んだり跳ねたり大騒動である。
どうもその騒ぎが馴染めない。

武道では勝負がついても大騒ぎをすることはない。特に剣道は「残心」を示さないと一本が取り消される。ガッツポーズや飛び跳ねることなど全くない。それは常に相手を思いやる心を大切にしているからである。勝負は時の運、明日はわが身である。勝って奢らず、負けて挫折せず。この精神である。剣道の格言に「打って反省、打たれて感謝」というのがある。相手を打ち込んでも常に反省し、打たれたときこそ相手に感謝する。自分の弱いところを技で指摘してもらっているからである。

柔道も昔はガッツポーズなどもってのほかであったが、国際化が進むにしたがって勝利した時の態度が派手になっていく。欧米化が進んでいくと武道からスポーツになってしまう。
スポーツはゲームだから頭で思ったことを素直に体で表す。そこには自分の気持ちに忠実だという思いはあるが、敗者に対する思いやりは微塵もない。武道は頭で思ったことを心で統制し、体を規制する。
誰でも試合に勝てば嬉しいが、その嬉しさを押し殺して敗者をいたわる。剣道が「礼でもって始まり礼で終わる」といわれる所以である。
相撲もまた然り、決して土俵でガッツポーズなどとらない。土俵下に落ちた相手をいたわって手を差し伸べる。相撲もまた、日本古来の武道であるからだ。

それに引き換え外来のボクシングは醜いとしかいえない。始まる前から罵詈雑言を浴びせかけ勝利した後にリングで歌などうたい出す選手も出る始末だ。

そんな馬鹿騒ぎを見ながら昨今のいじめに思いを馳せる。
相手をいたわる気持ちがあれば決していじめなど起きないのだが・・・。

剣道や相撲を行なう子どもたちが減り、サッカーや野球をする子どもたちが増えていく。
剣道はどんなに修行しても金にはならない。サッカー選手や野球選手のように億の金など夢のまた夢である。だからこそ打算でなく無心で一生修行を続けられるのかもしれない。

バレーボール界にも竹下選手のような武道家を連想させる人がいたことは大変嬉しい。


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November 07, 2006

「障害」について考える

先日、全国盲学校弁論大会が大阪で開かれた。
その優勝者から3位までの弁論がテレビで放映されたのを見た。
3位は10代の女性、2位は40代後半の男性、そして優勝は72歳の女性であった。
年齢差があるがみんな盲学校の高等科の生徒である。そしてそれぞれが大変に明るく前向きなのが印象的であった。

10代の女性は障害を持っていることは、ハンデではないときっぱりと言い切った。確かに目が見えないということは不便であるが、その分聴覚や触覚が発達し日常の音が全て音感で表現できるようになったという。ドアのチャイムや車の音など音符に全て表せるという。いわゆる絶対音感を獲得したという。また、障害を持って生まれてくるということは確率として非常に低いものであるが、障害を獲たということは選ばれたことだと胸を張って言ったのには驚いた。

40代の男性は10年前に視覚を失い、点字を学び始めた。しかし、どうしても覚えきれず諦めかけたとき、視覚を失いその上両手を失っても舌で点字を学んだ人の話を聞き再度点字に挑戦し、ついに点字を克服したという。そしてその舌で点字を読むという人に会うことが出来、「障害を壁と見るか、扉と見るかで大きく変わる」と教えられたという。扉であれば開くことが出来、その先には新しい世界が開けるという。
全くそうである。何かを失えば何かが得られる。そう考えると障害も新しい扉を開くきっかけに過ぎない。

72歳の女性は、幼くして視覚を失い両親が先行きを思い琴の修行に専念させたという。それは大変に厳しい修行で、夜明けまで琴を弾き続けたことも度々あったという。中学を卒業して盲学校に進学したいと思ったが、琴の修行と学校との両立は難しく、経済的にも厳しいということで進学を諦め、琴の演奏一筋で70歳まできたという。そして一段落した昨年念願であった盲学校に入学し、50歳以上違う同級生と寄宿舎に入り楽しく生活している。そして卒業後は大学に進学し、琴の指導法を学びたいという。恐れ入りましたというしかない。年の離れた同級生と毎日楽しく学生生活をおくれるのも障害を持っていたからであり、今は毎日が楽しくてしょうがないという。

「障害」とは何だろう。彼や彼女たちは本当に障害者なのだろうか?
決して諦めない、出来ないという言葉を発しない。「障害」とは人が言うのではなく自分が決めることだ。彼や彼女は立派な健常者だと思った。
世の中、五体満足での「障害」者が如何に多いことか。
言い訳をするな、愚痴を言うな、出来ないと言うな、諦めるな、逃げるな、しっかりしろ五体満足な「障害」者たち。


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「障害」について考える

先日、全国盲学校弁論大会が大阪で開かれた。
その優勝者から3位までの弁論がテレビで放映されたのを見た。
3位は10代の女性、2位は40代後半の男性、そして優勝は72歳の女性であった。
年齢差があるがみんな盲学校の高等科の生徒である。そしてそれぞれが大変に明るく前向きなのが印象的であった。

10代の女性は障害を持っていることは、ハンデではないときっぱりと言い切った。確かに目が見えないということは不便であるが、その分聴覚や触覚が発達し日常の音が全て音感で表現できるようになったという。ドアのチャイムや車の音など音符に全て表せるという。いわゆる絶対音感を獲得したという。また、障害を持って生まれてくるということは確率として非常に低いものであるが、障害を獲たということは選ばれたことだと胸を張って言ったのには驚いた。

40代の男性は10年前に視覚を失い、点字を学び始めた。しかし、どうしても覚えきれず諦めかけたとき、視覚を失いその上両手を失っても舌で点字を学んだ人の話を聞き再度点字に挑戦し、ついに点字を克服したという。そしてその舌で点字を読むという人に会うことが出来、「障害を壁と見るか、扉と見るかで大きく変わる」と教えられたという。扉であれば開くことが出来、その先には新しい世界が開けるという。
全くそうである。何かを失えば何かが得られる。そう考えると障害も新しい扉を開くきっかけに過ぎない。

72歳の女性は、幼くして視覚を失い両親が先行きを思い琴の修行に専念させたという。それは大変に厳しい修行で、夜明けまで琴を弾き続けたことも度々あったという。中学を卒業して盲学校に進学したいと思ったが、琴の修行と学校との両立は難しく、経済的にも厳しいということで進学を諦め、琴の演奏一筋で70歳まできたという。そして一段落した昨年念願であった盲学校に入学し、50歳以上違う同級生と寄宿舎に入り楽しく生活している。そして卒業後は大学に進学し、琴の指導法を学びたいという。恐れ入りましたというしかない。年の離れた同級生と毎日楽しく学生生活をおくれるのも障害を持っていたからであり、今は毎日が楽しくてしょうがないという。

「障害」とは何だろう。彼や彼女たちは本当に障害者なのだろうか?
決して諦めない、出来ないという言葉を発しない。「障害」とは人が言うのではなく自分が決めることだ。彼や彼女は立派な健常者だと思った。
世の中、五体満足での「障害」者が如何に多いことか。
言い訳をするな、愚痴を言うな、出来ないと言うな、諦めるな、逃げるな、しっかりしろ五体満足な「障害」者たち。


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August 30, 2006

交通安全について考える

8月25日、福岡で大変痛ましい事故が起きた。22歳の若者が飲酒運転で追突し、追突された車がガードパイプを突き破り下の海に転落して、幼い兄弟3人が死亡したのだ。運転していた若者は19歳の同乗者と直前まで飲酒をしていたという。
事故のあった海ノ中道大橋は志賀島へ渡る橋である。志賀島へは30年前福岡で働いていた時によく行ったことがある。美しい景色だったことを思い出す。
そんな島へ繋がる橋で大惨事が起き、一度に3人の子どもを失った両親の悲しみははかり知れない。
川崎大師
福岡の事故があったからというわけではないが、8月27日の日曜日、川崎大師の自動車交通安全祈祷殿へ車の御祓いに行ってきた。7月に10年間乗ったボンゴフレンディーからアルファードに乗り換えたためだ。
御祓いを受けるだけで事故を起こさないとは露ほどにも思っていないが、私は車を乗り換えるたびに必ず御祓いに行く。私は車を乗り変えたという1つの区切りにいつも改めて交通安全を誓おうと家族で御祓いをしてもらいにいく。
御祓いを受けながら、新しくコンビを組む車と一緒に交通安全を誓い、事故を起こさず、また、事故に巻き込まれないようにしようと約束をする。
だから、車が故障したり、パンクをしたりすると事故に巻き込まれないように相棒の車が時間をずらしてくれたのだと思うようになった。また、車に乗るときは必ず今日も頼むぞと声をかけるようにしている。私は良く車に話しかけるので、知らない人が聞いているとちょっとおかしいと思うだろう。しかし、話しかけると不思議に車は調子がいい。

よく神社やお寺に行くと100円、500円のお賽銭を入れてあれもお願いします、これもお願いしますとやたらとお願いばかりして手を合せる人がいるが、勘違いもはなはだしいと思ってしまう。「神仏は頼むにあらず、敬うもの」と宮本武蔵も言っている。神仏は頼のまれても何もすることはできない、見守るだけである。頼む人の心は消極的になっているから願いが叶う訳が無い。神仏に手を合せる時は、こうしますので見守っていてください。お陰さまでこうなりました。と言うように積極的な気持ちで手を合せると願っていることが叶うものだと信じている。
ナポレオン・ヒル、中村天風という東西の傑物が思考は現実化すると口をそろえて言っている。積極的な思考も、消極的な思考も現実化するのだ。だから積極的な思考をしていかないと道は開けない。

御祓いの後、頂いたお札を入れている封筒の裏に次のようなことが書いてあった。
「あなたの心のままに、自動車は走ります。あなたの気持ち次第で、ハンドルは微妙に動きます。後略」車を運転するのは人である。ひとりひとりが交通安全を誓うことで事故は激減するはずである。
福岡の事故のニュースを聞き改めて交通安全の大切さを噛みしめた。



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June 30, 2006

「同窓会」について考える

芝同窓会
6月25日(日)東京プリンスホテルで行なわれた母校の芝学園同窓会大会に参加した。毎年卒業回の末尾の数字で担当が廻ってくる。今年は6の期ということで、56回生(63歳)
が委員長となり、26回生から76回生までが参加した。昨年は5の期ということで65回生の私も副委員長として母校で同窓会大会を運営したが、とにかく参加してもらうことにほとんどの精力を費やした。

芝学園は浄土宗の宗門校で100周年を迎え、他の学校に比べると団結力は強いほうだが、それでも若い人たちはほとんど参加しない。昨年は25回生(93歳)から記念すべき100回生(新入会18歳)まで75年もの年齢差の人たちが参加したが、75回生から100回生までは20人程度であった。
若い人たちは若い人たち同士で集まりたいという気持ちもわからないではない。どうしても同窓会というと年配の方たちの集まりのようになってしまう。昔話に花を咲かせて懐かしむ。年寄りくさいといえばそれまでであるが、若い人たちも大先輩たちからいろいろな経験や人生訓などを聞くいい機会である。
私は20代後半から様々な会合の幹事を引き受けてきた。それはいろいろな方々から話を聞くことが楽しかったからでもあり、人脈を築いていくにはまたとないチャンスでもあったからである。そして知らず知らずのうちに30年が経ち、気づいてみるとたくさんの方々と知り合いになれていた。今も変わらずたくさんの会合の幹事や会長をしているが、若い人たちを如何に参加させるかで、頭を悩ませている。

いろいろな会合の中でも「同窓」というのはとても結びつきが強い。そしていろいろな方々がいることに気がつく。それも幹事として内側から見ているからわかることで、年齢が離れると外からではなかなか気がつかない。私も同窓会の理事をやるようになり、芝学園の卒業生の多士済々な面々に気がつき驚かされた。

確かに幹事の役は大変である。誉められることはまず無い、良くて当たり前で少しでも悪ければ文句があちらこちらから湧いてくる。昔は「冗談じゃない、こちらはボランティアでやっているんだ」と思うこともたびたびあったが、長く続けているといつもご苦労様ですと先輩も後輩も頭を下げてくるようになる。こうなると多少失敗をしても御愛嬌で済んでしまう。ここまで行くのが大変であるが、少なくとも同窓会は出て損の無い会だと思っている。是非、芝学園の卒業生の皆さん同窓会には顔を出して人生の幅を広げてみて下さい。同窓会の理事としてお願いします。



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May 09, 2006

「渋滞」について考える

渋滞と聞くだけでうんざりする。
「渋滞」の意味を「言泉」(小学館)で引くと 屬發里瓦箸すらすらとはかどらないこと」◆崙始が混雑して車両などがなかなか先へ進めないこと」とあるが、今ではほとんど道路の混雑を言うようである。
この連休もご他聞に漏れずどこの高速道路も何十キロの渋滞で大変な混雑であった。私も5月3日にこの大渋滞に巻き込まれた一人である。いや、大渋滞を引き起こした1人でもある。東京から伊豆の伊東まで120キロ強の道のりを何と8時間もかけていく破目になった。電車で行けば新幹線で熱海まで約30分、熱海から伊東までも約30分の1時間もあれば着いてしまう。4人なので車のほうが経済的だと思ったのが間違いであった。4人で8時間というと延べにして32時間の時間を費やしたことになる。電車であれば延べ4時間なんと延べ28時間のロスである。1000円の時給にしたら28,000円の損害である。精神的苦痛、肉体的苦痛を考慮すると電車の方が圧倒的に経済的であった。また、環境面を考えても電車に軍配が上がる。
別にJRに義理があるわけではないが、ここは電車を使うべきだった。

芝公園のインターから高速に乗り、渋谷まで何と1時間30分。一般道の方が早いだろうと渋谷で高速を下りて伊豆へ向うが、私と同じ事を考える人も多いらしく一般道もかなりの渋滞であった。あっちへ行き、こっちへ行きしながら渋滞を避けたつもりが遠回りになり、やっと箱根のターンパイクに入ったと思いきや今度はピクリとも動かず、5キロ走るのに1時間を要するという有様であった。うーん連休は手ごわいぞ。

ある小話に豪華客船が事故で沈没しかかり救命ボートを降ろしたが、全員が乗ることができず、女性と子どもを優先することになった。その時船長が救命ボートに乗れない男性客に次のように言ったという。アメリカ人には「これであなたも英雄になれる」イギリス人には「あなたは紳士ですから」イタリア人には「女性にもてますよ」日本人には「みんなそうしてますから」

なるほどと頷いた。
みんな同じ時期に同じところへ行くから渋滞になるのだ。
道路事情やドライバーのマナー、渋滞回避の施策の遅れなど言いたいことはたくさんあるが、それにも増して「みんな休むから、みんな行くから」が渋滞の原因だ。みんなが働いている時に休み、休んでいる時に働く、首都圏に集まりすぎず地方に分散する。個性を活かした休み方や生活をすれば、まだまだ日本は広く使えるはずだ。


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April 29, 2006

「命」について考える

4月に入っていやな事件が立て続けに起きている。中津川市で中学生の女子生徒が高校生の男友達に殺されるという事件があったばかりだが、和歌山県では高校2年生が、授業中先生に注意された腹いせに一人暮らしの71歳の写真店経営者を刺し殺すという事件が起き、栃木県では中学生の女子生徒が、担任の先生の給食に薬物を混入させるという事件も発生した。
どうして中学生や高校生の事件が多発しているのだろうか。こう言うと評論家の先生やテレビのニュースキャスター氏はしたり顔に社会の仕組みが歪んできた、今の教育制度がよくない、挙句の果てには政治が悪いなどと言い出す。
ちょっと待ってください。その前に言うことがあるでしょう。「親が悪い」と。教育の根本は家庭にあるということを忘れないでください。親がいなくても、片親でも、貧しくても、学歴が無くてもしっかりと大地に足を踏ん張って、他人を思いやりながら生きている人たちがいっぱいいます。

「命」ということについて普段から家庭で話し合ったり、教えたりしているのだろうか?「子どもの教育」という仕事以上に、親にとって重要な仕事は無いはずだ。一番大切な仕事を後回しにしたり、放棄したりしている親が如何に多いことか。

10年前いじめが原因で自殺をした大河内清輝君のご両親の協力で「心の中へ・・・冒険の旅」という子どもたちが読む命の本を出版したが、そのとき以上にこの本が必要になってきてしまったのは非常に残念である。

一度、親御さんたちが我々の星「地球」の壮大な命の進化を勉強してみるといい。46億年という歴史を考えたとき、度々起きた絶滅の危機を我々の祖先が乗り越えてきた事実を知ったとき、あだや疎かに命を無駄に出来ないと悟るでしょう。先ずは親が理解をして子どもたちに語りかけたらいいだろう。
自分の命も人の命も、いや牛や魚や野菜の命だってみんな同じ命だと言うことが、子ども達にも分かってもらえるはずだ。それぞれが生きていくために他の命を頂だかなければならない。だから人間は食事の前に「頂きます」という。それは「命」を頂きますということである。感謝を込めて動物の命を頂くのである。

「命」を大切にする心を育てる根本は家庭教育である。私も含めて子どもを持つ親に言いたい、もっとしっかりしなさいと。


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April 16, 2006

「継続」について考える。

先週のことであるが、プロ野球で大記録が誕生した。阪神タイガースの金本知憲(かねもとともあき)選手が「904試合連続全イニング出場」という世界記録を達成したのだ。そして今もこの記録は更新中である。
この記録の偉大なところは「全イニング出場」という継続性である。私は野球のことについては門外漢であり、興味もあまりないがこの記録のとてつもない偉大さには脱帽した。これまで大リーグのオリオーズでプレーしたカル・リプケン氏が903試合連続全イニング出場という世界記録を持っていた。
カル・リプケン氏といえば1995年に不滅と言われたルー・ゲーリッグの2130試合連続出場(代打でも代走でもとにかく試合に1イニング以上出場)の大リーグ記録を更新し、衣笠祥雄(きぬがささちお)氏の2215試合連続出場という世界記録(当時)も抜いて1998年2632試合連続出場の大記録を打ちたて「鉄人」と呼ばれた大選手である。金本選手はその「鉄人」を抜いたのである。

「連続試合出場」も継続であり、大変な大記録であることには変わりないが、それ以上に「連続全イニング出場」というのは想像を絶する大記録である。サラリーマンに例えれば904営業日無遅刻無欠勤で勤務時間中は気を抜くことが無く、なお且つトップクラスの営業成績を続けていくというようなことである。
プロという世界でライバルが鎬を削る中、試合に出続けること自体が難しいことであるのに、代打や代走を出されること無く、全イニング試合に出続けるというのは超人的である。

「継続」ということの難しさと偉大さを金本選手に改めて教えられた。
「継続は力なり」といわれるが、頭では理解してもなかなか実践ができない。どんな小さなことであれ実直に続けていく、続けることで責任感が生まれまた続けていく、そして一つの境地に到達する。そうすることにより自分にとって大きな力となる。
「こんなこと続けていて何になる」などとつい思いがちだが、やってみる、続けてみることも大切なことである。

100万本の素振りを目指して5年目に入るが、先を見ると気が遠くなる。だから今日の1本、10本、100本を目指す。100万本は結果であり、目指すのは今日の1本である。そう考えると気が楽になる。
剣聖宮本武蔵の言葉が頭に浮かぶ。「鍛錬とは千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」
千日、万日の稽古を積んで初めて鍛錬と言えるのだ。継続ということの大切さを宮本武蔵も身にしみて感じていたのであろう。


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March 28, 2006

続卒業式について考える

品川区立浜川中学校の12500人の卒業生の中に、たった一人だけ番号のない卒業証書を持っている人がいます。

平成9年3月に中学校の会議室でたった一人の卒業式が行なわれました。
その経緯はこうです。

ある男性の子どもが平成8年頃だったと思いますが、地元の中学校を卒業しました。その時に「お父さんはどこの中学校を卒業したの」と聞かれたそうです。男性は言葉に詰まりました。「浜川中学校」と答えたかったのですが、実は卒業証書をもらっていなかったのです。男性は戦後まもなく浜川中学校に入学しましたが、家が貧しく中学の卒業式を待たずに奉公に出たそうです。そのため、とうとう卒業証書を貰えず今日まで経過してしまったのです。しかし、子どもに「お父さんは浜川中学校の卒業生だ」と胸を張って答えたいという欲求が高まり、その話を友人にしたところ、友人たちから学校に何とか卒業証書を発行してもらえないかと嘆願が寄せられました。当事の校長であったM先生は教育委員会に相談に行きましたが、今頃卒業証書を発行することは出来ない。卒業証書には連番が書かれていて、間に入れることは出来ない。そんな話だったそうです。
しかし、男性は浜川中学校の卒業生だという証を何とかいただきたいという思いで、校長先生にお願いしました。M先生は何度も区の教育長や関連部署にお願いして、ようやく番号のない卒業証書であれば発行していいという回答を得ました。
男性はもちろん喜んで卒業式の日を待ち侘びていました。平成9年の通常の卒業式が行なわれた後、会議室で男性の卒業式が行なわれる予定でした。しかし、卒業式は平日に行なわれます。事前に休みを取っていたのですが、急遽重要な仕事が入って参加することが出来なくなりました。代わりに奥様が代理で卒業証書を受け取り、集まった人たちの祝福を受けたのでした。
私もPTA会長として同席し、感動したことを思い出したのです。

いつまでも母校を誇りに思い、卒業生として胸を張りたいという男性。それを応援する友人たち。そして、それに応えようとする校長や教育関係者。このような人たちが周りにいる限り、この地域の子どもたちは大丈夫だとその時確信しました。

平成18年3月、今年の浜川中学校の卒業式を見て、以前と何も変わっていない。やはりあの時の思いは間違っていなかったとの感慨が沸き起こってきました。


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March 23, 2006

卒業式について考える

先週、品川区立浜川中学校の卒業式(正式には卒業証書授与式というようである)に招待され参加してきました。

中学校の卒業式に参加したのは9年ぶりのことである。他の地域では国歌斉唱や日の丸掲揚に反対する教員や父母、そして卒業式の最中に大声を出したり、起立をしなかったりする生徒もいると聞いたが、品川区立浜川中学校の卒業式には感動した。

とにかく9年前と何も変わっていない。いや20年前と比較しても変わっていないであろう。

何といっても生徒が純粋である。先生も真剣であった。たった2クラス71名の卒業生であったが、卒業生が素直に感動し、男子生徒も女子生徒も涙を流して送辞や答辞を聞いている。もちろん答辞を読む代表の顔は男女ともぐちゃぐちゃである。

昔と違うといえば在校生が歌う曲が「フェニックス」であり、卒業生が歌った曲が「そのままの君で」と「旅立ちの日に」という曲であった点だけである。

先生も先導しながらハンカチで涙を抑えている。在校生や卒業生の父母の方々もじっと前を見据えていた。

これが卒業式の形なのだと思った。この形があるから美しいのだと思う。退屈な来賓の祝辞もこれはこれで卒業式の形なのだ。そして最後に全員で校歌を合唱する。

この時には参加しているすべての人が、卒業生に対しておめでとうと心から祝福せざるを得ないそんな形の締めくくりとなる。

新しい形に変えていくばかりではなく、伝統(形)を踏襲するということも大事で美しいことだと浜川中学校の卒業式で感じた。

今年度最後の卒業生に卒業証書を渡す時、累計の番号が読み上げられた。第12499号

そうか今年で12499人の卒業生がここから巣立って行ったのかと思った瞬間、9年前の出来事が鮮やかに蘇ってきた。

いやもう一人卒業生がいたのだ。今日ここに参加している人の中では私と、すでに定年で退職した元校長のM先生しか知らないが、確かにもう一人浜川中学校には卒業生がいた。だから今年で12500人の卒業生なのだ。番号のない卒業証書を受け取った卒業生が一人いた。

もう一人の卒業生については、次にご紹介します。



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March 05, 2006

見舞いについて考える

土曜日に妻と群馬県前橋市の群馬大学医学部付属病院に入院しているA君を見舞いに行ってきた。
彼は大学の剣道部の後輩で、妙義山近くで旅館を経営しながら地元で剣道の指導をしている。剣道に対して大変熱心で教えられることが多い後輩でもある。
毎月一度、全日本剣道連盟の稽古会に群馬県から参加して八段の先生方に稽古をお願いしていた。これらの稽古内容を自身のホームページでも詳しく語っていた。昨年の11月には七段の審査にも挑戦した。このときは合格には至らなかったが、これから挑戦が始まりますと元気に語っていたのだが・・・。

1月の後半に突然足がしびれて動けなくなり、緊急入院して手術を受けたのだという。病名は肉腫。それが脊椎に転移して下半身の機能を麻痺させているのだと本人から聞いた。100万人に一人の確立だということも言っていた。

一ヶ月以上点滴だけだというが、相変わらず冗談を言い合いながら話をした。手も握ったが力もあった。そのとき時間はかかるだろうが、必ず退院してくると確信した。病気や運命を変えるのは心の力だからだ。気力が萎えていない限り寿命をまっとうできる。彼も「心力歌」を知っているので心に力があることは承知している。きっと病気を克服すると信じている。

見舞いは励ましの言葉をかけるより、聞き役にまわったほうがいい。私もけがで何度か入院したが、入院していると愚痴をこぼしたくなる。それを見舞いに来て慰めや、励ましの言葉をかけられると愚痴がいいづらくなる。そして見舞いに来てくれた人が帰ると愚痴がまた一つ大きくなってしまう。入院患者はそれを家族にぶつけてわがままになっていくのだと思う。
愚痴はたあいも無いものが多い。言えば気がすむのだ。ついつい見舞いに行くと励ましたくなるが、いろいろと話を聞いてあげるのが一番の見舞いかもしれない。そして、病気やけがと関係ない話をすることで気がまぎれてくる。

来週、九州からA君の同期の仲間が見舞いに来るというので、また一緒に見舞いに行く予定である。
今週よりきっと元気になっているはずだ。


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December 31, 2005

「年末」について考える

今日は大晦日である。毎年のことであるが、この日は何かと忙しい。今日も朝早くから年越しと新年の買出しに出て、そのまま母のところへ寄る。荷物を置くとそのままお人型と初穂料を持って芝大神宮へ。お参りをした後、勝田宮司に御挨拶をして会社へ行く。
昨日は、会社のお飾りをしたり、今年最後の入金や出金の整理をしていたので、新年早々の仕事の段取りが今日になってしまった。
来年は1月2日から仕事が入っているため例年に無く慌しい。 2日に打ち合わせる資料を作り、持ち帰ることにする。
例年であれば、31日は会社の掃除を行なうのだが、今年は2日の資料作りで掃除が出来そうにない。神棚だけは昨日掃除をしてお飾りをしたので後は勘弁してもらおう。

大晦日というのは不思議なものである。いつもと何も変わらないが、夜が明けると新しい年を迎える。区切りといえばそれまでであるが、それにしては最近では単なる連休としか位置付けていない人が多すぎる。
年末は新年を迎えるために、やるべきことがたくさんあるはずだ。私は家の玄関や会社の入り口にお飾りをして、今年1年の感謝と来る年の無事を祈念する。それだけでなく小さい頃からの慣わしで、自宅や会社の車や自転車にもお飾りを施す。自分の身を預ける乗り物であるので、感謝と来年もまた安全であるように邪気を祓うためである。

最近では玄関にお飾りをしない家のほうが多くなってきた。車や自転車のお飾りに至っては絶滅危惧種にさえなってしまっている。
198世帯ある私の住むマンションで自転車にお飾りをしているのは当家を含め2〜3しかない。新年を迎えるという気持ちがだんだん薄らぐ年末になっていく。因みに31日は一夜飾りとなるためお飾りをすることは禁物とされている。
また、29日も不苦と読みお飾りには嫌われる日である。必然28日か30日がお飾りをするには適している日となる。

今年の2月からこのブログを開設したが、あっという間に1年が終わってしまうという感じである。年末になると来年はこうしたい、ああしたいという会話をよく耳にするが、来年にならなくても、ああもこうも出来ますよ。今日からこうしよう今からああしよう、そう決意するだけでいつでも自分にとっての新年が迎えられる。
だから大晦日は来年の希望を述べるのではなく、今年に感謝をしてひとつ年を取りたいと思う。


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December 24, 2005

「頂きもの」について考える

この季節になるといろいろな方々からありがたいことに頂きものをする。

後輩のN氏から北海道の鮭を一匹頂いた時は1時間半くらいかけてさばいた。お腹いっぱいのいくらを取り出し丁寧に1つずつ分けて、作っておいたしょうゆだしに漬け込んだ。翌日わくわくしながら取り出して食べたが、これがまた新鮮で大変美味しかった。

身は刺身と塩焼きに、兜とあらは煮物にした。

次の日には熊本の先輩M氏から知り合いの庭になっていたと言って葉付みかんを頂いた。

形は不揃いだが全くの無農薬。昔懐かしい本物のみかんの味がした。

島根の親戚からは特産のかまぼことアマダイの干物を送ってもらった。このかまぼこは歯ごたえがよく噛めば噛むほど味が出てくる。 同じく島根出身のいとこのI氏からも寒さばと地魚の西京漬けが届いた。このさばの塩加減がよくこれを食べたら他のさばは食べられない。

長野のT氏からは上等なすき焼き用の肉を頂いたが、肉の味が良いので塩だけで焼いてたべてしまった。

二〜三日すると妙義の後輩A氏から恒例の下仁田ネギが届く。下仁田ネギは寒くなるに従って甘みが増してくる。いつものことであるが手紙が添えられていて、美味しい食べ方が書いてある。ねぎの白い部分を3センチに切り、電子レンジでチンしてマヨネーズをつけて食べる。これは「暮らしの会」のSさん推薦だという。

もう1つはてんぷら。青い部分も一緒に刻んでえびやイカなどとかき揚げにすると美味しいと言う。今年も甘みの増した下仁田ネギを満喫した。

友人のI氏からは富山県の里芋を頂く。これはただの里芋ではない。あの有名なマンガ「美味しんぼ」に登場する井波町の杉森桂子さんの栽培した里芋である。

マンガの一節を再現すると・・・。

「今度は山の幸、里芋を味わってもらいます」

「里芋?別に富山でなくても味わえるだろう。」

「今日用意した里芋は井波町の杉森桂子さんのお宅で栽培されたものです。」

中略。

「おお!口中に里芋の自然な甘みが膨らむ」

「それに鼻に抜けるこの香りの良さ!」

「この里芋の田楽、素晴らしくきめが細かく、ねっとりなめらかだよ!」

「芋は京都が一番だと思うとったが、降参や!」

「何か特別の作り方でも?」

「何もありません。ひとえに井波町の土壌のおかげです。」

後略。

友人のI氏はこの井波町の杉森桂子さんから直接分けていただいていると言う。

マンガの通りこの里芋は美味しい。

昨日は何と偶然にも熊本県から2つの珍味が届いた。天草の親戚から緋扇貝(ひおうぎ貝)と妻の友人から馬刺しである。

緋扇貝はあまり聞きなれない貝の名前であるが、天草の冬の特産で見た目は帆立貝に良く似ている。帆立貝より、小振りで色が紫、赤、黄色と多彩なのが特長であろう。刺身、酒蒸し、炊き込みご飯、浜焼き、フライなどいろいろな食べ方があるが、やはり刺身が一番である。ホタテより数段甘く上品な味である。

馬刺しは言わずと知れた熊本の名産である。肉目(肉の繊維)に垂直になるようスライスして、たまねぎのスライスに薬味はにんにくとしょうがをたくさんつけてしょうゆで食べるとやみつきになる。

今年もいろいろな方々からたくさんの頂き物をしたが、共通しているのはどれもこれも真心のこもったもので、義理の贈り物ではないということだ。

もちろん我が家だけではもったいないので、日頃お世話になっている近所の方に少しずつではあるがお裾分けをさせてもらった。人からの贈り物で、我が家の株を上げさせてもらった訳だが、美味しいものは美味しいうちに食べてもらうのが一番だと思っている。

ご紹介出来なかった方々もたくさんいますが、改めて皆さんに御礼をいたします。

大変ありがとうございました。

それから、えーと、その、来年も期待しております。



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December 16, 2005

「寒い」について考える

昨日の朝、東京は大変寒かった。最低気温が3℃と天気予報で言っていた。
出張のため長野へ朝早くから車で出発したが、同行者と「寒いね」、「寒いね」という言葉が事あるごとに会話の中に出てきた。
寒波で長野も大雪が降ったというので、途中の道が心配であった。
しかし、晴天で積雪もそれほどではなく車を走らすのには支障がなかった。お客様のM工業に着いて話を聞くと、昨日北陸からの帰りに高速道路に6時間も閉じ込められたというではないか。妙高高原あたりで、大雪になり走っていた高速道路が通行止めになり、除雪車が来て救助されるまで随分時間がかかったという。

なるほど長野はマイナス3℃だったという。東京に比べて6℃も低い。寒いというより冷たいという感じがした。それでも「今日は楽ですよ」と言っていたので、寒がりの私は驚いてしまった。
東京に戻るため夕方から帰路についたが、日がかげると寒さが一段と厳しくなった。途中のSAで休むたびにふるえていた。

夜会社に戻りメールチェックするとニューヨークに在住しているO女史から「NYCは今日マイナス15℃を記録しました。とても寒いですが、元気です」というメールがきていた。
うーんマイナス15℃か。東京は3℃、長野はマイナス3℃。何だ、寒くないじゃないか。
マイナス15℃に比べれば東京は18℃も暖かいし、長野だって12℃も暖かい。気の持ち様だ。暖かい、暖かい東京は暖かいぞ。


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November 10, 2005

今の若い者はという前に

先日、バス停でバスを待っていると、反対車線から何を思ったのか80歳くらいの老婆が手押し車(買い物に行ったりするときに使う、手で押しながら歩くあれです)を押しながら車道を横切ってくるではないか。
一瞬目を疑った。なんといっても足がおぼつかないのだ。手押し車に捕まりながらふらふらと歩いてくる。もちろん車の往来が少ない時を見計らって横切ってきたのだが案の定、中央まで来た時に反対車線から車が来て立ち往生しだした。
若い人であれば走りぬけたであろうが、とにかくよたよたしながらの横断である。
7〜8メートル先には横断歩道がすぐあるのに、このばあさん何をやっているのだと見ている私も腹が立ってきた。車もびっくりして止まってしまう。このばあさん頭を下げるわけでもなく、当たり前のように渡ってしまった。
これでは自殺行為である。もし事故が起きて目撃者として証言するとしたら、間違いなくこのおばあさんは自殺ですといってしまうと思う。
認知症の人かとも思ったが、どうして結構しっかりしていた。反対側にいた知り合いの老人ときちんと会話をしていたのだ。

それからがまた驚いた。バスが近づくと例の手押し車を押しながらバスを待っていた私たちの一番前に割り込んできたのだ。おいおいそれはないだろう。みんなそんな目で見ていたが、年寄りということで誰も文句をつけなかった。
バスに乗ると優先席に行って二人で座った。私たちはその前に立っていたが、その会話にまた腹が立った。「若い者はルールを守らない」というようなことを二人で話している。
どうも以前優先席を譲ってもらえなかったようだ。

冗談じゃない!ルールを守らないのはそちらの方だと怒鳴ってやりたかったが、ぐっと押さえた。
50歳半ばの年齢である私は複雑な思いで立っていた。
こんな年寄りが日本中に溢れ出したらどうしよう。確かに若い人たちの行動には目に余るものもある。しかし、こんな年寄りに「今の若い者は」などといわれる若い人が可愛そうだ。日本の国はどうなってしまうのだろう。

私はまだまだ若い人たちに期待をしている。おーいこんな年寄りばかりじゃないので、日本を見限らないでくれよ。
窓の外に向ってそう叫びたかった。


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August 09, 2005

「力を抜く」について考える


1年位前、気功を習いに月に2度ほど新宿に通っていました。
仕事が終わった後、90分ほど指導を受けながらゆっくりと気功を行なっていました。その後、だんだん仕事が忙しくなり、通えなくなってしまいましたが、その時「力を抜く」と言うのがいかに難しいか体感しました。
日常生活の中で「力を抜く」ということはほとんど無いでしょう。
座っていても、横になっても力が入り、自分ではリラックスしているつもりでもどこかに力が入っている。
それはそうだろう、生きていると言うだけで力が入るものなのだから。
肩が凝る、ひざが痛い、目がかすむ、首が痛いなどどこかが必ず病んでいる。力が入っている証拠である。

気功は先ず力を抜くことから始まる。力を抜くと言うことで、力が出てくるのだ。不思議なようだが、力を抜けば抜くほど重力で人は重くなる。だから力が入っていない人を持ち上げるのは大変である。

よく肩の力を抜けだとか、リラックスして力を抜いてと言われるが簡単なようで、「力を抜く」という、たったこれだけのことがなかなかできない。
ビジネスでは力勝負の場面がよくある。力の強いものが勝っていく。「力を抜くな」とよく言われる。しかし、本当に強いものには力が入っていない。「気」は正しく自然体である。力なんぞどこにも入っていない。われわれが発する「気」は体の力が抜けているときに大きな力を発揮する。

「力を抜く」こんな易しいことがなぜできないのだろう。

今年も車で熊本へ帰省する。力が入るぞ。1300キロメートルの高速道路、毎年力勝負で走破してきたが、今年は力を抜いて走ってみよう。

そんなことで、今日から熊本へ帰省してきます。
熊本での話は帰ってきてからゆっくり報告します。


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July 23, 2005

「紙一重」について考える


7月17日に女子WGPバレーで日本チームはキューバにフルセットの末に敗れた。
大変緊迫したゲームで日本が優勢であったが、最後は逆転負けを喫して負けた。
次の日の新聞に大きく「日本、キューバに惜敗」と見出しが出て、戦いの内容が書いてあった。日本のミスを指摘して、まだまだ世界は遠いというような趣旨であった。
これを読んだ時、私はこの記者は勝負のことがよくわかっているなと直感した。

2002年の8月、日本のソフトボールチームが世界大会決勝で、アメリカに延長の末1点を取られて負けた。その2年前もオリンピックで全く同じように、決勝戦でそれも延長でアメリカに負けている。
このとき、ニュースのキャスター氏が「紙一重の差でまた負けました」と報じていたことを思い出したからだ。このとき私は首をかしげたことを覚えている。
金メダルと銀メダルは紙一重だろうか?
優勝と準優勝は紙一重だろうか?
勝利と敗退とは紙一重だろうか?
たしかに延長戦での1点差は見た目には紙一重に見えるかもしれないが、実は天と地ほどの差があるのだ。優勝と準優勝とはとてもかけ離れた世界なのだ。これは勝負の世界にいる人はみんな分かっている。負けたときに紙一重で負けたと思う選手はいないだろう。

2002年のこの年、明徳義塾高校が、甲子園大会で春夏通じて初優勝を飾った。
インタビューで監督は過去を振り返って涙ぐんでいた。
この監督が率いた明徳義塾高校といえば10数年前、星陵高校に対して4番打者の松井秀樹選手を勝負に徹して5連続敬遠までして破り、議論をかもした高校である。それでも優勝はできなかった。過去19回も甲子園に出場しても優勝はできなかった。
それほど優勝というのは遠いものだ。準優勝とはケタが違うのである。

負けたときには、頑張ったが力が及ばなかったとか、残念ながら準優勝でした。と言って欲しいと思った。
野村克也元監督が、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」(勝つのに理由はないが、負けるのには必ず理由がある)と言っていたが、そのとおりだと思う。
紙一重とは謙遜して勝ったときに使う言葉であり、負けたときに使う言葉ではない。
「紙一重の勝ちあり、紙一重の負けなし」である。

負けた人をかばう気持ちは十分わかるが、勝負の世界に「紙一重」はないのである。


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July 16, 2005

「口の利き方」について考える

先日、仕事で渋谷に出かけた時のことである。
ちょうど昼過ぎのことであった。信号で青になるのを待っていると、突然後ろで「いい加減にしなさいよ。そんなにここがいいなら一人でここに住みなさい。着替えを持ってくるから一生ここで暮らせばいいでしょう。生意気なことばかり言って口の利き方に気をつけなさいよ!」と怒鳴る女性の声がした。
はっと思って後ろを振り向くと3歳くらいの男の子に若いお母さんが怒鳴っていた。
どうも帰りたくないとダダをこねていたのであろう。
しかし、3歳の子どもに言う言葉であろうか? こんな言い方をしたって判るはずが無いではないか。
口の利き方に気をつけなければいけないのは明らかに母親の方である。

こんな口の利き方ばかりされていたら、きっと大きくなってとんでもない口の利き方をする青年になってしまうだろうとぞっとした。

きっと渋谷で楽しいことがあったのだろう。だから帰りたくないとダダをこねていたのだと想像する。そうだとしたら、「楽しかったね。また来ようね。今日は○○があるからこれで帰らないといけないけど、また必ず来ようね。今度はパパも一緒に連れてこようか」
こうした言い方のほうが、3歳の子どもには余程分かりやすいと思うが、どうだろう。

大人の口の利き方から直していかないと、これは大変なことになるな。いやすでに大変なことになっているのかもしれない。


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April 28, 2005

「恩師との交流」について考える


私が小学校や中学校の恩師と交流があるというと、とても不思議がる人たちが多い。それもただ年賀状や挨拶状のやり取りではなく、御自宅へお伺いしてお酒を飲んだり、外で一緒に食事をしたり、時にはミュージカルなどを見に行くというと殆どの人が「えーー」という。それも一人や二人の恩師ではないと知るとそれこそ呆れ返る。

小学校時代の恩師で昨年亡くなったN先生の御自宅にはたびたびお伺いして奥様の料理を肴に酒を飲み、何時間も今の教育を熱く語った。先生が趣味で始めた水墨画の個展にも何度か招待をしてもらった。
剣道の道場に通っていた時の恩師のS先生とはいまだに剣を交えて時々飲む。S先生は私の父とも剣を交えており、また、小学生の娘もS先生から私と同じように御指導いただいている。親子三代正しく交剣知愛である。
中学高校時代のO先生宅は会社が近いこともありよくお伺いする。先月は先生の教え子で、私の後輩でもあるY君が主役を務めるミュージカル「レ・ミゼラブル」にO先生をお誘いし、一緒に楽屋を訪問した。お酒もいろいろな会でご一緒してよく飲む。また、先生の教員時代の思い出を1冊の書籍にまとめてもらおうと、同級生でお願いして完成したのは一昨年のことだ。
足を悪くした大学時代の恩師A先生とは電話でよくお話をした。1時間も話をして妻にあきれられたこともある。A先生は7年前に亡くなられたが、その1週前、御自宅にお伺いして近くのレストランで御馳走になったばかりだったので、本当にびっくりして駆けつけた。また、今でも現役の教授としてお忙しいT先生とは手紙のやり取りを続け、機会を見つけてお会いしている。
大学を卒業したあと、熊本でお会いした剣道のS先生には独身時代ずいぶんお世話になり、台湾、香港の遠征にも同行させてもらった。熊本に帰った時にはよく道場を訪ね、昔の話に花を咲かせている。昨年、試合のため道場の子供たちを連れて上京した時には、どうしてもお会いしたくなり、日本武道館に押しかけて一緒に応援をした。その夜、妻や子供にも会ってもらいたく宿舎を訪ねたが、道場の子供たちを連れて夜のディズニーランドへ行った後で、お会いできなかったのはとても残念であった。

このように、私は今でも恩師と深い交流を持てていることをとても誇りに思っている。そして、感謝の念をずっと持ち続けられるこれほど多くの恩師にめぐり合えた自分はとても幸せである。

今の教師がどうだこうだと言うのはここでは避けたい。どんな時代でも素晴らしい教師のほうがきっと多いはずだし、一生恩師と交流を持てる子供たちもたくさん育つはずだからである。

私の恩師との交流を不思議がる人たちに聞きたいのは、何故交流が続かなかったのか?
尊敬や感謝のできる恩師にずっとめぐり合えなかったのか?
それとも心から幸せに感じる努力を自らしなかったのか?

少し難しくなってきたが、明日から頭を休めに桜を追いかけに行くぞ。
秋田や青森は桜が咲いているだろうか?


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April 23, 2005

「交通ルール」について考える

毎朝、車で出勤するが最近あまりにも交通ルールを守らない大人が多くなってきたように感じる。
とにかく信号を守らない。横断歩道や歩道橋が近くにあるのに渡らない。
毎日、会社の近くの2斜線道路で、信号で止まっている車の間を抜けていったり、車の切れ目を見て横断したりする人の数がどんどん増えていっている。一人が違反をしだすとルールを守っているのが馬鹿らしくなるのか次から次へと違反をしだす。
ここは信号のある横断歩道が左右とも50メートルほど行くとあり、間には歩道橋も設置してある。朝はみんな慌てている。始業時間に間に合わないのだろうか、いつも多くの人が走っている。それも口を半開きにしてハアハア言っている。
確かにここをショートカットして渡っていけば近いだろう。だが、たった1分か2分の差である。大げさに言えば命を懸けるほどの時間ではない。
この人たちは、車が凶器であるということを余り認識していない。また、運転している人が善良な気の小さい優しい人ばかりとは限らない。日本全国で毎年1万人前後の人たちが交通事故で命を落としている。これは大変な数である。正しく交通戦争である。そんな中を無防備に大丈夫だろうという気持ちだけで命を懸けている。それもたかだか1分か2分の時間の為に。
車を運転しているこちらは気が気ではない。いつ人が飛び出してくるか分からないのだ。

先日、小さな交差点の赤信号で子供を二人連れた若いお母さんが待っていた。その時、車は少なく一方通行の道で向こう側まで6メートルくらいであろう。どんどん赤信号を無視して大人たちが走って行く。お母さんと子供は信号が変わるまで待っていた。これではお母さんの教育を台無しにしてしまう。大人がルールを守らなくて誰が子供たちを教育するのか?学校の教育とは別に社会の教育は、すべての大人の責任である。
そんな光景を見ながら、車の中で小学校時代に先生からいつも言われていた言葉が思い浮かんだ。
先生は事あるごとに、「男の子はみだりに走るな。余程のことがない限り信号の一つや二つ待つくらい心の余裕を持て。そして男の子は一文字にきりっと口を結べ」とよく言われていた。今であれば女の子はどうなんだとか差別だなどと騒ぎ立てる人たちも出てくるかもしれないが、昭和30年代先生たちは勉強だけでなくいろいろな教育をしてくれていた。
だから、自然と私は小学校から大学までの恩師とはお亡くなりになるまで密度の高い交流が続いていた。
私が小学校から大学までの恩師と交流が今でも続いているというと、皆さん大変不思議がるのだが、縁が切れてしまったという皆さんの方が私には不思議でならない。
先生たちとの交流については次回恩師との交流についてと題して話しましょう。


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April 16, 2005

「さくら」について考える

今年も気がつくと街路のつつじの花がちらほら咲き始めてきた。
毎年、つつじを見て桜の終わりを感じる。

そういえば、去年も一昨年もゆっくり桜を見ていないなー。いやずっと見ていないのかも知れない。
桜を見る時は、いつも何かのついでであった。お花見と称して酒を飲むついでに桜を眺める。
通りすがりにチラッと眺める。電車や車の窓から眺めるなど桜の花を見ることを目的に行動したことが無いように思う。

桜は大好きな花の1つである。その理由に潔さがある。これがまた悲しいほど潔い。何故そんなに散り急ぐのかと思うほど潔い。

4月3日の日曜日に、大学の桜祭りと総会で吉祥寺の桜を見に行ったが殆ど花びらは見ることができなかった。まだ数日早かったのだ。 今年一番の見ごろは7日か8日であっただろう。次の10日の日曜日は剣道の大会があり審判と選手とで参加していたため、全く眺めることができなかった。夕方、川面にびっしり花びらが落ちてピンク色に染まっているのを見て、今年の桜も終わりだなーと少しがっかりした。

よくピンク色を桜色といっているが、桜の花というのはいろいろな色がある。じっくり見ると一つ一つ微妙に色合いが違う。やはり桜にも心がありその心が色になって表れるので、それぞれ違うのであろう。
また、桜の木1本で、何万人、何10万人と集める銘木があるという。すごい力があるものだ。桜は開花するまでは殆ど見向きもされないが、一旦咲き始めると衆目を集め、人を引き付ける力を発揮し始める。

司馬遷の「桃李不言下自成蹊」という言葉を「桜不言下自成蹊」と私は置き換えて眺めている。

残念だが今年もゆっくり桜の花を眺められなかったかー。
いや、まだ桜が開花していないところもあるぞ。
東京では眺められないが、東北地方ならこれからだ。連休の初めに東北へ桜を追いかけていくか。
連休明けに東北の桜をここでご紹介できればいいな。


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April 02, 2005

「酒の力」について考える

今日は「酒の力」について一言。

先日、新聞やテレビのニュースを見たり聞いたりして驚いた。
現職の衆議院議員Nが公然猥褻罪で逮捕されたというのだ。そして、一夜明けた会見でまた驚いた。
「もう一生酒は飲まない」と言ったのだった。
当然この議員は、離党、議員辞職をしたが、国会議員ともあろう人が、自らの行為を酒のせいにして、「もう一生酒は飲まない」と平然としていったのだ。これでは「酒」があまりにも可愛そうだ。私は前々からすべての物には「力」があると言ってきました。当然酒にも力があります。しかし、酒を飲みすぎて酔うと誰でも破廉恥な行為をするというのだろうか? 酒には破廉恥な行為をする力があるというのだろうか?
この議員は、酒さえ飲まなければ立派な議員なのだろうか? 

いやそうではないだろう。確かに酒には力がある。だがそれは破廉恥な力ではない。酒の力というのは、本来もっているその人の性根の部分を引き出す力なのだ。邪悪な人は酒によってその本性を表すだろうし、陽気な人は、はしゃぎだすだろう。この議員はもともと破廉恥な人間なのである。ただそれが酒の力で表に出ただけのことである。

自分が何をしたか泥酔していてよくわからなかった。だから今回のことは酒がいけない。今後は酒を飲まない。そうすればこんなことは起こさない。

こう言っている様で、あまりにも酒がかわいそうになった。私も酒は大好きである。酔っ払って電車を乗り過ごしたり、翌日二日酔いで頭を抱えたり、転んで鎖骨を折ったりしたこともある。
だけど、どんなに酔っても少なくとも善悪の判断だけはできる。そこまでしか飲まない。心の力で、酒を押さえつける。自分の責任の範囲で酔いつぶれる。それが本当の酒好きだと自負している。

この議員は、心の弱いわがままで、横柄な人間なのであろう。自分の弱さを棚に上げて酒のせいにしてしまった。本来なら、「酒に飲まれてしまった自分の心を一から鍛え直す。酒の力で本性が出てきても決して恥ずかしくない心を取りもどして出直します。」といって欲しかった。少なくても国を動かす国会議員なのだから。


いやな話はさらりと忘れ、次回は「冒険の旅」の仲間たちのことについて少し書いていきたいと思います。


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February 14, 2005

はじめまして。

心力舎の三浦尚城です。
当社のホームページが新装開店したのを機に、このたび「三浦尚城的こころ」と題して世の中のいろいろなことについて斜めから、また真正面からそして時には裏返して「三浦尚城的こころ」で不定期に綴っていこうというコーナーをこっそり開きました。
少し古い人、いや随分古い人はこの「……的こころ」というときっと「小沢昭一的こころ」を思い出すのではないでしょうか。
そうなんです。私はこの「小沢昭一的こころ」が大好きで毎日ラジオで聞いていました。あれは私が苦学生(今はこんな言葉はとっくに無くなっていると思いますが)の時でしたから30年以上前だと思います。
はじめはよくもまあこれだけくだらないことを5日(月曜日から金曜日)もかけて掘り下げる人だと半ばあきれていましたが、そのうちテーマソングが流れてくるとどうもそわそわして気になりだしました。あの小沢昭一さんの軽妙な語り口にどんどん惹きつけられていったのです。
それからは今まであきれていた、くだらない口演(本当に何の役にも立ちそうに無い話でした)がすばらしい話に感じてきました。
何といっても役に立たないテーマ例えば、「弁ト、弁ト、弁当について考える」だとか「のぞきについて考える」挙句の果てには「おおヘアー! お毛ケについて考える」というようなテーマを真剣に語っていました。
津瀬 宏という台本作家との意気がぴったり合って、それはもう芸術だと感じていたのは、きっと私だけではないと思います。この口演をまとめた書籍も確か6冊くらい購入し小沢昭一さんの語り口を思い出しながら何度も読み直しました。(何度読んでも全く役に立ちそうにはありませんでしたが)
あれから30年すっかり忘れていましたが、このコーナーの題名を付けるとき、担当の女性は「社長のつぶやき」という優しい題名を候補に挙げてきましたが、その瞬間、あの小沢昭一さんが脳裏に浮かび、そうだこのコーナーは、あのくらい型破りに役に立たない、くだらないことを真剣に取り組むひたむきさのあるコーナーにしようと決意しました。
「三浦尚城的こころ」は「小沢昭一的こころ」の流れを汲んでいますが、もう少し、いやかなり品位は保ちたいと思っています。しかしいくら読んでも絶対に役には立たないということをここに高らかに宣言しておきます。
ですから、「このコーナーはくだらない」というご批判は最初に封印しておきます。書いている本人が、大きな声で「役に立たないよ」と初めから言っているのですから、これ以上確かなことはありません。
ただこれだけは言わせてください。役に立たない、くだらないコーナーはここだけで、当社のホームページは、担当者が精魂こめて作っていますので、それはもう素晴らしい内容になっています。是非御活用下さい。
このコーナーは、言わば「番外地」、「特区」、「例外」、「はずれもん」というような位置づけです。

私のコーナー名のことで、最初からすっかり長くなってしまいごめんなさい。本当は記念すべき第一回ですので、当社の名前「心力舎」についてまじめにお話しする予定でしたが、小沢昭一さんの話から随分と横道にそれてしまいました。
次回は小沢昭一さんのことはさらりと忘れ、「心力舎の名前について考える」と題しまして、まじめに話していこうと思っています。


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