パラオ

April 12, 2008

再びパラオへ7

パラオカヌー
パラオ海3
ウーロン島手前でカヤックを下ろし、碧い海に入る。私はA氏と二人乗りのカヤックに乗り込む。空と海の境がない。人影も私たちだけである。ガイドのなごみさんに誘導されながらパラオの海をカヤックで滑る。波もなく湖のようである。
しばらくカヤックで海を満喫し、ウーロン島に上陸する。無人島であるが、上陸者のためにベンチやテーブルが用意してある。トイレもあり、バーベキューもできる施設がある。しかし、今日は誰もいない。私たちだけでウーロン島を独占している。白い砂浜を前に用意した弁当を食べる。もちろんゴミ箱など無いため、ごみはすべて持ち帰るそれにしても無造作に椰子の実が散乱している。先日美味しく頂いた椰子の実がこんなにたくさん落ちているのだ。ふと島崎藤村の「椰子の実」という詩が頭に浮かんできた。

「名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実ひとつ
故郷の岸を離れて 汝(ナレ)はそも 波に幾月

旧(モト)の樹は 生いや茂れる 枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚を枕 ひとり身の 浮寝の旅ぞ 

実をとりて 胸にあつれば 新たなり 流離の憂い
海の日の 沈むを見れば たぎり落つ 異郷の涙
思いやる 八重の汐々(シオジオ) いずれの日にか 国に帰らん」

パラオの椰子の実もいずれはどこかに流れ着くのであろうか。

昼食後一休みしてボートに乗り込み、シュノーケリングでさんご礁と南国の魚達を楽しむことにする。ボートでさんご礁が美しいという場所に移動し、海に入り海底を覗き込む。この美しいさんご礁や魚の群れの中に墜落した戦闘機は、操縦士は・・・とつい脳裏を過ぎってしまう。先ほどの浅瀬に沈んでいたゼロ戦を思い出す。戦争博物館に展示されるより、よほど強烈な印象を与える。ありのままということはそういうことなのかとつくづく考えさせられた。パラオ海2

シュノーケリングを1時間くらい楽しみ、再びボートに乗り込んで、PPRへ戻る。
いよいよ今日の夜にはパラオを去る。名残を惜しむようにPPRのプライベートビーチで横になり、しばらくして部屋へ戻る。
パラオ最後の食事は、PPRのS氏、T氏に案内してもらい、日本人夫婦が経営する「美登寿司」へ行くことにした。少し早めにロビーへ行くと、ちょうどビーチで結婚式を挙げているカップルが目に入った。私たちも結婚式を盛り上げるため、ビーチへ出て二人に祝福の声をかけることにする。

しばらく幸せそうな二人を見ていたが、19時過ぎに「美登寿司」へ。
ここは全く日本の寿司屋と変わらない。ネタも新鮮で美味しい。そして、ここの絶品はカマスのてんぷらである。日本のカマスより大振りなカマスを切り身にしててんぷらにする。これがすばらしく美味しいのだ。最後の夜を皆で惜しみながら酒を飲む。
ついに空港へ向かう時間が迫ってきた。22時半にPPRへ戻り、部屋の荷物を片付けて23時30分にPPRを出発する。
午前1時45分いよいよ飛行機がパオを離れグァムへ飛び立つ。

2度目のパラオの出張も無事に終わる。
いつの日か、3度目のパラオはプライベートで来たいものだ。


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March 29, 2008

再びパラオへ6

パラオダンス
シャワーを浴びてレストランへ行くと、すでにプールサイドの席はお客様でいっぱいである。今日のポリネシアンダンスがお目当てなのだろう。私達はPPRのT氏、S氏とともに少し奥の席に陣取る。南国の料理を注文し、ビールを飲み始めるとポリネシアンダンスが始まった。6歳くらいの女の子から20歳くらいの女性までが踊りを披露する。昨年は浜辺で勇壮な男性の踊りを見学したが、それとは対照的に南国情緒漂う優しい踊りである。ダンスも佳境に入り、我々も酒がまわってきた頃、見学者が次々に誘われてダンスに参加しだした。私達も背中を押されるようにダンスの輪に入り見様見真似で踊りに参加した。
日本の盆踊りや阿波踊りではないが、踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら踊らにゃそんそんという具合である。
何か心地良い酔いのまま部屋に戻り明日のために早めに寝る。

翌朝5時半に目が覚めると今日も天気がよい。いよいよ2年越しでパラオの海へ出かけるのだ。7時には朝食をとり、8時45分にダイビングショップへ集合する。今日のカヤックツアーは私達だけだという。これはラッキーである。ダイビングショップ「スプラッシュ」の前でインストラクターの「なごみ」さんに説明を受ける。パラオスプラッシュ
パラオでは全てのものをそのままの状態にしておくというのが決まりなのだ。だから貝殻1つ、木の葉ひとつでも持ち帰ることは出来ないという。在るがままにしておくというのである。9時15分いよいよカヤックを積んで船を出す。無人島へ行ってカヤックとシュノーケリングを楽しむのだ。
パラオゼロ戦
途中、戦争の時に墜落したゼロ戦がそのまま沈んでいるポイントがあるというので、寄ってもらう。大きな浮きが目印なのだが、近寄ってみてびっくりした。相当深く沈んでいるものと思っていたが、何と水深2メートルくらいである。目の前に無残にも胴体だけになったゼロ戦が沈んでいるのだ。日本であればすぐに引き上げて戦争博物館などに展示して、戦争の悲惨さをアッピールするであろう。しかし、パラオは全てがそのままである。墜落したゼロ戦も引き上げずそのままの状態で保存する。碧い透明な海と朽ちたゼロ戦。それがまた余計戦争の悲惨さを際立たせる。ほんの数十年前のことである。私の子どもくらいの年齢の若者がこのゼロ戦に乗っていたのかと思うと胸が痛くなる。

そんな思いを振り払い、碧い空を見上げながら船はウーロン島を目指す。


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March 08, 2008

再びパラオへ5

シャコガイ刺身プール夜景
どらごん亭でシャコガイの刺身やパラオの珍味を食べて22時30分過ぎにPPRへ戻る。
プールには篝火が焚かれて幻想的である。酔いが回っていい気分である。しばらくプールサイドのリクライニングシートに横になり海を眺める。
パラオと日本では時差が無い。東京も同じ23時である。しかし、そこには雲泥の差がある。静かな時間の中に溶け込むようにうとうとしはじめ、気がつくと0時を回っていた。明日もまた早い。部屋に戻ってシャワーを浴びて横になる。ガイナを塗布してあるせいであろうクーラーの効きがよく、寒いくらいである。スイッチをOFFにして寝る。

翌朝少し寝坊をした。6時45分に目が覚め慌ててレストランへ朝食をとりに行く。朝食後明日のネイチャーカヤックの申し込みにダイビングショップ「スプラッシュ」へ行く。今回は順調にスケジュールを消化している。最後の予備日は上手く利用できそうである。PPRのS氏とT氏からは釣りも面白いと聞いていたが、やはり無人島へ渡ってカヤックで海を満喫しようということになった。
全員集合
8時30分現場のクラスターで最後の指導とチェックを行なう。一番心配であった中国人も何とか1人で作業が出来るようになってきた。
午後、今回のチームが全員揃い記念撮影をする。記念写真の後、椰子の実割の名人がPPRにいるというので、案内される。パラオでは椰子の実を割る競技があるそうで、そこのチャンピオンになったこともある人だという。
長い木の棒で上手に椰子の実を落とし、先がとがった専用の道具であっという間に椰子の実を取り出し鎌で割ってジュースを飲ませてくれた。これがまた新鮮で大変に美味しい。そして、ジュースを飲み終わった後、へらで実をすくって食べるのだが、これも珍味である。椰子の実はいくらでもある。落ちて腐ってしまうものが大半である。魚も豊富で果物も多い。食べることには事欠かない。のんびりするはずである。
椰子の実取り椰子の実割椰子の実を食べる
夕方、クラスターへ戻り最終日の仕事を総点検して部屋に戻る。
今日はポリネシアンダンスがプールサイドで行なわれるという。食事をしながら踊りを見られるということで楽しみである。


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February 29, 2008

再びパラオへ4

パラオ池パラオ傷つけ
朝の海ですっきりしたあと、現場のクラスターへ行き午前中ガイナの施工指導を行なう。
今回のクラスターはガーデンビューのため現場からは海が見えない。これは逆に仕事に集中できる。昨年のクラスターはオーシャンビューで毎日海へ出て行く人達を眺めながらの仕事であった。そのため気が散って目が碧い海へどうしても向いてしまう。
今回のクラスターの前には大きな池があり、いろいろな魚や亀が泳いでいる。小さなサメが亀の甲羅に仰向けになって乗っかって泳いでいる姿には思わずほほが緩んでしまう。南国は魚や亀までのんびりしている。

ほほえましい気持ちでふと前の木を見ると、何とナイフのようなもので木に落書きがしてあるではないか。パラオは自然をとても大切にしている国である。砂浜の砂や貝殻1つ持ち帰ることは出来ない。自然のものは自然のままで、という考えからありのままを大切にする。それなのに木に傷をつけるとは呆れかえってしまった。
パラオNO1のリゾート地PPRに宿泊するというのはステータスである。そこに泊まる人達は教養も道徳観も一流の人達だと思っていたが、どこの国にも非常識な人がいるものだ。

パラオ美人オーシャンビューのクラスターには無かったここのクラスターの楽しみは、毎日何度も通る若いパラオ美人を眺められることだ。ニコニコしながらこちらを向いて人なつこそうに通っていく。客室係りやレストラン、ショップ、事務所で働いている女性達である。

午後からはクラスターを離れて、プール横にあるオープンバーで仕事をする。カウンター下にとりつけてあるダウンライトのカバーに使っているステンレスが電球の熱で熱くなり、お客様が触ると熱くて驚くというので、ステンレスにガイナを塗ることにしたのだ。断熱効果の高いガイナを塗れば触っても熱くない。こういうところでもガイナは体感してもらえる。
パラオプールパラオオープンバー
再びクラスターに戻り、仕上げのチェックをして部屋に戻る。
今日は夕食に昨年も行った「どらごん亭」(沖縄料理)へ5人で繰り出すことにした。


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February 14, 2008

再びパラオへ3

パラオ朝食
南国の朝は早い。朝5時30分に目が覚める。外は大雨が降っている。雨音が部屋の中まで聞こえてくる。しかし、6時30分にレストランへ行くころには雨は嘘のように上がった。朝食後8時30分にクラスター8行き、「ブラック」(前回施工したチーム)、「NECO」(今回施工するチーム)ともに集めて再度A氏に説明をしてもらう。A氏も職人気質のところがあり、だらだらしている今回のチームに苛立ちを隠せない。

南国での仕事は勤勉な日本人にはどうも噛みあわない。しかし、こういう仕事の進め方もあるのかもしれない。納期などお構いなしだ。出来るところまで。それだけだ。PPRの監督もそれに同調しないと胃に穴が開いてしまう。

前回は全く気にかけなかったが、私達の部屋の入り口前に古ぼけた建物が建っている。一応柵がしてあるので、PPRの敷地ではない。しかし、駐車場に従業員やNECOのトラックが止めてある。ホテルのS氏に聞いて驚いた。
パラオの日本大使館だという。ホテルの敷地の一部を貸しているようだ。それで、車を自由に止めているのだと納得した。それにしても警備も無く大らかな大使館である。
パラオ施工1
昼食にレストランへ戻り食事をしていると、スコールがあり少し涼しくなる。しかし、すぐに蒸し暑さがぶり返してくる。少し休んで8クラスターへ戻り、工事の進捗状況を確認する。今日は比較的順調に進んでいる。問題の中国人がかき回さなかったようである。1人なかなか指示が伝わらず、余計なことをしでかす若い中国人がいる。中国語しか分からないため、意思疎通が思うように出来ない。分からなければじっとしていればいいのだが、これが勘違いをしながらどんどん動き回る。その後始末をするのが大変なのだが、今日は大人しい。我々もほっとして17時30分には作業を終了する。
部屋に戻りシャワーを浴びて、食事を済ませたあと早めにベットへ潜り込む。
パラオ朝の海
翌朝5時に起きだし1人で海へ行く。まだ少し暗いが天気がいい。念願のパラオの海に初めて入るにはもってこいの天気だ。昨日早く寝たのには訳があった。今回も万が一工事が延びたらパラオの海へは入れなくなる。そこで早朝の海水浴を企んだのだ。
誰もいない広々としたプライベートビーチで南国の海を堪能する。水は温く透明度も高い。砂は白く細かい。遠浅で安全である。独り占めにするにはもったいない海だ。30分パラオの海を楽しんで部屋に戻りシャワーを浴びる。

今日も暑くなりそうである。しかし、元気が出てきた。


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February 02, 2008

再びパラオへ2

朝食後、8時30分に前回施工した部屋を確認に行く。大体良好である。
パラオ完了部屋10時に今回の施工を担当するNECOグループを集めて全体ミーティングを行なう。今回のために英語版のパンフレットを作って配ったが、ほとんど読もうとしない。おしゃべりばかりでうわの空である。今回も思いやられるぞ。なかなか仕事が捗らず、予備日を使うことになるなどということは今回絶対避けなければならない。初日から気合を入れて飛ばすぞ。

そんな思いで昼食後、PPRの入り口ゲート付近を歩いていると、タクシードライバーが寄って来て、マンタが泳いでいるから見に来いと目の前の入り江に案内された。観光客だと思ったのか、一生懸命説明している。確かに小ぶりではあるが、マンタが泳いでいる。イワシなどの小魚も多く見ていて飽きがこない。
クラスター前施工指導1
昼食休みも終わり、今回施工の8クラスターへ向かう。今回の場所はガーデンビューで部屋から海は見えない。目の前は熱帯雨林特有の木々がジャングルのように迫っている。湿度は80%を超え大変蒸し暑い。天気がよくても突然スコールになり、また、青空が見えてくる。

中国人、フィリッピン人主体の今回のメンバーにメーカーのA氏が実演をしながら指導するが、なかなか身が入らない。ペンキを塗ればいいのだろうという程度にしか考えていない。何度も何度も「ガイナ」の特性を説明し、パンフレットを見ておくように伝えるが、話が終わるとパンフレットはその辺に投げ出して手に取ろうとしない。これは厄介だぞ。
前回は指導が細かすぎパラオ人には受け入れられなかったので、今回は多少大雑把にしたが、それでも理解できない職人が何人か出てくる。それをA氏が個別指導で面倒を見ながら進めていく。

我々も工事の進捗状況を管理しながら各部屋を回る。あっという間に第1日目は終わってしまった。それぞれ部屋に戻り着替えをして19時30分にレストランで合流する。東京から東急不動産のT氏がパラオ入りして再会し、明日からの段取りを打ち合わせる。
パラオ夕闇
日が沈んだパラオの海を眺めて呑むビールの味はまた格別である。今日はまだ初日なので体も心も元気いっぱいである。パラオの夕闇を満喫して10時30分頃に部屋に戻る。


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January 26, 2008

再びパラオへ1

「南の島パラオ」は幻であった。手の届くところに楽園がありながら、とうとう掴むことができなかった。

これは、前回のパラオブログの最後を締めくくった言葉である。あの時はとうとう海に入ることが出来なかった。仕事が思うように進まず最終日の夕方までかかってしまったからである。
しかし、天は我を見捨てなかった。昨年ついに2度目のチャンスが巡ってきたのだ。ガイナ施工(http://gaina.ecocoro.biz/index.html)の第二期工事に入ったパラオ・パシフィック・リゾート(PPR)から声がかかった。今まで工事をしてきた「ブラック」グループが忙しく、今回の施工は「ネコ」グループに変わったからである。初めて「ガイナ」を施工する「ネコ」グループの職人に技術指導をして欲しいと要請があった。
パラオNECOグアム空港
今回は、メーカーのベテランで気心が知れているA氏に指導を託して、パラオへ乗り込むことにした。
成田で集合し、コンチネンタル航空でグアムへ入り、4時間の待機後パラオへ。
グアムで4時間の待機は時間を持て余す。夕方になり小腹も減ってきた頃である。見渡すと和食が目に飛び込んできた。
サンドウィッチなど食べられるかと、おにぎりとビールで時間を潰す。

19時45分パラオ着。PPRのS氏が迎えに来てくれていた。2度目のパラオは前回に比べて蒸し暑い。
ホテルで部屋の鍵を受け取り、荷物を置いてレストランへ行きS氏と明日からのスケジュールを打ち合わせる。何としても最終日はオフにして海へ入るぞ。そんな意気込みでスケジュールをたてる。

夕食後、部屋に戻る。前回と同じ14クラスターの部屋である。ここはすでにガイナの工事が終わっている。部屋の中はガイナの効果であろう大変に冷えている。集中管理のため温度調節が出来ない。冷房を切るしかない。夜中は蒸し暑いだろうと思ったが、朝方までとうとう冷房なしで寝ることが出来た。これは体感としてガイナの効果が実証できたと、内心ほくそ笑む。

翌朝、6時30分にプライベートビーチを通りレストランへ向かう。今日も天気がいい。パラオの海は碧く空の色と同化している。今回はこの海へ潜るぞとあらためて決意を固くする。
パラオ海岸

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May 24, 2007

南の島パラオ6

パラオクラスター2いよいよ最終日。とうとう予備日として確保していた最後の日も6時に起床して6時45分にはレストランで朝食をとり、8時には現場へ行く破目になってしまった。そういえばまだ足のくるぶしまでも海どころかプールの水にも浸かっていない。
破れかぶれでもうどうにでもなれという気持ちである。目の前にコバルトブルーの海が広がっているというのに・・・。
パラオ浜辺パラオ工事5
現場で最終チェックを行なうが、何箇所か修正箇所があり補修させる。11時30分、昼食にココナッツカレーを皆で食べ、最後の現場に向かう。PM3時過ぎようやくパラオでの仕事が終わる。一緒にやってきたパラオ人、フィリッピン人のワーカーと握手をして名残を惜しんで別れる。彼らは大変素直で言われたことは良くやるが、油断するとすぐにいなくなってしまう。木陰で休んだり、帰ってしまったりするのだ。それをあまり悪いことだとは思っていない。悪気があるわけではないので、言ってもあまり意味が無い。パラオ流でやるしかない。
夕方プールサイドでやっとゆっくりして冷たいビールを飲み、喉を潤した後、部屋に戻って帰り支度をする。PM7時30分にレストランで今回のスタッフ全員が集合し、パラオ最後の食事をする。
PM10時30分にPPRの車で空港まで送ってもらう。
パラオの空港は小さな空港でゆっくり出来ない。土産売り場もほとんどないので、K君と喫茶室のようなスペースで一休みして、飛行機に乗り込む。
パラオ空港内
帰りは0時30分発のコンチネンタル航空ヤップ、グァム経由成田行きであった。(これが最悪の便である)パラオから1時間程度でヤップ島に着き、乗客の半分が飛行機から降ろされる。私たちはPPRのTさんから事情を聞いていたので驚かなかったが、知らない人は何事かとびっくりする。私とK君は降ろされる組になり、狭く冷房もない小屋のようなところに収容される。椅子もほとんどなく大部分の乗客は立ったままである。文句を言う人もなく。じっと機内の検査を待っている。どうも麻薬の検査をしているのだという。30〜40分後に機内へ戻る。ヤップからグァムまで約1時間。真夜中にパラオを出発したのであるが、寝る暇もない。グァムで約3時間の待ち時間の後、成田までこれまた約3時間、ここでやっと仮眠が取れる。ヤップ経由の便は最悪である。皆さんパラオから帰るときヤップ経由は避けたほうが得策です。

成田に着いたのが、AM9時20分。一旦自宅に戻り、荷物を置いて午後には会社へ出て仕事を始めた。
「南の島パラオ」は幻であった。手の届くところに楽園がありながら、とうとう掴むことができなかった。


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May 03, 2007

南の島パラオ5

3椰子の木日目、本来は今日で研修が終わる予定である。とにかく遅れを取り戻そうと朝6時40分には梅干と納豆と味噌汁の3点セットで朝食をとり8時には現場へ出かける。前日の工事のチェックを行ない修正しなければならない箇所の指示を出して作業を見守る。
しかし、進捗状況は思わしくない。このペースでは今日研修が終了することは至難の業である。
昼食をとりながらついに予備日を工事に使うことを決定する。これで目の前の海は遠くへ霞んでしまった。まあしょうがない。気持ちを立て直して仕事に戻ろうとすると、T氏がPPRの敷地を案内してくれるという。そういえばここへ着いて以来部屋とレストランと工事現場の往復であった。
PPRの敷地は広い。旧日本軍の基地であった名残がところどころに残っている。巨大施設の裏側も案内していただき、運営の大変さを実感する。素晴らしいスイートルームを見せていただき、自然遊歩道を通って小高い山に登っていくと野生のニワトリが飛び出してきた。飼われているニワトリとは違い結構飛び上がって道を横断していく。また、椰子の実を採っていた従業員に出合い、実を割ってもらい100%の椰子の実ジュースをいただいた。大変さっぱりしていて美味しい。最後はマンダラスパのロビーで美味しいバリの冷茶をご馳走になり、一休みさせていただく。椰子の実椰子の実ジュース

15時過ぎに現場へ戻り進行管理を行うが、最終日も仕事だと割り切り今日は早めに仕事を切上げる。ちょうど浜辺でホテル主催の立食パーティーがあるというので急いでシャワーを浴びて出かけると、地元の少年たちが踊りを披露していた。
19時半近くまで浜辺で夕日を眺めながら酒を飲み、その後街へ出てみようということになる。私たち4名とPPRのT氏、S氏とタイ人の奥さん、M嬢、それに横浜から来たという女性2名も便乗して来ることになった。総勢10名で料理の美味しいという「ドラゴン亭」という沖縄出身の日本人が経営する沖縄料理居酒屋(http://cruisecontrol.jp/infogift.htm)へ繰り出す。
少年の踊りパラオ少年

ここのフルーツバットのスープは美味しいよと言われ、初めての私たちはそれをいただきましょうと言ったのだが、・・・。
結局スープを飲み、具を食べたのは私とS氏だけであった。あとは試しに一口というだけで箸が進まない。それもそのはずフルーツバットのスープとはこうもりスープのことであった。それも丸ごとグロテスクなこうもりが入っている。それを店員が小分けしてくれるのだが私も一瞬箸が止まった。しかし勇気を出してスープを飲んでみると濃厚な味でこくがある。フルーツバットというだけあってこちらのこうもりはフルーツを食べている。こうもりスープ
こうもりの身も淡白で美味しい。形はグロテスクであるが、味は良かった。
そのほかヤシガニ、から揚げマングローブ貝、沖縄料理も大変美味しいので是非パラオに来たら寄ってみる価値があります。

ご一緒したPPRのM嬢は美人で独身であるため、地元の男性からよく声をかけられるという。元航空会社勤務で英語は堪能。容姿も端麗で育ちも良いとなれば当然である。しかし、パラオの自然に魅せられ、この地を選んだ彼女はパラオで暮らしてくれる日本人を探しているらしい。
そこで、このたびご本人の了解を得て特別に私のブログで我こそはという日本人を募集することになりました。
是非PPRへ行った時にはゲストサービスのMさんに「三浦尚城的こころ」を見ましたと声をかけて下さい。
紳士的な態度で接すれば必ず名前を教えていただけるはずです。
日本の若い男性諸君パラオには才色兼備の素敵な人がいるぞ。今年の夏休みにはPPRへ行ってみろ。

村谷明子

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April 28, 2007

南の島パラオ4

パラオ遠望
2日目の朝6時に起床してK君とPPRの敷地内にある小高い丘に登り、パラオの日の出を見る。K君がビデオに日の出を納めようとするが、結露でレンズが曇り作動しなくなって日の出の瞬間を撮り損なってしまう。
熱帯気候のせいかその後も何度か結露でビデオが止まってしまうことがあった。

朝食後、部屋に戻り着替えて現場に向かおうとすると部屋に鍵を置いたまま出てきてしまったことに気づく。しまったと思うがもう遅い。自動ロックのため、部屋へは戻れない。しかたなくフロントへ行き、マスターキーで空けてもらい「アイムソーリー」というと「ダイジョウブデス」と返事が返ってきた。そういえばパラオには外来語として日本語が多く入っている。
いろいろ聞いてみると、「ヒコウキ」、「ヒコウジョウ」、「ベンジョ」は日常使われている。先ほどの「ダイジョウブ」そして容易なことを「カルイカルイ」、仕事のあとの一杯を「ツカレナオシ」なども一般的だ。驚いたのは、一所懸命働くことを「キンロウホウシ」などという。
これも日本の統治時代の名残であろう。また、広大なPPRの敷地は旧日本軍の基地であったとのことである。
パラオ工事2パラオ工事3
午前中は、昨日の計測が不確定のためやり直すことになる。どうもペースが日本と違う。また、計算も大まかである。ただ、ガイナの効果を最大限発揮するためには、正確な計測とガイナの計量が不可欠である。日本から同行した技術者はその辺を厳しく指摘するため現地の職人と多少気まずくなる。そんな時いつも現地のS氏が穏便に調整してくれるので、大変に助かる。
やっと14時からガイナの塗装が始まる。それを一通り確認し、15時30分頃レストランにたのみサンドイッチをデリバリーしてもい昼食を現場でとる。その後も予定を大幅にオーバーして作業が終了したのは21時30分であった。レストランが10時で閉店のため着替える間もなく急いでレストランに向かう。何とか元総支配人T氏のご手配で夕食をとることが出来た。

この時点ですでに半日以上スケジュールが押している。いよいよ予備日を使う公算が大きくなってきた。何とか半日だけでも目の前の海に出られないものだろうか?
パラオ海1パラオ海2

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April 18, 2007

南の島パラオ3

パラオ桟橋
朝食を終えてK君とプライベートビーチを散歩する。朝早いためまだ誰も砂浜にはいない。群青色の海と空が目の前に広がる。ビーチの端に桟橋がありここからダイビングやフィッシングを楽しむ宿泊客が海へ出て行く。K君と早く仕事を済ませて最後の予備日には私たちも海に出てみようと相談するが、これがとんでもないことになるとはまだ予想すらしていなかった。

一旦部屋に戻り9時に現場であるCluster12へ向かう。ここはPPRの敷地の中でも一番海に突き出たところにあるClusterで景色がいい。私たちが最初に手がける2階の海寄りの角部屋はアントニオ猪木さん指定の部屋とのことであった。角部屋でどこからでも海が見える素晴らしい部屋である。
パラオミーティング
9時に現場で最初のミーティングを行なう。先ず「ガイナ」とはどのようなものであるか。
(http://www.nissin-sangyo.jp/gaina/index.html)
パンフレットの抜粋を英訳したものを配り理解してもらう。PPRのS氏が通訳を行なう。
午前中は仕事の段取りと「ガイナ」の理解に時間を費やす。昼食後14時から再び全体ミーティングを行って現場監督を任命する。14時30分から養生を開始するが、作業手順が悪くなかなか進まない。日本とパラオではスピードがかなり違う。とりあえず一部屋をトレーニングとして指導し、明日から二手に分かれて実際に塗装する手順であったが、そのスケジュールは難しそうである。夕方進行が遅いため再びミーティングを行い工事の進め方を再確認する。
パラオクラスターガイナ缶
結局初日は17時で終了予定であったが、19時まで職人を残して工事を行なう。しかし、予定の6割程度しか進んでいない。どうも思うようには行かない。言葉の問題もあるが、日本流にこと細かくチェックしても無理なようである。ポイントを押さえて必要最小限の指導に切り替えないと先へ進みそうにない。
日本からのスタッフは最初が肝心だという事で大変細かく指導するが、どうもパラオでは受け入れられない。フィリッピンからの出稼ぎの職人が多く、夕方は早く帰らないと寮の夕食に間に合わないということで、そわそわし出す。夕食は心配しなくてもこちらで用意するといえば安心する始末である。
お国柄が違うためこれも止むを得ない。日本のようにあくせくしないのだ。

我々はレストランに入り、夕食のイタリアンバイキングを食べながら明日からの段取りを再構築する。何だか嫌な予感がしてきた。何としても予備日を使わず終わりたいものだ。



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April 14, 2007

南の島パラオ2

パラオ・パシフィック・リゾート(PPR)の従業員がKOROR空港に大きな車で迎えに来てくれていたので、その車に乗り込みすっかり暗くなったパラオのデコボコした道をPPRに向かう。
パラオでは追い越し禁止の道が多いが、車の数が少ないので気にはならない。約20分強でPPRへ到着する。大きなゲートを通ると、南国特有の椰子や亜熱帯の植物が生茂っている。パラオ一の高級リゾートホテルらしくゲートからホテルの入り口まではかなり距離がある。
PPR夜
ホテルの入り口で美人の日本女性から絞りたての冷たいジュースを振舞われ、フロントでチェックインを済ませてとりあえず部屋へ案内される。
私たちが宿泊するところはクラスター14という場所で1階、2階それぞれ6室のツインルームがつながっている。繁忙期を過ぎたということで、私たちは贅沢にもツインルームを1人ずつ使わせていただいた。(http://palauppr.com/pprmap.htm#)
クラスターは14ありそれぞれ広大な敷地の中に点在している。総部屋数は160室である。
PPR部屋
部屋に荷物を置き、レストランに集合した。目の前はプールでその先がプライベートビーチである。プールサイドにはかがり火が焚いてあり幻想的な演出である。そこで少し遅めの夕食をそこでとる。今日はジャパニーズデーでバイキングは日本食が中心であった。曜日によって7種類の食事が楽しめるようである。そして、今日は日本食の日であった。寿司もそばもてんぷらも何でもある。味も良い。これはいい。ニューヨークの食事では苦労したが、パラオでは食事の苦労はなさそうである。

明日からの予定を皆で確認し、朝7時にレストランに集まるということにして部屋に戻る。部屋に入りデスクで明日の段取りを書きながら窓から真っ暗な海を眺める。よくスコールがあると聞いたが、初日から雨では話にならない。とにかく晴れることを願いながらシャワー浴びてベットへ潜り込む。
PPR朝PPR砂浜
朝6時、となりの部屋のK君が起こしにくる。私も起きていたので、朝食前に浜辺を歩いてみることにした。どうやら昨晩遅くに雨が降ったらしくパラソルやハンモックなどが濡れていた。しかし、今日はよい天気になりそうである。
昨夜は暗くてよく見えなかったが、プライベートビーチは素晴らしい。青い海と真っ白な雲、そして白い砂浜にカラフルなパラソルという組み合わせはこれぞ南国というにふさわしい。

7時前、朝食をとりにレストランへ行くと、日本旅館の朝食バイキングかと見間違うほどの豊富な日本食が並んでいる。これなら朝から力が湧いてくる。パラオは海も空も浜辺も食事もいいぞと思いながら箸をすすめる。
さあ、いよいよ9時からパラオでの仕事始めだ。
PPR朝食

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March 24, 2007

南の島パラオ1

昨年の10月に出張でパラオへ行ってきた。当社の環境事業の一つとして行なっている特殊多機能性塗料(ガイナ) http://www.nissin-sangyo.jp/が東急不動産の海外リゾート施設であるパラオ・パシフィック・リゾート(PPR)http://palauppr.com/で採用され、室内の塗装を行なうパラオ人、フィリッピン人に施工方法を指導に行くことになったのだ。もちろんパラオは初めてである。
雲
パラオのことを少し調べてみた。国名はパラオ共和国(Republic of Palau)、北緯約3〜8度、東経約130〜134度で兵庫県からほぼ真直ぐに南へ下がった位置である。日本との時差はない。人口は20,000人に満たない。そのうち外国人が3割だという。(主にフィリッピン、中国、アメリカ、日本人)言語は英語とベラウ語だというが、ベラウ語に外来語として日本語が多く含まれている。
気温は年間を通じて平均28度前後のようだ。乾季が11月〜5月、雨季が6月〜10月ということで私たちが行った10月はちょうど雨季と乾季の境であった。
面積は489平方km、200以上の島からなるが人の住んでいる島は9島だけのようである。
淡路島の面積が593平方kmなのでそれよりも小さな国ということになる。
この程度の知識でパラオへ向かった。

成田空港を10時30分のコンチネンタルミクロネシア航空で出発する。東急不動産のT氏の引率で私を含めて4人のスタッフで日本を離れる。14時にグァム着(グァムは1時間の時差があるため現地時間では15時)。アメリカ領のため一旦入国手続をする。当然であるが私たちはスムースにグァムへ入国するが、同行のK君が見当たらない。どうしたのだろうと探すと、10数年前のアメリカでの出入国の際に起きたトラブル(本人は手違いと言うがどうも怪しい)が発覚し、別室に連れて行かれていた。それもかなり長い時間尋問されていたようだ。私たちではどうにもならないので、先にトランジットゲートに入り免税店を冷やかしていると、1時間くらい遅れてK君がぶつぶつ言いながらやってきた。何とか入国できたようだ。それにしてもまだパラオに着いてもいないのに、このドタバタとは先が思いやられる。
グァム空港
乗り継ぎでグァムを発つのが18時50分である。相当時間があるので、スタッフを自由行動にして無事アメリカ寮に入国できたことを祝いK君とビールで乾杯する。それにしても待ち時間が長すぎる。
グァムからパラオのKOROR空港までは1時間強である。待ち時間が3倍である。
パラオ行きの飛行機は空いていた。3人掛けに2人で座りゆっくりとパラオへ向かう。
朝7時に自宅を出て、KOROR空港に着いたのは20時を過ぎていた。パラオはすっかり暗くなっていた。
KOROR空港

cpiblog00620 at 15:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!