熊本

January 14, 2008

熊本帰省2007.東京へ

道の駅「うずしお」で食事をした後ホテルへ入るには早すぎるため、「淡路ファームパーク イングランドの丘」というテーマパークへ行くが、何かピンとこない。淡路島のテーマパークとしてはどうも似つかわしくない。30度を越える暑さもあって早々に引き上げてホテルへ急ぐ。

今日の宿「梅丸」は予想していた規模をはるかに超える大きなホテルであった。また、清潔でサービスも良く、部屋から眺める「大鳴門橋」は一幅の絵になる。しばらく眺めていても飽きが来ない。ホテルの窓から3うず潮
早速疲れを癒すために大浴場へ。まだ時間が早いため、どうも私が一番風呂の権利を得たようだ。気持ちがいい。誰もいない大浴場で手足を伸ばして入る風呂は極上である。また、露天へ出てみると大鳴門橋が一段と美しい。どこからも絶景が見られるようになっている。
風呂から上がって、無料で置いてあるマッサージ機に体を任せると疲れが一気に出てきたのか、うとうとし始めてしまった。気がつくと30分以上時計の針が進んでいる。慌てて部屋に戻ると「マッサージをしながら寝てたのでしょう」と見透かされてしまった。
しばらくすると夕食の準備が始まった。もちろん部屋食である。手際よく仲居さんが準備をしているさまを眺めながら昼の仇にしこたま呑んでやるぞと決意を固める。
夕食は2007年熊本帰省の最後を飾るに相応しく海の幸満載である。中でも鯛の刺身と薄造り、アワビの刺身は絶品であった。
呑んでやるぞと決意を固めた酒であったが、昨日の徹夜に近い運転で地ビール1本(小)と地酒を2合呑んだだけで酩酊してきた。何だこれしきと思っていたが、結局疲れには勝てず早々に床につくことになった。妻と三女は元気いっぱいに再び風呂に入りに行ったようだが私はすでに夢の中であった。

翌朝6時30分過ぎに朝風呂に入り、再び露天風呂から「大鳴門橋」を拝んで朝食につく。朝食は大広間であるが、一組ずつ席を設けて個別の朝食を用意してくれている。私は昨日食べきれなかった鯛の塩焼きを朝食に出してもらう。いろいろとオーダーがきいて親切である。うめ丸朝食
9時過ぎに「梅丸」を後にして東京へ向かう。再び「うずしお」へより土産にたまねぎスープを買うが、これが絶品であったことに東京に帰り気がつく。こんなことならもっと仕込んでおけば良かったと後で後悔したのだが、その時はまだ知る由も無い。
淡路島はたまねぎの産地である。さすがだと東京で思い返したものだ。

東京までの道のりは650キロ10時30分に高速へ入り、途中の休憩や食事を踏まえて19時到着を目論んだ。しかし、見事に裏切られ、予想を2時間半超え21時30分に自宅へ到着した。

2007年の最大の年中行事もこれで無事に終了した。11年間事故も無く熊本を車で往復したことに感謝して倒れるように布団に潜り込んだ。


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December 27, 2007

熊本帰省2007.淡路島へ

阿蘇からの帰り、私が昭和50年から53年まで販売を担当していた「弓削しらかわ台」という団地へ寄る。ここは分譲地として販売し、毎日阿蘇の連山を眺めながら箱番(仮設の現地案内所に当番で勤務すること)をしていた懐かしい場所である。朝の10時から夕方5時まで1人で案内所に詰めてお客さんを待っていた。東京と違いめったにお客さんは顔を見せず、毎日宅建の参考書を読み、阿蘇の山を眺めていたことを思い出した。しかし、あれから30年。すっかり街は住宅が立ち並び、土地だけの当時とは様変わりしていた。車でぐるぐる回ったが、箱番をしていた場所すら分からなくなっている。同じところを何度もまわり、辺りをきょろきょろしているので、庭いじりをしている住民が不審そうに私の車を見始めた。これはまずい。熊本ではほとんど見ることの無い品川ナンバーでこれ以上うろうろしていると通報されかねない。慌てて団地を離れる。

義母が入院している病院に着いたのは、午後5時過ぎであった。ベッドを半分しか使わなくてもすむほど小さくなった義母と1時間くらい話をして、いつもの義母の言葉で別れる。「またこりゃなんたい」。
病院を出て、健軍の湯「一休」で一風呂浴びて体を休める。夕食もここで軽く済ませていよいよ淡路島へ向かい出発する。時刻は21時30分。高速へ入り2時間もすると、眠気が襲ってくる。今日一日宮崎の伊勢が浜から高千穂峡、白川水源、阿蘇中岳とハードに動き回ったせいか、かなり疲労している。帰りは淡路島経由で東京まで1人で車を走らせる。ここで急いでも先は長い。車の後部座席をベッドにして1時間横になる。うとうとするとすぐに夢を見る。意識が高揚して熟睡は出来ない。再びハンドルを握り走り出す。宮島SAで再度横になり休むがここでもよく夢を見る。これは夢なのか、起きているのか境が不明な状態である。中国の「胡蝶の夢」を思い出した。蝶が自分なのか? 縁側で寝ているのが自分なのか?
大鳴門橋
朝8時与島PAで朝食をとり、四国を走り抜け淡路島へ入る。大鳴門橋を渡るとほっとする。やっと淡路島に着いた。うずしおがよく見えるという道の駅へ寄ってみると、妻と三女は12時前だというのに昼食をとると言い出した。そして、なんと妻は私が飲めないのを承知で海鮮丼に地ビールを注文し始めた。私は疲労で食欲がない。三女のたこ焼きチャーハンを一口もらい呆然と海を見つめていた。
よーし今日の夜は地酒を浴びるほど呑んでやる。


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December 08, 2007

熊本帰省2007.阿蘇山頂

高千穂峡を後にして熊本に向かう。この道は何度も何度も通った道だ。そして大変好きな道である。なぜ好きかと聞かれても明確な答えはないが、懐かしいからとだけしか言えない。もう1つ好きな道がある。天草五橋を渡る道である。これもなぜだか分からないが懐かしいのである。
白川水源
白川水源2
熊本市内に入る前に白川水源と阿蘇山頂へ寄り道をしていくことにした。白川水源の近くには女房のいとこがいて、阿蘇に来るたび寄らせていただいた。名物の田楽もよく御馳走になった。しかし、今回は時間もないため水源を見るだけにして山頂に向かうことにした。
白川水源を見たくなったのは、30年前の周辺に何もない素朴な水源とは全く違う様相を呈していたからである。何度も前を通ったが、けばけばしい水源の入り口にどうしても入る気が起きずに避けていた。だが、今回は怖いもの見たさで水源を見学することにしたのだ。三女はまだ白川水源を見たことが無いからでもある。
すっかり変わった水源はブームに乗って土産物屋や飲食店が店を連ね、昔の風情は見る影もない。
昔の水源はさびしい水源であったが、何か威厳があった。ここの水を飲むと健康になるという言い伝えが本当であると心から思える水源であったのだ。しかし、今は単なる観光スポットに成り下がってしまった感がある。
地元にとってはお金の落ちる良い観光地に成ったのだが、なんだか納得できないのはわがままだろうか?
やはり寄らない方が良かったと思いながら水源を後にする。
阿蘇山頂
草千里
ここから阿蘇山頂付近まで一気に車を飛ばす。車でも山頂へ上がれるが、初めて登る三女のために最後はロープウェイで山頂へいく。
阿蘇山頂は30年前と全く変わっていない。エメラルドグリーンの火口からは煙が立ち上り、引き込まれそうな錯覚を起す。亡くなった祖母や父を案内してここで写真を撮ったことがついこの間のように思えるほど阿蘇は昔のままだ。
天気がよく相変わらず人は多いが、景色は全く変わっていない。火口を覗き込む柵が新しくなったことと、駐車場に止めてある多くの車のデザインが変わった程度である。
10数年ぶりの山頂をしばらく歩く。そして、阿蘇の雄大さにあらためて満足して下山した。
これから熊本市内に入り、再び義母を見舞う。


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November 22, 2007

熊本帰省2007 高千穂峡

高千穂峡1高千穂峡2朝、海岸へ散歩に出かける。少し涼しいが、旅館の女将いわく朝が涼しいと昼間が暑いという。7時30分に純和風の朝食を済ませて、9時前に宿を出ると駐車してある隣の空き地を何人かで整備している。何をしているのだろうと聞いてみると、宿の主催で海の幸に感謝するお祭りをするという。毎年お盆の時期に行なっているという。海の幸で生活をさせてもらっていることに感謝して、近隣の人達をお呼びしてお祭りをするのだという。昨日の料理が美味しかったのはこういう感謝の気持ちが入っていたせいでもあるのだろう。そんな思いを抱きながら熊本へ向かう。

来る時に駐車場が一杯であった高千穂峡へ寄ることにする。やはり今日も駐車場はいっぱいのようだ。少しはなれたところの土産物屋さんの駐車場に入る。
高千穂峡に足を踏み入れるのは初めてである。橋の上から眺めたことは何度かあるが下へ降りて歩いて見るのは初めてである。
高千穂峡3

高千穂峡(五ヶ瀬渓谷ともいう)は約12万年前と約9万年前の二回の阿蘇火山活動の際、噴出した溶岩流が五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、急激に冷却されたといわれている侵食谷である。
上流の窓ノ瀬から下流の吐合間が中心で、1934年(昭和9年)11月10日 五ヶ瀬渓谷として、名勝及び天然記念物に指定され、昭和40年3月には祖母傾国定公園に指定されています。
柱状節理のそそりたつ断崖、岩をかむ激流、千古の謎を秘めた深淵、湧く岩清水など高千穂峡には神々が宿っているというのが実感できる。

宿の女将が言ったとおり昼頃には35度を超える暑さとなり、1時間も歩くとぐったりして駐車場に戻り冷たい飲み物で喉を潤す。
熊本まではほんの一息である。汗をぬぐって再びハンドルを握る。この後、久しぶりに白川水源に寄って阿蘇山頂へ上ってみようと思う。


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November 03, 2007

熊本帰省2007.伊勢が浜

青雲橋道の駅で「田舎そば」を食べて日向市へ向かう。
今日の宿は伊勢が浜の目の前にある「はまぐり荘」である。「はまぐり」と名が付いているだけあって「はまぐり」が名物という。楽しみである。14時頃に着き荷物を部屋に置かせてもらい、伊勢が浜でひと泳ぎすることにする。水着に着替えて宿から3分。本当に目の前である。
伊勢が浜
伊勢が浜は「日本の海水浴場88選」に選ばれ水質・設備・景観共に5ツ星の海水浴場という。そして伊勢ヶ浜は、日向岬特有の柱状節理でできた2つの岬に囲まれたところにあり、砂浜に立つと茶褐色の岩肌と青い海から周期的に打ち寄せる波が輝いて眩しいくらいである。南北に幅300mほどの砂浜は、サラサラの白い砂で出来た美しい海岸だ。
この浜は遠浅だが、波が高く子どもから目を離さないほうがいい。しかし、波打ち際で高い波と戯れるのは子どもにとって楽しいようだ。

ひと泳ぎした後、一旦宿に戻り夕食まで時間があるので日向岬の「馬ヶ背」を見物に行く。
伊勢ヶ浜から米の山、芝生公園(日向岬グリーンパーク)、サンポウ、クルスの海をへて「馬ヶ背」まで約5K。馬ヶ背
「日向岬」には「大御神社」の斜柱、「千畳敷」の金屏風、銀屏風、「小松崎」の孤立石柱、「塩屋崎」の板状岩など数多くの岩種が見られるが、圧巻は何といっても「馬ヶ背」の断崖絶壁である。奥行き200m幅10m海水路の両岸に高さ70mの垂直にそそり柱状節理。覗き込むと日向灘の荒波と谷底から吹き荒れる風に足がすくむほどだ。
柱状岩は、一説によると今から1500万年前、火山の噴火物や地下のマグマが火道や、割れ目に貫入して、冷え固まる時に出来たといわれている。
また「馬ヶ背」という名称は、ここの遊歩道先端一帯の陸地から盛りあがった岩肌が馬の背中に似ている事からこう呼ばれている。
1時間くらいドライブと散歩をしてお腹をすかして宿に戻る。
はまぐり荘料理1はまぐり荘料理2
ここ「はまぐり荘」は民宿規模で、お風呂も男女交代という不便さであるが、夕食の料理は絶品だ。めじな、いさき、えび、かに、さざえなど活きのいい刺身が食べきれないくらい出てくる。そして何といっても名物のはまぐりの塩焼き、そしてはまぐりの炊き込みご飯が美味しい。お腹いっぱいでご飯は食べられないと思っていたが、一口食べると止められなくなる。ついつい全部食べてしまった。
伊勢が浜の前にぽつんとある民宿風旅館であるが、いやはや侮れない。今日の夕食は大満足であった。



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October 19, 2007

熊本帰省2007. 日向へ

高千穂神社
高千穂神社2
阿蘇宮地の叔母の家を出て高千穂を目指す。高千穂は何度も通過したが、高千穂渓谷をゆっくり散策したことがなかったので、寄り道をして下りてみようということになったが、どういうわけか駐車場が満車でどうにも駐車できない。まだ午前中というのに・・・。ちょうどお盆の時期で里帰りが多いのだろう。明日ここを再び通るので、明日ゆっくり見学することにして、高千穂神社に参拝して日向へ向かうことにする。
ものの本によると、高千穂神社は、第十一代垂仁天皇の時代に創建されたと伝えられている。当地は日本神話における天孫降臨の舞台となり、その後に日向三代の宮である高千穂宮が置かれた地とされ、当地の伝承では、長年人々を苦しめてきた荒神・鬼八三千王を退治した三毛野命(神武天皇の兄神)とその妻子神を「十社大明神」として祀ったのが当社の始まりとしている。とにかく大変古い由緒ある神社であることは間違いない。
神社を後にして車を走らせるとすぐに「トンネルの駅」という看板が見えてきた。何だろうと寄ってみるとそこはトンネルを利用した焼酎蔵で、麦焼酎の樽が5000本も眠っている。
どうしてこんなところに使われていない長いトンネルがあるのか不思議であったが、説明を読んで納得した。
トンネル蔵
「トンネルの駅の歴史」
旧国鉄時代(現JR)、延岡から高千穂までの高千穂線を延長、熊本県高森町まで結ぼう という九州横断鉄道建設の計画があり、昭和48年延長約23kmのトンネル工事が始まった。その後トンネル内に水がわき出る事故があり、工事は中断、当時の情勢の変化等もあり結局工事は中断したままトンネルだけが残ってしまった。
平成9年旧国鉄精算事業団から高千穂町に払い下げられ、年間平均温度17度前後、湿度70%という焼酎をねかせるのにちょうどよい温度と湿度という事もあり、焼酎の貯蔵庫として地元(岩戸)の神楽酒造が高千穂町と賃貸契約を結び活用することになり平成12年にオープンしたものである。
滝
トンネルの駅には天孫降臨の滝があったり、宮崎の物産を販売する建物が併設されてい
たりと、かなり観光地化されている。それにしても物産館においてある焼酎の数が多い。さすが宮崎だ。ついつい3本も買い込んでしまう。
寄り道ばかりでなかなか先へ進まないが、ちょうど昼時になったので、少し先にある青雲橋道の駅で昼食をとることにした。


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September 29, 2007

熊本帰省2007. 阿蘇宮地

阿蘇の叔母の家までは熊本空港から約45分くらいである。昔から宮地の叔母さんと呼んでいた。義母の一番下の妹で私とは10歳くらいしか年が離れていない。叔母さんの長女が修学旅行で東京に来た時など東京タワーに面会に行ったり、叔母さんを招いて、はとバスで東京見物に付き合ったりと家族ぐるみで親しくさせていただいている。
特に毎年送ってきていただく手作りの高菜漬けは絶品である。今年はその叔母の家で一泊させてもらうことになった。
バーベキュー2

夕方叔母の家に着くと、新盆のため手伝いに近くの親戚が数名来ていたが、お参りに来るお客様が多く忙しそうである。私達も仏前にお参りをしてお膳を頂く。来客が一段落すると庭で炭火焼きの本格的なバーベキューの準備が始まった。今晩の夕食の準備である。お手伝いの人も含め15〜16人くらいで網を囲む。年配者は部屋の中で焼きあがった肉や野菜を持ってきてもらい、我々は庭先で牛、豚、猪、鳥などの肉を焼き、冷たいビールでわいわいとバーベキューを楽しむ。今回新鮮な猪の皮を焼いて食べたが、これがまた大変に硬い、しかし、顎が痛くなるほど噛んでいくと非常に味が出てくる。私は固いものが大好きで焼き鳥でも軟骨を好んで食べるが、この猪の皮は相当に手強く顎が悲鳴を上げ出した。

2時間くらいバーベキューを楽しみ、私はすっかり酔っ払って大広間で寝かせていただいた。叔母の家に私達の他に親戚など7人くらいが泊まったが、どうやら午前1時過ぎまで杯を重ねていたようである。
朝霧阿蘇連山遠景
翌朝6時過ぎに妻と散歩に出かける。大観峰を眺めると朝靄が畑まで下りてきて幻想的である。阿蘇連山に目を移すと、こちらは阿蘇の山並みを雲がすっぽり覆っている。写真に撮ると箱庭の風景のようでほのぼのとしてくる。阿蘇はいつ来ても新しい顔を見せてくれる。

散歩から戻り、叔母の家の近くに植えてあるとうもろこしがたくさんなっていたので、そろそろ食べごろですねと尋ねると、あれは家畜の餌だという。今では品種が改良されどんどん甘いとうもろこしが出回るようになり、昔のとうもろこしは家畜の餌になってしまったようだ。
とうもろこし
朝食を皆でいただき、一休みして叔母の家族に別れを告げる。別れ際、車だからと、いつものようにたくさんのジャガイモをお土産に頂く。朝の9時過ぎであるが、すでに30度を超えているようだ。叔母の家を後にして、今日は宮崎の日向を目指す。


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September 14, 2007

熊本帰省2007. お墓参り

上通りの「加茂川」は創業明治14年の熊本を代表する肉の老舗である。元々は精肉業から始まっただけあって馬刺しやステーキ、しゃぶしゃぶは他を圧倒する品質と味であり、熊本で私の大好きな店の1つでもある。私達はステーキを堪能し、ホテルに戻る。私はさすがに運転疲れであっという間に眠りについた。
ホテルの窓から
朝は6時に目が覚め、カーテンを開けるとビルの谷間に熊本城の天守閣が覗いている。そしてその先には金峰山が聳えている。この景色を眺めながら仕事をしてきたのだと、また30数年前を思い出しはじめたが、同室の三女が起き出してきたため慌しくなった。
今日はスケジュールが詰まっているので、慌しくチェックアウトして義母の入院する病院へ向かう。義母が入院してもう10年になるだろうか。だんだんと義母が小さくなっていくのが分かる。今ではそれほど大きくないベットの半分しか使っていない。昨年から外泊も出来なくなった。しかし、年に一度私達が来るのを楽しみにしている。1時間程義母と話をして病院を出る。
お墓
いつものとおりお見舞いの後はお盆のお墓参りである。今年は義姉夫婦と時間が合わず、何とお墓で待ち合わせて再会することになった。墓地では全く陽を遮るものが無い。そして今年は例年以上に猛暑の夏である。炎天下、茹だるような暑さの中で1年ぶりに再会し、近況を報告しあった。20分も話をしているとぼーとしてくる。お墓参りを一緒にして、早々に別れて先を急ぐ。今日は阿蘇宮地の叔母の家に泊めて貰うことになっている。新盆で忙しいところ快く迎えてくれたので、少しはお手伝いをしなければと思っている。

昼食は三女が贔屓にしている「金龍」でラーメンを食べることにした。ここの名物はチャーシューメンである。どんぶりの縁いっぱいにチャーシューが盛られている。10年前最初に食べた時にはびっくりした。
また、たかな漬、紅しょうが、ゴマ、にんにくなどが入れ放題なのがありがたい。そして安くて美味い。熊本では人気のチェーン店である。金龍ラーメン
私が運転しているのをいいことに金龍でも妻と長女は餃子を肴にビールを飲み始めた。松山でもやられてしまった。いい加減にしろと言っても聞く耳持たずである。そういえば二人とも熊本生まれである。生まれ故郷に帰るとやり放題のようだ。
長女はこの後、熊本空港から東京に1人先に帰ることになっている。運転手として連れて来ているのに、油断しているとすぐにアルコールを口にしてもう運転は出来ないという。全く役に立たないやつだと愚痴をこぼしても妻と二人でジョッキから手を離さない。

その長女を熊本空港まで送り、阿蘇の叔母の家を目指す。


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September 12, 2007

熊本帰省2007.30年前を思いだす

ホテルの窓から2

今日の宿は水道町近くの白川沿いにある小さなホテルである。今晩は寝るだけだというので特別安いホテルにした。ツインで5,000円以下である。その分夕食は豪華にと上通りへ歩いて出かける。熊本も毎年少しずつ変わっていくが、30年前と景色はほとんど変わらない。水道町の電停前、今は立て替えられているが、私が働いていたビルの前を通る。

そうかあれから30数年が経ったのだ。大学を卒業後、就職して3ヶ月の全寮研修が終わり初任地の発表があったときにはそれこそびっくりした。大阪支店勤務と言われたのだ。えーと思った。大阪は大阪で採用があり、関西の大学から10名程度採用されていた。全寮生活だったので、関西出身の同期とも随分話をしていたが、まさか東京採用の私が大阪支店勤務とは・・・。しかし、これはほんの序曲に過ぎなかった。

大阪支店勤務は10名、しかし、大阪までの新幹線のキップを渡されたのは8名、私とI君は航空券を渡された。辞令を受けにとにかく現地に着くためだ。航空券の行き先は福岡となっている。何だこれは。何かの間違いだろうと質問すると君達二人は大阪支店管轄の福岡営業所勤務だと告げられた。ここでまたびっくりである。研修期間でも福岡営業所があるなどとは一言も聞いていない。これは詐欺だ。間違いなく詐欺だ。内心本当にそう思った。
しかし、社命である。I君と二人で翌日飛行機に乗り込む。福岡に着いたのは7月の暑い日であった。博多駅前の福岡営業所は当時10名強の小さな事務所であった。とても一部上場企業に入社したとは思えなかった。博多弁が飛び交い九州の右も左も分からないこんなところで仕事をするのかと思うと就職に失敗したと本気で思った。
しかし、本当に驚くのは次の瞬間であった。Y所長の前に呼ばれて辞令を受けとると何と大阪支店、福岡営業所、熊本事務所となっている。熊本?何のことだ? 所長にこれは何ですかと聞くと、聞いてないのかと言われ三浦は熊本勤務だと告げられた。福岡に営業所があるのも知らなかったくらいであるから、熊本事務所などがあろうとは夢にも思っていなかった。

I君は福岡で私は熊本だと言われた時にはもう二度と東京にはもどれないなと本気で思った。研修中に何かとんでもないことをしでかしたのだろうか? それともよほど出来が悪かったのだろうか? いろいろと考えたが思い当たらない。
確かに研修終了の日に担当であった先輩社員を胴上げしてスーツのまま大浴場に投げ込んだ首謀者であったことは認めるが・・・。

入社してすぐ左遷とは・・・。
熊本事務所は3名の社員に嘱託が1名という零細企業であった。住居もガラス屋さんの2階に下宿というような待遇から始まったのだ。

そんな30年前のことが頭をよぎって立ち止まっていると、先を歩いていた家族から早く早くと呼ばれて、はっと我に返った。
よし今日はあの頃の給料ではとても食べることが出来なかった「加茂川」でステーキと馬刺しを食べよう。


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August 28, 2007

熊本帰省2007.松山から熊本へ

神社茹だるような暑さであったが、ここまで来て素通りは出来ない神社がある。日本三大八幡造りで国指定重要文化財の湯月八幡伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)である。石段が長くこの暑さには厳しかったが、気持ちよく参拝しホテルへ戻る。

汗でびっしょりになったため、夕食の前に一風呂浴びる。戻ってくると夕食の準備が出来ていた。瀬戸内海はやはり魚だ。
松山夕食前菜があり、ひらめの薄造り、鰤・鯛・鱧のしゃぶしゃぶ、少し遅れて出てきた氷かごの刺身は鯛、鱧、イカ、平目のえんがわと豪華である。
伊予牛の鉄板焼き、土瓶蒸、鯛の煮付け、茶碗蒸し、ソーメン、それに1人ずつ炊き込んだ鯛めしは絶品であった。
地の道後ビールが効いてきたのか、運転疲れか、夕食後はすぐに床につく。

翌朝、朝風呂を浴びて朝食を済ませ、再び道後の街を散歩したが、何と妻と長女が松山の地酒を試飲し始めた。何だ、これでは私がずっと運転して熊本まで行かなければならないではないか。朝から酒など・・・と言っても後の祭りである。
しかたなくハンドルを握って10時30分に八幡浜港へ向かう。今年は八幡浜から大分の臼杵までフェリーに乗り、大分自動車道を通って熊本へ入るスケジュールをたてた。
松山自動車道を通り八幡浜まで1時間くらいで十分着くであろうと予想していたが、高速に入るまでかなりの渋滞で、尚且つ高速も4キロ程度渋滞が続き、出航時間に間に合うかひやひやしたが、何とかぎりぎり間に合った。
昼食もとれず、慌しくフェリーに乗り込む。2等席に潜り込み、横になってしばらく休む。
フェリー
予定より少し遅れて臼杵港へ着き、大分自動車道で熊本へ向かう。大分は雨が降ったようで道路がかなり濡れている。別府湾サービスエリアで一休みし、景色を楽しもうとしたが、霧がかかり見晴らしが悪い。外のさわやかな空気を吸って車に戻ろうとしたが、いい匂いがしてくる。見ると大分産の地鶏を炭で焼いている。一パック買って食べてみるとこれが大変に美味い。4人であっという間に食べてしまった。そしてもう一パックを買いこれもあっという間に平らげた。ここの地鶏焼きはお勧めです。別府湾
元気が出てきたところで一気に熊本へ急ぐ。
鳥栖インターチェンジで九州自動車道へ。ここまでくれば後は慣れた道である。気が楽になる。疲れもそれほど感じなくなるから不思議である。

18時過ぎに神水(くわみず)の実家に寄り、土産物を渡して今日の宿であるホテルへ向かう。今年もやっと熊本に着いた。


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August 20, 2007

熊本帰省2007.今年も大渋滞

今年も恒例の熊本帰省がやってきた。
毎年お盆には熊本に帰省する。車での帰省は11年目となる。今年は松山の道後温泉で一泊してから熊本入りをする計画である。

8月11日仕事を終えたのが夜8時、急いで自宅へ戻り準備をして熊本に向けて出発したのが9時45分頃である。往路は長女と交代で運転するが、いつものことだが7割は私が運転することになるだろう。
元気なうちにと私が最初に運転し東名高速を走る。足柄サービスエリアで夕食をとったのが11時過ぎ、100キロを約1時間15分で来た。ここの桜えびそばは結構いけるのだ。
空腹から開放されたが、ここからが難関である。とりあえず道後温泉まであと550キロ、睡魔との闘いの後はどこから渋滞になるか戦々恐々である。1時に牧之原SAで運転を交代し、その後は上郷SA、多賀SA、大津SAと運転を交代していく。そして7時ついに京都南から40キロの渋滞との情報が入る。3時間以上との掲示板にうんざりする。
去年は高速のまま渋滞を走ったが、今年は迷わず一般道へ下りる。京都南から宝塚まで63キロ上手くいけば2時間で行ける。そう判断した。
予想どおり一般道は比較的流れが良い。これなら2時間で十分行ける。正解だったと最後の8キロまで思っていたが、何と最後の8キロで全く動かなくなる。何度か抜け道を行くが傷口を広げただけであった。とうとう8キロを1時間15分かけて走ることになる。
高速を走っても、一般道でも結果は同じであった。恐るべしお盆の渋滞。
明石大橋標識
明石大橋から淡路島を縦断し、鳴門大橋を渡って四国に入る。香川から愛媛へ道後温泉に辿り着いたのは15時30分であった。早速今日の宿である「宝荘ホテル」へチェックインして道後温泉本館の湯に浸かりにいく。道後に来たら本館の湯に入らなければ話にならない。ホテルの湯はその後だ。
道後温泉本館
夏目漱石「坊ちゃん」の舞台である本館は当時の面影をそのまま残す。道後は32年ぶりだが本館だけは全く変わらない。内風呂で景色は見えないが、「千と千尋の神隠し」の湯屋を思い起こさせる。どこからともなく「顔なし」が現れそうだ。

本館を出て、ぶらぶらしながら土産物店を冷やかして廻るが、35度を超える暑さですぐに汗びっしょりになる。これではホテルに帰り再び一風呂浴びなくてならない。
それにしても今年のお盆は暑いお盆である。
松山

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March 10, 2007

熊本帰省2006.9.天草から東京へ

天草夕日部屋の窓から天草の海に沈む美しい夕日を眺めていると、お楽しみの夕食が運ばれてきた。
前菜4品、あわびの踊り焼き、ひらめと鯛、えびにホタテ、イカの刺身、蛸の塩蒸しと甘辛煮、地鶏のサラダ風刺身、地もの野菜の煮物、渡り蟹、それに赤だしの味噌汁に蛸飯が付く。とても食べきれない。しかし、驚いたのは子どもの料理である。まず、エビフライに骨付きウィンナー、とんかつ、刺身、蛸飯と赤だしが並べられた。これだけでも大人の一人前は十分ある。ところが食べ始めると、とりのから揚げ、たまご焼き、地鶏のサラダ風刺身、最後はステーキまで出てきた。そのステーキも大人の一人前は十分にある。これはなんだ。
竜宮夕食
天草には熊本近郊から多くの家族連れが海水浴に来る。そして、ホテル竜宮の子ども料理は小学生であれば3人分はあるボリュームだ。尚且つ子どもが好きなものばかりが並べられる。これだけのボリュームだから子どもどうしの料理の取り合いなど起こりようがない。私が子どもでもきっと来年の海水浴も竜宮に行きたいというだろう。子どもにせがまれれば親はまた来年竜宮にやってくる。料理で子どもを圧倒している。これも作戦なのだろうか?

一生懸命料理を食べたが、蛸飯まではとうとう辿り着かない。そこで蛸飯はおにぎりにしてもらい、蛸の甘辛煮ととりのから揚げ、たまご焼きを一緒に部屋に残してもらう。

いよいよ明日は東京に帰る。今年の帰路は私1人で運転である。そして天気予報では夜半から台風の影響で大雨が降るようだ。これは体調を整えておかないと大変だと思い、22時には床につきぐっすり眠る。
朝5時30分に起きだして、昨日のおにぎりを食べる。美味しい蛸飯である。ついでにおかずにも手を出した後、展望風呂へ行く。すでに数人が朝風呂を楽しんでいる。外を見ると天気予報のとおり大雨である。これは早めに出発した方がいいだろう。

部屋に戻り8時前に朝食をとって急いで帰り支度をする。9時前にホテル竜宮を出るときには大雨でワイパーをフルにしても前が見づらい。途中のドライブイン「あまくさ村」で土産と傘を買い熊本市内へ急ぐ。
再び義母の入院する病院へ行き別れを告げる。毎年の合言葉である「また来年こりゃなんたい」と言われ「そぎゃんたい」と応えて病院を後にする。
熊本市内
下通り商店街で昼食に本場の熊本ラーメンを食べてから空港へ二女を送る。いつもであれば交代で運転して東京まで帰るのであるが、今年は仕事が忙しいということで、一足先に帰ることになってしまった。

二女を送った後、九州自動車縦貫道で東京へ向かう。雨足が強い、台風10号で小倉南あたりはほとんど前が見えない。結局、兵庫県の三木ICの先まで雨が強く徐行運転となる。
昨晩ゆっくり寝たせいか体調はよく、あまり休憩を取らずに進む。
毎年のことであるが、浜名湖まで来るとあと少しだと多少ほっとする。ここで休憩をして浜名湖の景色を楽しむ。浜名湖
そこから先は一気に東京へ向かう。今回の走行距離は3000キロ強。初めてのアルファードとの旅であったが、結構気が合ったようだ。
疲れはそれほどないが、きっと数日すると肩が凝ったりしてくるだろう。何はともあれ無事に帰京したことに感謝をしたいと思った。


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February 24, 2007

熊本帰省2006.8.ホテル「竜宮」

イルカクルージングが欠航になったが、ホテルのチェクインにはまだ時間がある。港の案内で聞いてみると内海を巡る「五橋クルージング」なら船は出るという。それにしよう。とにかく天草の海へ出てみようということになった。
5橋めぐり1
台風の影響で風は少し強いが、天気はよく天草の日差しは強い。
船に乗り込み群青の天草の海へ出る。「五橋クルージング」と言ってはいるが、最大の1号橋は説明だけで、実際は2号橋から5号橋を巡るクルージングである。2〜5号橋は近いが、1号橋は距離があるため、時間の関係で1号橋までは行かれないのであろう。5橋めぐり2
何十回となく天草五橋は渡っているが、五橋を下から眺めたのは初めてである。1時間弱のクルージングを終え、ホテル「竜宮」へ戻る。レストランで、がらかぶの空揚げとサザエの壺焼で軽くビールを飲み、喉を潤す。

15時少し前に部屋へ入り、早速露天風呂へ向かう。まだ誰もいない。貸し切状態である。ここの露天は囲いがしてあり、外の景色は見えないが、海がすぐ前のため潮の香りが漂ってくる。6階には展望風呂があり、そこからは天草の海が一望で出来る。先ずは露天で手足を伸ばし、日没前に展望風呂で夕日を眺めようと思う。
妻と二女、三女は連れ立って岩盤浴と貸し切風呂へ行く。

30年ほど前に初めてここへ義母と来たが、その時は「竜宮荘」という名前で、民宿を少し大きくしたようなホテルであった。部屋から障子を開けて縁側に出て、そのまま海水浴場へ行けた。濡れ縁の前には水道の蛇口があり、海から戻るとそこで足を洗ってそのまま部屋に上がったものである。海の家を上品にしたような素朴で温かみのあるホテルであった。体の悪い義母は外へ出なくても縁側で孫たちの砂遊びを眺められるので、竜宮荘が気に入っていた。それから何度か宿泊したが、そのたびに大きくなり今では結婚式場まで備えた天草でも有数の豪華ホテルとなり、名称もホテル「竜宮」と改称している。
ホテル竜宮
以前から竜宮の料理は有名でボリューム、質ともに豪華であった。また、従業員の教育が徹底しており、宿泊していても気持ちがいい。
お客さんは正直である。質の高いサービスをするところに自然と集まり、お金を落としていく。すると設備を充実させ、サービスがより向上する。そういうところにはレベルの高い従業員が集まり、再びお客が集まってくる。
奢ることなく昔の素朴さを残しながらも近代化を進めていく。ホテル「竜宮」には学ぶべきところが多いように思う。

夕食までの時間、運転で肩が凝っていたので、マッサージをお願いする。60歳近い女性のマッサージさんが部屋に来て1時間近く体を揉みほぐしてもらいながら、話を聞く。旅に出るといろいろな人たちから土地のことや、昔のことなどを聞きまくる。その中にいろいろな成功のヒントや失敗の教訓が潜んでいるからだ。マッサージさんに「竜宮」のことも聞いてみたが、あれよあれよという間に大きくなったと感心していた。
お客のニーズをつかんで実践していくとこうなるという見本を見たような気がする。

さあ、そろそろお腹も空いてきた。自慢の料理が待ちどおしい。


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February 10, 2007

熊本帰省2006.7.天草へ向かう

エルパティオ牧場を後にして熊本空港へ向かう。16時20分着の便で二女が熊本入りし、長女が18時30分発の便で東京へもどるのだ。入れ替えである。二女が到着した後、しばらく話し込んで長女に土産を託して別れる。

今日は義母が入院している病院の近くにある「リバーサイドホテル」へ泊まる予定である。まずホテルへ入り、荷物を置いてシャワーを浴びた後、親戚を誘って8人で下通りにある居酒屋(茶山亭)で夕食を摂ることにした。二女は馬刺しが大好物である。特に熊本の馬刺しは東京で食べるものとは比べ物にならないくらい美味しいと言う。私は東京ではほとんど馬刺しを食べない。必ずといっていいくらいがっかりするからである。二女はまだそこまで経験が無いらしく東京の居酒屋でも時々馬刺しを注文して裏切られているようである。熊本では馬刺しのハズレは先ずない。どこで食べても美味しいから安心である。
また、ここの居酒屋は焼酎の種類が多く、焼酎好きにはたまらないが、あれも飲みたい、これも飲みたいと言っているうちについつい飲みすぎてしまうのだ。
11時過ぎにふらふらしながらホテルへ戻るとあっという間に寝てしまった。

翌朝朝食を済ませて義母の入院先へ再びお見舞いに行く。義母は昔の記憶が鮮明で20年以上前に行った旅行の事などもはっきり覚えている。もちろん昨年一緒にいった阿蘇のことなども夕食の料理まで覚えている。体は不自由であるが、頭は大変に若い。私たちの記憶力よりも良いくらいである。
毎日ラジオを聴いているため、どこで何があったなど社会情勢についても詳しいのには恐れ入った。痴呆などは考えられない。しかし、今年は外出が出来なくなった。足腰が相当弱っている。ついに30年近く続いた夏の旅行もさびしいことであるが、昨年で終わりになったようである。
湯布院のお土産を渡し、病院を後にして天草へ向かう。
天草四郎
熊本市内から天草大矢野まで約55k、盆明けで車はスムースである。1時間30分程度でホテル竜宮へ着く。
荷物を預けてイルカクルージングで楽しむはずであったが、天気は良いが台風の影響で波が高く外海へ出るクルージングは中止になってしまった。
さてどうするか? 天草四郎の像を眺めて考える。
まだホテルのチェックインには時間がありすぎる。


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January 15, 2007

熊本帰省2006.6.夢想園からエルパテオ牧場へ

夢想園露天
九州一という露天風呂から出て部屋に戻りゆっくりしていると、夕食の準備が始まった。
もちろん部屋食である。落ち着いた和風の部屋で九州の味を堪能する。懐石風に出される料理はどれも美味しいが、特に豊後牛の陶板焼きと馬刺しが絶品であった。
ビールと地酒と焼酎でもうダメである。今日は花火大会があり旅館のラウンジからも良く見えるというので期待していたが、結局寝てしまった。子どもと妻は見物に出かけ、翌朝話を聞くとなかなか良かったとのことである。

次の日私はまだ皆が寝ている間に起きだして露天風呂へと急ぐ。夢想園石塔朝もやの中で雄大な景色を見ながら浸かる露天風呂は最高である。まだお客さんは2人くらいである。この広さで私を入れて3人というのは貸し切りに等しい。十分に気を取り込んで風呂から上がり、園内を散歩する。夢想園内昨夜雨が降ったのであろう。道がびっしょり濡れていて少し肌寒い。木立の間からはすでに秋の虫が鳴き始めている。

部屋に戻り朝食まで外を眺めたり、横になったりして過す。家族はやっと起きだして朝風呂へ。しばらくして皆が戻ってきたので、朝食を食べにレストランへ行くが一番乗りであった。レストランといっても畳み敷きで和風料亭風である。
出てくる朝食も洒落ている。姫カレイ、卵焼き、手作りとうふ、カボスのムース、豊後牛のそぼろ、さしみこんにゃく、漬物、味噌汁、サラダなど豊富なおかずが箱膳になっている。
私は朝に一番食欲がでる。子どものおかずにまで手を出して3杯飯を食べてしまった。
夢想園内2
朝食後、園内を一回りして夢想園を後にした。
帰りに牧の戸峠(標高1330メートル)で休憩をしたが、九重高原の風は冷たい。気温は23度というが、半袖では寒いくらいである。
休憩所で相談し、今年もエルパテオ牧場に寄ろうという事になる。阿蘇の大草原での乗馬は病み付きになる。昨年物足りなかったということで、妻と長女は無謀にも大酋長コースを選ぶ。私と三女はワイルドウエスタンコースでのんびり草原を走る。
この牧場にはいろいろなコースがあり、乗馬歴や年齢によってそれぞれ楽しめるようになっている。私たちは比較的おとなしいコースで30分くらい乗馬をして戻り、妻たちを待つ。
大酋長コースは私たちより20分くらい長いコースであるが、それにしても帰りが遅い。
30分しても40分しても戻ってこない。嫌な予感がする。途中まで迎えに行くと、インストラクターを先頭に3人でゆっくり歩いてくる。あれ、大酋長コースは早足で帰ってくるはずなのに、おかしいなと思う。エルパテオ牧場
やっと牧場まで辿り着き、話を聞くと、走り始めてすぐ妻が腰を痛めたという。やはり大酋長コースは無謀であったのだ。おとなしく我々と一緒にワイルドウエスタンコースにすればよかったのだ。幸い大事には至らなかったが、落馬でもしたらそのまま病院運びであった。
付き合った長女が物足りなさそうにぶつぶつ言っているが、妻は何食わぬ顔で昼食は何にするかと牧場のレストランでメニューを開き始めた。


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December 19, 2006

熊本帰省2006.5.夢想園

14時頃に「夢想園」に着くが、チェックインが15時からのため荷物を預けて湯布院の街を散歩する。金鱗湖の前にある駐車場に車を入れようとするが、とにかく道が狭いため車がすれ違う事が出来ずなかなか辿り着かない。黒川温泉もそうであったが、昔の細い道で車社会の道ではない。だからこそ趣があるのだろうが、駐車場を作っているのであればもう少し交通整理をする人員を配置してもいいのではないかと感じた。
金鱗湖
湯布院へ来ると必ず寄るのが「焼酎蔵」という店である。ここは焼酎や大分の特産品を売っている店である。
ここの魅力は焼酎の品数ばかりではなく、その容器やパッケージである。とてもセンスのある洒落たパッケージである。そのまま置いても飾りになる。それも竹や和紙、陶器を使った和風の演出が魅力的である。焼酎蔵2
お土産にわたすと皆さん大変喜んでくれる。もちろん自分用にもたくさん買い込む。結局大小10本ほど焼酎を購入する。これだから車で無いとダメのだ。とても10本を提げて旅館までは戻れない。家族も半ば呆れ顔で見ている。内心私はあなたたちの洋服やバック代よりは安いよと睨み返す。

焼酎を車に詰め込み「夢想園」に戻ると部屋に案内される。部屋は離れ風になっていて座敷から庭がよく見える。荷物を置くと早速風呂に入る。ここは九州一という露天風呂が自慢である。男性用は「御夢想の湯」といって約100畳、女性用は2ヶ所あり、ひとつは「空海の湯」で約150畳、そしてもう1つは「弘法の湯」といって約50畳だという。150畳の空海の湯に入りたかったが、混浴ではないので入ることは出来ない、しかたなく男性用の100畳の「御夢想の湯」に入るがこの広さはプールである。いやはや十分すぎる広さである。
夢想園1
ここの温泉は弘法大師が夢枕に立たれて湧き出たというので、癒しの御夢想温泉といわれ、九州露天風呂大賞に選ばれている。良くテレビの温泉特集では紹介されているので知っている人も多いと思う。
九州は日が落ちるのが遅い、露天風呂からまだ日差しの強い街や山並みを眺めながら疲れを癒す。九州の温泉は雄大でいいなー。後は夕食を待つだけだ。頭の中はもう地酒と焼酎でいっぱいである。早く飲みたいなー。


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November 27, 2006

熊本帰省2006.4.湯布院へ

阿蘇風景
やはり飲みすぎたのか? 喉が乾いて夜中に目が覚め、ホテルの1階まで降りてスポーツドリンクを買って飲む。空調を止めたせいかむし暑い。再びベットに入るが寝つかれない。
7時頃に起きだし、荷物を整理する。今日は何かと忙しいので、朝食をとらずに8時30分にホテルを出発する。まず南家の墓参りをしてから阿蘇へ向かう。阿蘇宮地にいる叔母の義父が7月に亡くなり新盆というのでお線香をあげに寄るのだ。途中、「だご汁」、「肥後の赤牛」「地鶏焼き」、「田楽」、「たかなめし」、「いきなり団子」、「馬刺し」「からいも」などあちらこちらの看板がここは熊本だと主張している。熊本にいるときには何気ない看板であったが、東京から来て年に一度眺めると「熊本」が押し寄せてくるようだ。
宮地
宮地の叔母のところへ着き、座敷に上がりお参りをする。毎年泊りに来なさいと誘われるがなかなか実現しない。手作りの高菜漬、いきなり団子、ぜんまいの煮しめにとうもろこしで歓待される。遅い朝食代わりにいただく。毎年送ってもらうが、ここの高菜漬けは絶品である。少し塩が効いているが、白いご飯の上に乗せて食べても、高菜チャーハンにして食べても美味しい。また、ぜんまいの煮しめが癖になる。阿蘇は素朴な料理が多いが山の景色を眺めながら食べる料理は一味違う。
長者原1
叔母の家を出ていよいよ湯布院へ向かう。ここからやまなみハイウェイを通り約70キロである。眺めのよい長者原で軽く食事をする。熊本では「原」と書いて「ばる」と読む。広々とした長者原で山を眺めながら「だご汁定食」を食べる。だご汁は東京でも時々作るが、なかなか熊本の味が出ない。何が足りないのか不思議である。
長者原2
長者原から湯布院まではあと一息である。車の窓を開けると九重高原の風が冷たく気持ちがいい。14時過ぎに湯布院へ到着する。湯布院は2年前にも義母を連れて来たが温泉が何といってもいい。前回の「亀の井別荘」も素晴らしかったが、今年は「夢想園」にお世話になることにした。


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November 13, 2006

熊本帰省2006.3.義父13回忌

順正寺
8月14日、とにかく今日も暑い。車に荷物を積み込むだけで汗びっしょりである。玉名温泉を10時過ぎに出て熊本市内へ向かう。順正寺へ着くが時間がまだ早いので、車をお寺に停めて、熊本駅で昼食をとる。昼食後お寺に戻り、妻の兄姉たちと合流する。
14時から13回忌の法要を行なう。
義父は大変寡黙な人であった。酒は一滴も飲まず、食事も質素であった。義母は、私の妻を出産した後、しばらくして脳梗塞のため左半身が不随となったが、義父がよく看病をして援けていたのを思い出す。
義母は現在病院に入っているが、達者でいるのも義父の看病の賜物だと思っている。

私の子どもが小さい頃に近くの江津湖で水遊びをさせてもらったり、トロッコ列車に乗って阿蘇へ遊びに連れて行ってもらったり、日奈久温泉に皆で行ったこと等いろいろなことを思い出しながら手を合わせた。
長女、二女には義父の思い出があるが、三女が生まれた年に義父が他界したので、三女に思い出が無いのが残念である。

法要を無事済ませ、本日泊まる水前寺のグリーンホテルへ一旦荷物を置きに行く。夜は下通りの店で食事を皆でとろうという事になったが、私と妻はお世話になった剣道場「龍譲館」へ挨拶に行きその後、師範代の松田先生と館長の長男正刀先生とで食事に行く予定を組んでいたため、乾杯だけして退席した。下通り

「龍譲館」へ着くと館長の紫垣先生御夫妻が迎えてくれた。紫垣先生も今年80歳になるというが、大変元気で道場で指導もしているという。肌のつやもよく60代にしか見えない。
私が稽古をしていた時の道場はすでに無く、現在は新築した立派な道場であるが、数々の戦歴を物語る盾やトロフィーは昔のように所狭しと並んでいる。「龍譲館」は健在であると安心する。嬉しくなって久しぶりに館長の紫垣先生と松田先生と並んで写真を撮らせてもらう。龍譲館
長男の正刀先生が少し遅くなるというので、館長に別れを告げて松田先生と食事に出る。水前寺公園の近くにあるいけす料理の「とらや」へ行くと松田先生の奥さんがすでに待っていた。先生の行きつけの店であるらしく阿吽の呼吸で料理が出てくる。10分もしないうちに正刀先生も駆けつけて合流する。
私が稽古に通っていた時には高校生であった正刀先生もすでに教士七段で立派な指導者になっていた。
さあ、今日は飲むぞ。




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October 03, 2006

熊本帰省2006.2.玉名温泉

500キロ直行と宣言して走り始めたが、アルファードとコンビを組んで熊本まで走るのは初めてである。大丈夫だろうか?あと5時間半で500キロ弱を走らなければならない。いつものようにアルファードに話しかける。「頼むぞ、途中でトラブルを起こさないでくれ。危険を察知してくれよ」

走り始めて1時間があっという間に過ぎる。100キロは走った。ここで再び娘が旅館にTELを入れる。「何とか21時までには着きそうです。夕食よろしくお願いします。」
「用意しておきますので、お気をつけて」との返事だったと聞いて安心し、ハンドルを握り直す。それからは疲れも感じず、ひたすらわき目もふらずに走りとおして熊本の菊水ICに辿り着いたのが20時30分。
一般道をあと9キロだ。高速を降りて脇道に入るとあたりは真っ暗であった。ナビを頼りに「黄金館」(http://www.koganekan.jp/)へ。玉名温泉220時45分に旅館に着く。これで夕食は大丈夫だ。TELをしていたので、旅館のスタッフが4人ほど出迎えてくれ、荷物を部屋まで運んでくれる。遅くなったにも関わらず大変親切な対応である。部屋に荷物を置くと夕食を用意してくれている部屋に案内された。遅くなるので、夕食はすべて出して置いて頂ければいいですと前もって言っておいたのだが、きちんと仲居さんが付いてお世話をしてくれたのには感謝した。片付けもあるので仲居さんたちも帰りが遅くなるだろうが、ゆっくりと1時間は食事をさせて頂いた。玉名温泉1
食事も美味しく、喉が渇いていたのでビール2本をあっという間に飲みほす。食事の後、ゆっくり露天風呂に入って疲れを癒そうと部屋に戻ると布団がひいてあったので、疲れた腰を伸ばそうと横になったのがいけなかった。気がつくと朝の6時前である。

家族に聞くと食後私が最初に部屋に戻り、それから7〜8分して皆が部屋に入ったときにはもう熟睡していたので、布団をかけてそのままにしたという。
何と横になって2〜3分で寝てしまったのだ。
運転中気を張りつめていたので、感じなかったが東京を夜の11時頃に出て「黄金館」に着いたのが夜の9時前、22時間の強行軍、まして最後の500キロは直行で走りぬいたのだから疲れるはずである。
しかし、気を張りつめている限り疲れは感じないということを実感した。
「弁慶の立往生」という歌舞伎の場面があるが、気を張っていれば死んでも立っていられるということだ。

早朝窓の外を見ると昨夜は真っ暗で気がつかなかったが、以外に周りには民家があるではないか。玉名は大規模ではないが落ち着いた温泉地である。
熟睡したせいか疲れは一晩で吹き飛んだ。まだ家族が寝ているがタオルを持って露天風呂にいく。朝早くから蝉がないている。天気も良い。今日は義父の13回忌を行なうが暑くなりそうだ。


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September 06, 2006

熊本帰省2006.1大渋滞

今年も熊本への帰省を終えて先日無事に帰京した。
何回かに分けて1週間の帰省状況をブログでお伝えしようと思います。
今年は最初からの相棒であったボンゴフレンディーからアルファードに乗り換えたため、出発の2週間くらい前よりアルファードには良く言い聞かせていた。
「きつい旅になるが頑張れよ。帰ってきたらゆっくり休ませてやるからな」、「今年は10回目の記念の年だ。記念すべき今年はアルファードに任せたぞ」と。

ボンゴフレンデイーは慣れたもので、体と車が一体となっているかのように走れたが、アルファードとコンビを組んでの帰省は初めてのため多少緊張をしての出発となった。
出発は8月12日夜、10時56分であった。すこし高をくくりいつもより少し遅めに出たのが失敗であった。

渋谷の手前で渋滞があり、海老名サービスエリアに着いたのが0時30分。ここで夕食となった。往路は長女と二人で運転をしていくのだが、私が3分の2は運転することになるだろう。ここでしっかり夕食をとっておこうと思い、「カツカレー」を食べる。妻も長女も三女も「たんたん麺」、「山菜そば」、「カレーうどん」という具合に真夜中だというのに決して軽いものではない。「この後、妻と三女は寝るだけなのになー」とつい思ってしまう。
サービスエリア
普段でもこの時期長い列が出来るが、今年はガソリンの値段が急上昇しているため、養老SAでは給油にいつもより長い列が出来ていた。高速道路では一定の間隔を保ちながら独占的に給油所を置いているため、ガソリンの悪質な値上げを抑える目的で前月の一般道路での最高値を上限としている。そのため7月の上限であったレギュラー137円、ハイオク148円が高速道路での8月の値段として設定されている。一般道ではすでにレギュラー145円、ハイオク157円となっているので、高速道路で給油した方が安いのである。
大渋滞1
深夜の高速道路を徹夜で走りぬけていく。2時間程度長女と交代したが助手席では寝られなかった。AM7時、桂川PAで軽く朝食を摂る。いつもであればもう少し先まで走らせるのだが、茨木ICから自然渋滞に加え事故と故障車で45Kの渋滞だとの情報で早めの朝食とトイレ休憩にした。今年は12日の出発ということで、多少は覚悟していたが桂川PAを出た10分後に渋滞地獄が待っていた。それも10年目にして最大の渋滞であった。桂川を出たのが7時35分。そして10分後の7時45分から渋滞が始まった。まず事故渋滞で7キロ進むのに2時間を要した。その後も渋滞は手を緩めることなく続き、何と45キロ進むのに6時間という前代未聞の記録を作ってしまった。
大渋滞2
13日は熊本の玉名温泉で1泊して翌日ゆっくり熊本市内へ入る予定であった。玉名温泉の黄金館(こがねかん)へは遅くても17時前後に到着するはずであったが、ナビの到着予定時間ではすでに22時を指していた。途中何度も旅館に電話を入れたが、21時までであれば何とか食事を用意して待っているが、それ以降だと宿泊だけになるという。何とかしてくれ、このままでは夕食にありつけないではないか。
しかし、渋滞は容赦なく続いていく今年はなぜか事故と故障車が多い。パトカーとJAFの車が頻繁にサイレンを鳴らして私たちの脇を過ぎていく。

やっと渋滞を抜けたのが玉名から500キロ弱の地点であった。時間は15時30分、21時の制限時間まで5時間30分。ナビの到着時間は22時05分を指している。途中休憩していては全く間に合わない、また、どこかで故障車や事故があっても万事休すである。最寄のPAで運転していた長女と交代して、ここから玉名温泉まで直行すると宣言し、全員にトイレはこれ以降旅館まで行かれないと通告してトイレに行かせ、水分補給のペットボトルだけ買いこむ。500キロ直行は長い運転歴の中でも始めてである。気合を入れ直すと疲れは一気に吹き飛び、戦闘モードに変わって出発する。

夕食の制限時間21時までに旅館に到着したか否かは次回のブログで。


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October 20, 2005

熊本帰省2005 エルパティオ牧場

阿蘇放牧牛
黒川温泉を後にした私たちは、東京に帰る前に再び熊ばあちゃんに会いに熊本市内の病院へ向う。
今日も天気がいい。牛がのんびりと草を食べている。大観峰をさわやかな風とともに車で走るが、所々で車を止めては牛と記念写真を撮る。

しばらくするとエルパティオ牧場が見えてきた。ここは20年前に存命中の熊じいちゃんと幼かった子どもたちを連れて馬に乗りに来たことがある。
あれから20年、何度も何度も牧場の前を通るが、なかなか馬に乗る機会がなかった。今年も一旦は通り過ぎるが、何を思ったか妻がエルパティオ牧場に行ってみようと言い出す。それに呼応するように長女が馬に乗りたいと言い出し、三女も同調する始末である。
急遽Uターンをして牧場に向う。

牧場主と話をすると23年前に牧場を開いたとのこと。そうかあの時は牧場を開いて3年目だったのだ。そして市内でおもしろい牧場が阿蘇に出来たと聞いて馬に乗りに来たのだった。20年前にも来たことがあると話すと、60歳を過ぎた牧場主はお互いに若かったですねと笑った。
阿蘇乗馬

牧場では10時頃ということで、ほとんど待たずに馬に乗ることができた。
ここは牧場とは言っても、北海道のような大草原をイメージしてはいけない。草原には違いがないが山の上にあり、登り下りが多く変化にとんだ牧場である。
詳しい説明もなく、初めての三女もいきなり乗馬するが、とにかく馬がなれている。指導員が「馬が草を食べてサボったら腹をかかとで強く蹴ってください」というだけで、先頭に立って進んでいく。
私と三女は20分のコースで、妻と長女は30分のアドベンチャーコースへ行く。坂道を登りそして下り、早足で平坦なところを進む。草を食べてサボりそうになる馬の腹を蹴って手綱を引っ張って首を戻す。平らなところを指導員に手綱を引っ張ってもらって歩く都会の乗馬とはワイルドさが違う。
阿蘇の風は車では感じることができない。馬上で受ける風の何と心地よいことか。
あっという間に乗馬が終わり、車にもどる。
さあ、寄り道をしてしまったので病院へ急ごう。
市電

14時ごろに病院へ着き今年のお別れをしたが、最後はいつもの言葉になる。
「来年もまたこりゃなんたい」今年もこの言葉を聞いて東京へもどる。
熊本インターへ向う途中、帰り道1300キロ、気をつけて行きなさいというようにパトカーをもじった市電とすれ違う。


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October 13, 2005

熊本帰省2005 黒川温泉2

黒川1
標高700メートル、筑後川の支流である田の原川沿いに、懐かしさ溢れる家並みが立ち並び湯治場の雰囲気を残しているが、そこを行き来する人たちは若い人たちで活気付いている。
全国的に有名になったために湯治場というには程遠い賑やかさに驚かされる。何と温泉マップは英語バージョンまで出来ている。いやー恐れ入った。これがあの昔の鄙びた黒川温泉かと目を疑う。
皆で協力すればここまでできるのだと感心させられる。

私たちはまず、新明館の「岩戸風呂」を目指したが、黒川の露天の中でも超人気風呂だけあって1時間くらい待たないと入れないというではないか? ディズニーランドではあるまいし温泉に浸かるのに1時間待ちはないだろうということで、山みずきさんの「幽谷の湯」へ入る。なかなかいい。秋の紅葉のシーズンには最高ではないかと思う。露天風呂の水面ぎりぎりまで枝が伸びている。道路は人で賑わっていたが、ここは別世界のようだ。

次にいこい旅館の「美人の湯」へ行く。前回いこい旅館さんに宿泊したので、何度も入っていたが、ここは日本の露天風呂100選に選ばれている名露天である。
山から竹で引いている打たせ湯で肩をもみ、手足を伸ばしてすぐ下を流れる川のせせらぎに耳を傾ける。ここの露天風呂は何度来てもいいなー。

最後は夢龍胆さんの「りんどうの湯」に浸かる。ここは広い露天で混浴であるが、残念なことに昔の湯治場と違い、若い人が多く女性が入ってくることはほとんどない。
奥は屋根付であり、雪など降ってきた時の景色を想像するとうっとりとしてしまう。
露天風呂も3箇所目となるとそう長湯は出来ない。何だか湯疲れしてぼーとしてしまう。
足だけ浸かり心地よい風に当たりながら今夜の夕食に思いを馳せる。
黒川2

夢龍胆さんを後にして、温泉街をふらふらと宿に向う。途中祠があり、「黒川温泉の由来」が書いてある。ふんふんなるほど。お地蔵さんの首が祭られているそうだ。お賽銭を入れてお参りする。その横のいご坂を上っていくと酒屋があり、天草の向陽寺住職がラベルに1つ1つ文字を書いた説法焼酎なるものが売っていた。思わず「心」と書かれた焼酎を5本、30年古酒を2本買い込んだ。しかし、入湯手形だけで財布は持ってきていないので、明日取りに来ますと言うと、今晩帰りに旅館まで届けてくれるとのこと。
ここはやはり1つなのだ。私たちが泊まっている旅館は離れに過ぎないのだ。
そんなことを思いながら坂を上ると道端のお地蔵さんがにっこり笑っていた。


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October 06, 2005

熊本帰省2005 黒川温泉1

c80e4ef3.JPG熊本県南小国町(九州の北部中心)にある黒川温泉は、今では全国的にすっかり有名になり夏休みともなると大変な賑わいである。
しかし、熊本県と大分県の境にある黒川温泉は交通の便が悪く、以前は過疎の温泉地であった。その将来を危惧した新明館の御主人が自ら露天風呂を掘り、それを温泉街全体に広め、尚且つ露天風呂を地形的に掘ることが出来ない旅館のために「入湯手形」を開発した。これは黒川温泉のどこの旅館でも3回まで温泉に入ることが出来るという手形で、これがまた人気を呼んでいる。

要するに黒川温泉全体が1つの大きな宿であり、それぞれの旅館は離れであるという考え方だ。これは素晴らしい発想だと思う。どうしても自分の旅館がよければという発想になってしまう。他の旅館はいわゆるライバルだからだ。少ないお客を取り合うという考えに立つとどうしても自分中心になってしまう。
それをこの温泉は、全部で1つだという考えに立ち、それを皆が受け入れたところにすごさがある。どんなことでもひとつにまとまるというのは大変なことである。

だから、黒川温泉は統一が取れている。多少のばらつきはあるが、どの旅館に泊まっても、料理やサービスに大きな隔たりがない。そして、それぞれのリーフレットも調和が取れている。もちろん好みがあるので違うだろうが、私が泊まった4つの旅館は満足のいくものであった。
黒川温泉には現在24の大小の旅館があり、私は30年近く前「やまびこ旅館」に初めて泊まった。その後「黒川荘」、「いこい旅館」そして今年は「南城苑」にお世話になった。

「南城苑」には駐車場がない。すぐ前に温泉共同の駐車場があるが、大変込んでいて並んで空きを待たないと駐車できない、しかし、言われたとおり旅館に電話をすると、すぐに旅館の方が来て運転を変わり、荷物を持って部屋に案内された。これだけ人気になっても温泉全体が1つの旅館だと言う気持ちがあるのだろう、皆が協力してお客をもてなしてくれる。黒川温泉は熊本の誇りだ。(贔屓しすぎかもしれないが、私は好きな温泉だ)

部屋で浴衣に着替えて4人で入湯手形お持ちいざ温泉街へ。


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September 29, 2005

熊本帰省2005 石花庭

9a048329.JPG翌日、阿蘇宮地にある叔母の家により挨拶をして、その足で新盆の親戚の家へお参りに行き市内へもどる。
以前は俵山を越えて熊本市内に入っていたが、最近はトンネルが出来て30分くらい短縮された。しかし、俵山から見る素晴らしい阿蘇の景色がトンネルだと全く見ることができない。もちろん俵山を通るルートもあるが、時間がかかることとカーブが多く車酔いをすることがあるので、ほとんどの車は避けているようだ。
時間はかかるが、あの景色は捨てがたい。来年はまた、俵山を越えてみようかとふと思う。

神水(くわみず)の実家へ熊ばあちゃんを連れて行く。久しぶりに我が家で熊ばーちゃんは泊まることになる。
「神の水」と書いて「くわみず」と読む。県外の人では先ず読めないであろう。
熊本の水は正しく神の水だ。湧き水で真夏でも冷たい。そして何より美味しいのだ。阿蘇では名水があちらこちらで湧き出ている。中でも有名なのが日本の名水にも選ばれている「白川水源」である。今では立派な観光地になりバスが何台もとまっている。
20年も前は静かな木陰に囲まれた素朴な水源であったが、今では一大名所になっている。

次の日、熊ばあちゃんを病院へ送る。やはりかなり疲れたようだ。帰京する前に、また来ると約束して病院を出る。
そして、長女が東京から熊本へ来る日なので急いで空港に迎えに行く。
空港で長女と落ち合い、昨日から予約していた「石花庭」という焼肉店で昼食をとることにした。

大体の場所は聞いていたが、「石花庭」という木で作った見落としそうな看板が道路わきに出ているだけで、そこから山へ入っていく。それがまたどんどん、どんどん奥へ入っていくのだ。道も狭くなる。建物も無くなる。本当にこんなところに焼肉店があるのかと疑っていると、目の前が少し開けて「石花庭」という大きな看板が見えた。
砂利敷きの駐車場に車を止めて見ると、想像していた店とは全く違う豪華な造りの建物であった。
予約客だけと言うだけあって、全室個室で阿蘇連山を望めるようになっている。
聞くと、御主人は東京出身で奥さんが熊本出身とのこと。しばらく東京で店をやっていたが、熊本にもどって市内でしばらく営業していたが、2年くらい前から阿蘇で店を持ったと言う。御主人に私たち夫婦も東京と熊本だというと、ぜひ熊本に来ませんかとしきりに誘いだす。

料理の値段は決して安くないが、それに応える味は最高である。店の造りにもこだわりがあり、店の中にいて外を見なければ、熊本にいることをすっかり忘れる。東京の一流焼肉店にいるようである。肉にもこだわり、予約客だけ(通りすがりではまず来ることはないほど奥まっている)で営業して行けることも驚きである。
私たちも、妻の友人から美味しい焼肉店が阿蘇に出来たと紹介されて来たのだ。
料理は正直なので、美味しくなければすぐに客足は遠のく。サービスがしっかりしていて、美味しくその上にコンセプトがしっかりしていれば、どんな山奥にでも人は来てくれる。
そうなんだ。宣伝でごまかしたり、値段で勝負をかけるより、一人ひとりのお客さんを大切にすれば、その人たちが営業してくれる。
阿蘇に良い店がまた1つ増えたとにんまりして店を出る。

そして、これから4回目になる黒川温泉に向う。


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September 22, 2005

熊本帰省2005 阿蘇いこいの村

4b797915.JPG阿蘇最大のリゾートホテルといわれている「阿蘇いこいの村」へ着いたのは4時少し前であった。もう20年以上毎年阿蘇には来ているが、今までは趣のある鄙びた温泉ばかりに泊まっていたため、こちらへ来たのは初めてである。
午後4時というのに夏の日差しが突き刺すように暑い。
熊ばあちゃんが車椅子のため特別室(車椅子対応)を予約しておいた。
和室と洋室のある広い部屋である。

夕食には間があるので、私と三女はいこいの村を探検に出かける。とにかく広大な敷地である。テニスコート、グランドゴルフ場、ふれあい動物園、彫刻の森、芝生の広場、ジャブジャブ池に冒険の池、アスレチック、ウッドスライダー、グラススキー、それに広いオートキャンプ場がある。オートキャンプ場では多くの車が止まりたくさんの人が友達や家族でキャンプを楽しんでいた。
二人でゆっくりとサイクリングコースを歩きながら一回りするのに1時間以上はかかった。
グラススキーを楽しんだり、グランドゴルフで競い合ったり、アスレチックで体を動かしていると1日十分に楽しめそうである。
何といっても阿蘇連山、大観峰を望みながら大自然の中で汗をかくのは気持ちが良いと思う。

部屋にもどり一風呂浴びて、夕食は暮れ行く阿蘇の自然を眺めながら山の幸を中心に楽しんだ。
特に馬刺し、鴨肉のたたき、地鶏の刺身、牛肉のたたきといった新鮮でなければいただけない生肉に舌鼓を打つ。

年に1度の熊ばあちゃんとの旅行であるが、背負うたびに軽さが目立つようになり、気持ちはしっかりしているが、体が弱っていくのが感じられる。
あと何回旅行に行けるかと考えながら車椅子を押して部屋にもどる。


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September 15, 2005

熊本帰省2005 熊ばあちゃん

5e12f4a8.JPG熊本へ着いた翌日、熊ばあちゃんを迎えに入院している病院へ行く。
長女や次女が小さいころ、熊本にいるおばあちゃんということで熊ばあちゃんと呼ぶようになった。義父は当然熊じいちゃんである。
熊ばあちゃんは末っ子である私の妻を出産したあと脳溢血で倒れ、以後不自由な体で過している。
熊じいちゃんが存命中は自宅で生活していたが、熊じいちゃんが亡くなった後入院するようになった。

年に1回、熊ばあちゃんは私たちと旅行をするのを楽しみにしている。そう、もう25年も毎年旅行をしている。由布院、日奈久、天草、黒川温泉、阿蘇、地獄温泉、内牧、水俣、杖立温泉、唐津など数え切れないほど九州を廻った。
15年位前、私たちが熊本から帰るとき、初めて飛行機にも乗り、死ぬ気で熊じいちゃんと一緒に東京へも旅行したことが1度だけある。しかし、熊ばあちゃんは体が不自由なので、東京へ来たのはそれ1回だけである。
そこで、毎年お盆の時期に家族全員で熊本へ帰り、熊ばあちゃんと小旅行をするのが楽しみになっている。
今年は、一宮にある「阿蘇いこいの村」へ行くことにした。阿蘇は熊ばあちゃんの故郷であり、阿蘇へ来ると元気になる。

次女は明日から仕事のため、飛行機で東京へもどることになっていたので、阿蘇へ行く途中に熊本空港へ送っていった。

三女に車椅子を押してもらい、熊ばあちゃんも空港で次女を送る。次女に手を振って「また来年こらにゃんたい。」という。
私たちはこの言葉を25年間聞いている。長女も次女も20年以上「また来年こらにゃんたい」という魔法の言葉につられてお盆には熊本に帰ってくる。

炎天下の中、次女を見送り今年の小旅行の目的地「阿蘇いこいの村」へ急ぐ。


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September 10, 2005

熊本帰省2005 江津湖

e8013cf4.JPG9年連続関門海峡をボンゴフレンディーで渡る。
この車はすっかり私に馴染み、安心して運転ができる。何といっても9年も一緒に東京----熊本間を旅しているのだから当然である。

関門海峡を渡って九州に入ると不思議にもう着いたような気持ちになってくる。ここからまだ250kmはあるだろうが、1000kmはすでに走破したという安心感からだろうか、気持ちもリラックスして疲れも取れてくる。

夕方、熊本インターから高速を下りて神水(くわみず)の実家に到着する。荷物を降ろして夕食までの間、すぐ近くにある江津湖に散歩に出る。ここは熊本市民の憩いの場所であり、小さい子どもたちは浅瀬で水浴びをしたり泳いだりしている。
蝉の声もうるさいくらいである。夕方5時というのに日差しはまだまだ強い。鴨や鷺もあちらこちらで水浴びをしている。

湖のほとりの木の前で子どもたちと一緒に手を合わせる。
実は10年以上前、当時は飛行機であったが、飼っていたウサギも連れて熊本に来ていた。3年間一緒に連れてきていたが、三女が生まれた年に熊本で突然死んでしまった。
いつものように玄関に放しておいたが、いつの間にかいなくなり、みんなで探しまわったが見つからず、逃げてしまったのかとがっくりしていると、2時間後くらいに突然戻ってきて安堵したのだが、その後ぐったりしてそのまま死んでしまった。

このウサギは次女の通う小学校で生まれて、それをもらってきたのであるが、江津湖のほとりに埋めて供養することにした。
だから、毎年熊本にもどるとここへ来て手を合わせる。
埋めた当時とは周りが整備され変わってしまったが、目印は残っているのでそこで手を合わせている。

長女も次女も三女もみんなここで泳いで夏を過した。
湧き水である江津湖の水は、真夏でも今も変わらず冷たく気持ちがいい。


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September 03, 2005

熊本帰省2005 しまなみ海道

d3ce9fc3.JPG関門海峡を渡って九州に入る前に四国から先ず本州に渡らなければならない。
今治から尾道までしまなみ海道を通って行く。しまなみ海道とは平成11年5月に開通した西瀬戸自動車道の愛称である。四国へは瀬戸大橋を利用して入り、本州にもどるのにしまなみ海道を利用した。それぞれ初めての経験である。

熊本では毎年天草五橋を通って1泊の海水浴に出かけているが、しまなみ海道には10本の橋が架けられていて、天草にも負けず劣らずの景色である。
今治から大島に渡る来島海峡大橋、大島から見近島の大島大橋、見近島から伯方島へは伯方橋、伯方島から大三島へは大三島橋、大三島から多々羅大橋を通って生口島へ、そこから因島へは生口橋、因島から向島へは因島大橋、そして最後に向島から尾道へは尾道大橋・新尾道大橋を通って行く。全長約60キロメートル料金は普通車で5,250円である。
距離からすると大変に高い料金であるが、これだけの橋を建設し、今治から尾道まで1時間程度で渡れることを考えると安いのかもしれない。因みに天草五橋は無料である。

それぞれの橋には特徴があり、美しさを競っている。
来島海峡大橋は世界初の三連吊橋で自然景観を生かして造られていて独特のリズムとハーモニーがある。第一大橋、第二大橋、第三大橋の橋長は960m、1,515m、1,570mである。
大島大橋は840m、伯方橋は325mで点在している付近の小さな島を眺めるとまるで箱庭の海のようである。
328mの大三島橋は、アイボリーホワイトのアーチ橋で海の青さや木々の緑と調和がとれ、一幅の絵のような美しさである。
多々羅大橋は、姉妹橋のフランスのノルマンディー橋を超えて世界一の斜張橋となっている。広島県と愛媛県を結ぶ1,480mの優雅な夢の架け橋にふさわしい。
生口橋も多々羅大橋同様、ケーブルを張って造られる790mの斜張橋で世界第9位の規模を持つ。
因島大橋は上下二段構造になっていて上部は自動車専用、下部は自転車歩行者道が走っている。1,270mの端正な美しい橋である。
尾道大橋(385m)と新尾道大橋(546m)は、平行して架けられていて、尾道大橋は通勤・通学、買い物などに利用される生活橋として利用され、新尾道大橋は自動車専用道路として活躍している。尾道水道のライトアップに合わせて夕暮れから新尾道大橋もライトアップされる。

美しいしまなみ海道を通り山陽自動車道にもどって関門海峡を目指す。


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August 25, 2005

熊本帰省2005 四国・鈍川温泉

「こんぴらさん」を後にして今日は愛媛県今治市の「鈍川温泉」(にぶかわおんせん)へ泊まることにした。
愛媛県と言えば道後温泉が有名であるが、何度か訪れたことがあり、今回は敢えて初めてのところを選んだ。
旅行の楽しみの一つに初めての土地や人々に触れるということがある。
さて、どんなところだろうかと少しわくわくしながら車を走らせたが、今治市に入るとどんどん山の中へ入っていく。熊本・阿蘇の地獄温泉もこんな感じで山奥へ入っていったが、鈍川も負けていない。細い山道で、対向車がきたらどうするんだと思いながら走らせていると、「本日開通」という看板が2〜3箇所立てかけてある。見ると土砂崩れのあとのようだ。「おいおい大丈夫なのか」と、どきどきしながら車を進める。不思議なことに「鈍川温泉」に着くまで1台の対向車も来なかった。
7〜8件の旅館がある小さな温泉地であるが、目の前に川が流れていて趣がある。
人里はなれた温泉地である。観光地ではない。土産物屋なども無ければ賑やかさもない。ひっそりとした湯治場のようである。

「鈍川温泉ホテル」にお世話になる。部屋の担当のSさんは20歳前だろうか?寮に入って働いていると言う。あどけなさの残るかわいらしい娘さんであるが、教育も行き届いている。
部屋のテーブルの上に「鈍川の名のおこり」というプリントがおいてある。珍しい名前なのできっと投宿者からいろいろ聞かれるのであろう。私も興味を持って読むと、この土地の人たちはこの名前を大変ありがたく誇りにしていることが書いてある。
要約するとこうだ。
「昔、鈍川は丹生川と書いていた。ところがどうしたことか火事が続いて大変にこまったという。これは丹という字は赤と読むので火事が多いのだろうと考え、これを壬生川と書き換えた。これで火事はなくなったが、今度は大水が出たり大雨になったりして、水の災難に困ってしまった。これは壬生川の壬は水と読むから水の災難が多いのだろうと気がついたが、火にも水にも煩わされない字はなんだろうかと困ってしまった。そのころ弘法大師のお告げがあり、「川の水は鈍いのがよいのだから、鈍川とつけなさい」と言うことで、壬生川を鈍川と改め、今のような平和な村になったという」(郷土の民話から)

地名と言うのは、他国の人にははかり知れない深い意味を持っているのだと改めて感じさせられた。来るまでは、「どんくさい名前だ」くらいにしか思っていなかったが、村人たちのいろいろな思いが入っている名前なんだと思い知らされた。これだから初めての土地はおもしろい。
こんなことを思いながら、温泉に浸かり900キロの道のりの疲れを癒した。
山里であったが、食事も宿の対応も良くゆっくりすることができた。

いよいよ明日は関門海峡を渡って九州入りだ。


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August 18, 2005

熊本帰省2005 「こんぴらさん」へ寄り道

d3c30b08.JPG昭和54年から夏休みは熊本に家族で帰省することが年中行事になっている。
平成9年からは、熊本まで車で帰っている。今年で9回目である。
それまでは飛行機で帰り、レンタカーを借りて九州を廻っていたが、平成9年にボンゴフレンディーに買い換えてから車で帰るようになった。

飛行機で熊本まで往復3時間20分、車で40時間であるが、車で帰るメリットは大きい。
まずは費用が安く済む。5人家族でレンタカーなどの諸費用を考えると30万円ほど安くなる。また、東名、名神、中国、山陽、九州自動車道を通り各地の名産品を食べたり、土産にしたりすることができる。
そして何といっても、20時間と言う時間で会話を楽しむことができる。飛行機で行けばあっという間であるが、車での移動ということで、いやがうえにも会話をすることになる。

今年の往路は次女が交代の運転者となり、熊本に着いた翌日には飛行機で東京にもどり、復路は長女が東京にもどる前日に飛行機で熊本入りをして交代要員となる。
2人とも24時間も熊本にはいない。そこまでして車で帰る必要があるのかと、疑問がわくと思うが、これはあとで納得してもらえると思う。

今年は初めて寄り道をしようということになった。
今までは東京から熊本まで1300キロ直行で行っていたが、今回は四国へ寄ってみることにした。
東京を夜の10時30分くらいに出て、瀬戸大橋を渡り四国に入ったのが、翌日の朝10時30分。ちょうど12時間である。先ずは讃岐うどんを食べて「こんぴらさん」へ参る。
私以外は「こんぴらさん」は初めてである。駐車場を提供している土産物店で麦藁帽子と杖を借りて785段の石段を登る。
真夏の太陽でとにかく暑い。次女は騙されたと言い出し、半べそをかく始末。三女と私は汗だくになりながらも足早に本宮を目指す。本宮へ行かなければ幸せの黄色いお守りは買えないのだ。
次女は妻になだめすかされやっとの思いで本宮へ。ここでお参りをしてお守りを買って下り始める。今日の気温は何度あるのだ。785段の石段を上り下りするにはあまりに過酷である。しかし、10数年前の夏、3300段あると言う熊本の日本一の石段を登ったときは、足のひざが笑い始めて下りる時に、それこそ這いつくばって下りてきたのを思い出した。
あの時に比べればこれくらいはまだまだと気を取り直して石段を下り、「こんぴらさん」を後にした。
これだけ汗をかいたので、昨日からの徹夜の運転の疲れも忘れてしまった。

今日の宿は、今治市の鈍川温泉にとってある。初めての温泉地である。
地名の「鈍川(にぶかわ)」から想像するに、今治の町から奥へ入った川沿いのドンくさい温泉地ではないだろうか。

鈍川については次回に。


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