剣道

January 18, 2013

「剣道日誌」43

今日は大変寒い、夜は特別だ。小学校の体育館でドアをすべて開けっ放しで行う稽古は足が冷えて辛い。暖房の効いた道場で稽古を行うところが増えてきたが、体育館では願うべきもない。
論理的、医学的、技術的に考えても冷え切った床の上を裸足で尚且つ稽古着、袴1枚で立つというのは無茶である。健康にいいわけがない。会社で仕事をしていても夜が近づくとだんだん憂鬱になってくる。しかし、稽古が終わって会社に戻るときは颯爽として晴れがましい気持ちになる。行くときとは全く違う。特にこの冬場はギャップが大きい。こんな短時間で心の持ちように変化が起きるのは不思議である。
その間何があるのか?

道場へ着いて着替えているときも寒さで気が乗らない。準備体操や素振りを行っても寒いものは寒い。しかし、面を付けると気持ちが一変する。もう逃げられないという気持ちと、動物的な打たれまい、打ちたいという気持ちへ変わっていく。寒いという感覚はここでほとんど消えていく。稽古中は寒さも痛さも怖さも薄れていく。これはもう50年という稽古の年月が体をそうさせているのだと思う。
稽古が終わると何で行く前はあんなに憂鬱だったのか不思議になるくらい高揚感がある。

2013年1月は今日で港区の良武剣友会2度、品川区の大井剣友会2度の稽古に参加。17人と25回の立会いを行う。明日も夜稽古へ出る。今年の1月は飛ばしすぎの感もあるが、何故か体が良く動く。しかし、調子がいいときに限って怪我をする。アキレス腱を2度断裂したがそのときも動きが良かった。
「好事魔多し」ということか。十分気をつけて心して稽古に臨もうと思う。

2月には京都武徳殿での稽古会がある。
2月の京都は一段と寒いが、この稽古会は特に楽しみだ。始から決して憂鬱にはならない。
何と言っても稽古が終わった後の夜の京都は格別だから。


cpiblog00620 at 21:26|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

March 11, 2012

「剣道日誌」42

昨日の土曜日も大井剣友会で稽古をしてきた。
稽古といっても保育園と小学校低学年の子供たちに剣道の基本を教えて素振りをしただけであるが、・・・。
右肘を痛めて4ヶ月。12月、1月と少しよくなっては稽古を再開し、またぶり返してしまった。1月初旬に悪化をした右肘を治療に行った整形外科で「三浦さん3ヶ月は休まないと酷くなるだけですよ」と言われてしまった。
4月まで稽古を休むよう家族にも注意された。道場に行っても稽古をすることができない。
どうするか3ヶ月休むか? いろいろ考えたが立会いをすることだけが稽古ではない。
面を付けて立会いをすることはできないが、見学はできる。また、子供たちに基本を教えることはできる。それよりも何よりも稽古着になって道場に立つことそれ自体が稽古だと思うようになった。
見学をしながら立っているとこの時期足元から芯まで冷えてくるが、他の人の稽古を見ていると心は熱くなる。気づくことも多くある。
客観的に稽古を見ることは収穫が多い。
どうせ稽古はできないと休んでいると気まで滅入ってしまう。稽古はできないが、道場に立つことそれだけで稽古になる。どんな状況でも稽古はできる。諦めないという気持ちそのものが稽古になる。

今日は3月11日、あの日からちょうど1年。辛い1年を過ごした人達が多くいる。
亡くなられた方々に哀悼の意を表し、怪我をされたり被災した方へのお見舞いの気持ちを新たにし、これから強く生きていく方々への応援の意思をより強くし、東日本全体に諦めないでと心から叫びたい。


cpiblog00620 at 15:37|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

January 23, 2012

剣道日誌41

今年になって1月7日と14日の2度しか稽古をしていない。
それも基本組の子供たちの指導だけで、互角稽古、指導稽古をしていないというより出来ないのだ。
昨年に遡るが、11月の始めに右手の関節が痛くなった。50年以上前、鉄棒から落ちて関節を複雑骨折した古傷が痛み出したのだ。いつものことであまり気にかけず稽古をしたが、次の日から右手がほとんど曲がらなくなった。箸も持てない、顔も左手だけで洗う。ネクタイも締められないなど今までに無い痛さだ。普段は医者などへは行かないのだが、今回だけは我慢が出来ない。夜に痛くて眠れないのだ。

高校の後輩が開業している整形外科へ行くと「これはひどいですね」良くこんな手で剣道をしましたねと呆れられた。関節石灰化症と腱鞘炎だという。薬と注射で痛みを抑え、1週間ほどすると何とか手を動かせるようになった。
実は悩んでいたのだ。12月4日には以前からエントリーしていた関東学連剣友会連合会の試合があるのだ。個人戦であれば棄権をするのだが、5人の団体戦でそれも補欠はいない。一人欠けるだけでも痛手である。どうせ出場しても負けるのだから棄権しても同じじゃない。などという家族を見返してやりたいという気持ちも手伝って出場を決めた。
整形外科の先生に相談して、少し強い痛み止めの注射を試合の5日前と前日に打ってもらった。それで痛みは無く、これなら何とかなると試合に出場したのだ。

私達は鳳凰杯(男子局遙毅戯舒幣紊良堯砲暴仂譟1回戦は強豪日本大学と対戦、下馬評は当然日大の勝利である。成蹊大学の勝利を予測した者はほとんどいない中、1勝0敗3引き分けで勝利する。中堅の私も引き分けた。
2回戦は芝浦工業大学を破って上がってきた関東学院大学である。ここも強敵。しかし2勝1敗2引き分けで勝利する。私は貴重な1勝を上げる。
3回戦は、立教大学と京都大学を破った駒澤大学である。某大学の剣道師範や警視庁出身者など強豪である。
何とここも2勝1敗2引き分けで勝利する。私も2回戦に続いて勝利する。
いよいよベスト8。次の4回戦に勝つと第3位以上が決定する。
しかし、相手は日本体育大学。専門家集団である。さすがに我ら成蹊大学も力尽き0勝2敗2引き分けで敗退する。私は八段の先生と対戦し初黒星を喫したが、自分では引けを取らなかったと自負している。
試合中は夢中であったため、痛みはさほど感じなかったが、その日の夜から痛み出した。
56校中のベスト8の代償は大きかった。
それから満足に稽古が出来ないのだ。翌日例の整形外科に駆け込むと後輩からこんなになるまでやらなくていいのにとまた馬鹿にされる。

1月の稽古再開は絶望的だ。今度は焦らず2月から稽古を再開しようと、今はじっとしている。


cpiblog00620 at 21:15|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

October 28, 2011

剣道日誌40

2011年10月28日(金)良武剣友会
前半は小学生の指導を行う。毎週熱心に稽古に来る子がいる。母親も熱心に送り迎えに来る。剣道は辛い武道だ。子供の時にはサボりたくなる。それを引っ張るのが親である。一緒に稽古するつもりにならないと子供は楽な方へ楽な方へ逃げていってしまう。もう少し経つと自分から欲が出て進んで稽古をするようになるが、まだしばらくは親掛かりで仕方が無い。この子はなかなか根性もありそうなので、上級生になったときが楽しみである。

後半は互角稽古を3人と行う。
間合いに深く入り中心から面に打ち込むことを心がけて稽古をする。有効打突を意識する。気を張って打ち込むときは相面でも乗っていけるが、少し気を緩めると避けるだけになってしまう。
今日は張り詰めた気が比較的持続した。キネシオテープを貼った左足も不安は無かった。
前に出て行けたために、3人にそれぞれ良い面を1本は打ち込めたと思っている。
しかし、稽古中にどうしても気を緩めてしまう時がある。その時に打ち込まれると返し技も効かない。「稽古は短く厳しく」これを心がけて気の充実を図ることが課題だと感じた。


cpiblog00620 at 21:15|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

July 14, 2011

剣道日誌39

12日(火)良武剣友会の7月最後の稽古に参加。
この日は大人2人、子供2人という寂しい稽古会であった。最近節電を理由に港区の小学校は体育館を貸したがらない。品川区でも震災後体育館の使用規制が厳しくなったが、港区ほどではない。港区ほどではと書いたが、体育館の利用は実際のところ小学校の管理職(校長、副校長)に委ねられている。そこで、地域教育に熱心か熱心でないかによって相当貸し出しに開きがある。
そんなことで、稽古日が不安定なため参加者が減少してしまう。

12日は、U先生に2度稽古をつけていただく。夜になっても蒸し暑い。汗が流れ落ち、目に沁みる。思うように前に出られない。我慢をして間合いを詰めるが、なかなか面がとどかない。かろうじて小手を1本決めるが、今日はこの1本だけが満足のいく技であった。
攻めながら間合いを詰めて前に出る。これが難しい。なかなか集中力と体が一致しない。
反省しきりの2度の立会いであった。

子供の指導は、基本打ちを中心に激しく、短時間を心がける。筋がいい小学3年生がいるので楽しみだが、子供は辛いことから避けたがる。われわれや親が一緒になって、引っ張っていかないと、すぐやめてしまう。有望な子供ほど武道からスポーツへ移っていってしまう。スポーツのような派手さは無いが、武道には奥深さがある。それを教えるのは至難の技だ。


cpiblog00620 at 17:13|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

November 16, 2010

剣道日誌38

先週は火曜日から土曜日までに3回、23人と稽古をした。先週は体がよく動き前に攻める技が何本か出せるようになった。
少し、オーバー気味なのだろう。左足のふくろはぎが突っ張って痛い。左足は骨折1回、アキレス腱断裂2回という大怪我をしている。肉離れや捻挫は怪我のうちには入らないと酷使してきたが、やはり還暦まで秒読みにはいった体には堪えたようだ。

先週の1番といえる稽古は、大井剣友会でのKさんとの立会いである。
剣先を利かせて崩しながら打ち込む技は今までも何度か決めていたたが、どうもしっくりこなかった。ただスピードで打っていたようで、決めたという感じが薄かった。しかし、今回は相手の竹刀を表から押さえ、剣先を利かせながらすーと一歩でてそのまま手元を上げずに体で刺し面にいった。上から押さえるように乗っかった技で「これだ!」と思わず心の中で叫んだ。
その後も1本勝負で同じ技を出したが、きれいに決まった。こういう面を打ちたかったのだ。何かひとつ乗り越えたような感じを掴んだ。

今週も今日から3回稽古を予定している。
先週と同じ技が出せるか、なかなか難しいだろう。この面を自分のものにするにはまだ相当時間がかかるだろう。しかし、確実に手応えを掴んだ立会いであった。


cpiblog00620 at 16:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

October 19, 2010

剣道日誌37

半月ぶりに稽古をする。
今日の稽古は反省しきりである。
前に出られない、攻めが効かないのだ。間合いに十分入れないまま面を打つが当然返される。小手を押さえられる。気合が乗らないのだ。ふっと気を抜いたところで面を打たれる。
互角稽古のはずが今日は分が悪い。攻め込んでの面がどうしても決まらない。相手が下がるような気迫に満ちた攻めが出来ないのは稽古不足のせいであろう。

会社に戻り今日の稽古を振り返る。
今日の一番は・・・、臼杵先生への出小手だ。ここは攻めていた。相手が攻めに負けて出たところで小手を決める。体が動いていたのは、このときだけであった。

今日の一番はこの出小手だ。


cpiblog00620 at 21:23|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

May 23, 2009

剣道日誌36

昨日、久しぶりに稽古をする。
18時15分〜20時まで会社の仕事を中抜けして、歩いて5分の小学校へ出かける。
最近は子供たちの数が少なく、寂しい限りであるが、その分自分たちの稽古の時間が充分取れるのはありがたい。この1年は仕事が忙しく、ほとんど稽古をする時間がなかった為、体が馴染まず3人も立会いを行なうと息が上がってしまう。少しずつ無理をせず、体をつくっていかないと充分な稽古が出来ない。

シャワーを浴びて8時過ぎに会社へ戻るが、非常に心地よい疲れが残る。ペットボトルの水をがぶ飲みし、仕事に戻る。
このまま冷たいビールを飲めれば天国なのだが、ぐっと我慢をしてパソコンと格闘をする。
この禁欲感が仕事のスピードを上げるのだ。早く仕事の切をつけて帰宅をすれば・・・。
22時今日もやっと切がつく。
肉体的には疲れるが、稽古の後はいつも晴れ晴れとする。


cpiblog00620 at 16:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

May 03, 2008

剣道日誌35

4月26日(土)成蹊大学へ稽古に行く。
新入生歓迎試合と歓迎会が行われるということで、雨の中防具を持って出かける。今年はこの日までに男子9名、女子3名(内マネージャー1名)の12名が入部したとのことである。最近では二桁の入部者が続き剣道部も活気づいてきた。

歓迎試合を観戦した後、稽古に入る。学生の間合いは遠い。少しずつ詰めて行き面を意識して稽古を行う。学生の速い面を返す稽古を繰り返し、何本かは相面へ飛ぶ。学生との稽古で目を養う。そして間合いへ攻め込む。近い間合いへ入り込まないと返し技しか出来ない。普段同年齢との稽古を行っているが、学生との稽古も若さがあって楽しいものである。

7人と立会い、約45分の稽古を終える。
これから新入生歓迎会が「いせや」公園口で行われるため、会場へ向かう。私たちが学生時代お世話になった「いせや」本店は建替え中であり公園口店で行うことになった。
ここの焼き鳥とシューマイは絶品である。学生時代からファンである。そして安い。学生のコンパに使えるほどの安さである。
新入生歓迎
相変わらず焼き鳥を焼く煙が充満して雰囲気満点である。(写真も煙で、もやっている)
新入生はこの時期大変不安である。まして大学の体育会剣道部への入部である。その不安を少しでも和らげるために毎年歓迎会を行うが、余計不安を掻き立てることもしばしばである。しかし、時代と共に世の中全体がバンカラから軟らかくなってきた。それはそれでいいのだろうが、武道にはバンカラが化石のように残っていてもいい気がする。社会へ出ると嫌でも軟らかくなる。バンカラを競うのはこの時期までである。スマートより無骨、ハイカラよりバンカラ、今時そんな若者はいないか?
しかし、若い人たちと飲むのはいつも楽しい。


cpiblog00620 at 16:28|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

March 21, 2008

剣道日誌34

青木先生御退任1青木先生御退任2
平成20年1月12日、昭和63年より20年間成蹊大学剣道部師範として学生や卒業生を指導して頂いた青木敬汎先生(範士八段)が御退任され、師範としての最後の稽古会が催された。青木先生も80歳を超え、体力的に学生と稽古をすることがきつくなってきたところであった。今後は名誉師範として自由な立場で稽古をお願いすることにした。

青木先生には沢山のことを学ばせていただいた。大変に穏やかで、学生のことをとても気にしていただいた。練習試合でもメモを取り、学生に分かり易く助言をしていただいた。
卒業生も争って先生にご指導を頂いたが、私もその1人で先生とご一緒する時は必ず稽古をいただき矯正をしていただいた。先生と剣を合わせると小学生のようになり、「まだまだ、まだまだ」と逸る気持ちを抑えられ、構えているだけで汗がじっとでてきたものだ。

先生は私達にも敬語を使い、穏やかに話されていたが、試合になると相手をぐっと押さえ込むような気迫を持って攻めなさいと常々言っておられた。面をつけたときの気迫と、面を取ったときの穏やかさと両面を持った大変尊敬のできる先生であった。
2年前、先生を一番慕っていた雨宮君が急逝し、今年は青木先生が御退任され、剣道部も寂しくなるが、これからも先生が元気な間は稽古をお願いするつもりである。

昨年、卒業生の試合が大学で行なわれた時、先生はいつものようにメモを取り、試合をじっと見ていた。試合が終わると先生はノートを破り私達のところへ持ってきて、皆に回した。私は2試合行なったが、先生のメモを見てあっと驚いた。
メモには「打つ瞬間に息を吸っている。これでは相手に分かってしまう。返し胴は早く。2試合目は双方ともりっぱな立会いであった」先生はコートの外から私の息遣いまで見てとっている。背筋が寒くなった。これでは剣を交えたらすべてお見通しだと脱帽である。

少し温かくなったら先生を雨宮君の待つ妙義へお誘いして見ようかと思っている。


cpiblog00620 at 21:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

January 19, 2008

剣道日誌33

昨年のことであるが、夏休みに熊本へ帰省する1週間前に東京大井剣友会会長の澤間彰雄先生が亡くなられた。1週間前には元気に道場へ顔を出して子ども達の稽古を見守っていてくれていたので驚きであった。

澤間先生は足が悪く、稽古が出来る状態ではないが、毎週土曜日の夜の稽古に参加される。
正座も出来ないため後ろで子ども達の稽古を見守り、指導をされる。後半の大人の稽古もしっかりと見ておられ私も何度もご指導を頂いた。
自分では稽古が出来ないが、合宿にも参加され稽古を見守った。夏の暑い日も、冬の凍えるような寒い日も稽古を見守り続けていた姿には本当に頭が下がる思いである。

澤間先生が亡くなられた後、初めての東京大井剣友会大会が開かれたのは昨年10月21日のことである。
新会長には旭先生が就任されたが、澤間先生のいない大会は寂しく感じられた。年々子ども達の参加が少なくなり、大会の運営に苦慮するが、今年の大会は何か拍子抜けの感じがして盛り上がりに欠けたと感じたのは私だけではなかったと思う。

それでも少ない人数の参加者に1回でも多く試合をさせてあげたいと個人戦は全てリーグ戦を採用した。小学校低学年の選手は初め緊張して動きが鈍かったが、何度も試合を行ううちに本来の動きが出始めた。
26回大井大会26年に亘って続けてきた手作りの大会である。何とか子ども達には今後も剣道を続けていってもらいたい。そして、来年も再来年もこの大会に参加して欲しいと願っている。

多くの先生達が繋いできた大井大会を今年も盛大に行なおうと、澤間先生を思い出してあらためて思った。


cpiblog00620 at 13:50|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

November 11, 2007

剣道日誌32

0710四大戦
10月20日(土)成蹊大学にて学習院、武蔵、成城による第58回四大学剣道大会が開催された。(四大学の歴史については以前書いたので、省略します)
四大学運動競技大会の正式種目としての剣道大会であり、また、4年に一度の母校開催ということで応援にも熱が入る。春の個人戦では学習院大学に遅れを取ったが、秋の団体戦(男子9人戦、女子5人戦)は男子4連覇中であり、何としても個人戦の雪辱と男子5連覇並びに男女同時優勝を達成してもらいたいと願っていた。もちろん学生たちも期待にこたえるべく稽古に励んできた。

第一試合は武蔵大学と5勝1敗3引き分け、第二試合は成城大学と8勝0敗1引き分け、第三試合は学習院大学と4勝4敗1引き分け(本数勝ち)と3戦全勝で5連覇を決める。女子は武蔵大学が欠場したため3校での試合となる。第一試合は成城大学と3勝1敗1引き分け、第二試合は学習院大学と2勝2敗1引き分けであったが、本数負けを喫する。男女同時優勝は逃すが、男子優勝、女子準優勝で大会を終わる。

この後、楽しみにしていた審判の先生方、学生、OBとの合同稽古会が開催されたが、翌日開催される東京大井剣友会の大会準備のため急ぎ地元に戻り、剣友会に合流する。
明日は子どもたち(小中学生)の大会である。


cpiblog00620 at 16:41|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

October 27, 2007

剣道日誌31

武蔵大式次第
品川区剣道大会の翌日、10月8日(体育の日)武蔵大学の新道場開きに招かれて行ってきた。
御遷座祭に始まり、ご挨拶の後、渡辺七段と関根七段の日本剣道形の披露、そして警視庁の酒井勝先生と中清剛先生による警視流木太刀之形が披露され、記念稽古会に移った。
武蔵大剣道形1
前日、前々日と稽古ならびに試合をしていたため、軽く汗を流すつもりであったが、招待者ということで元に立たされ武蔵大学OBの六段、七段が掛かって来た。気を抜く暇もなく6人、7人と立会いをし、8人目に私より6歳くらい若いI氏と立会いをしたときであった。
数本相面を打ち合い、I氏が面に飛び込んできた時、いきなりよろけて倒れこんだ。すぐに駆け寄り「大丈夫ですか」と尋ねると「誰かと左足がぶつかったので、・・・」という。その時、「まさか」と思った。というのもI氏は誰ともぶつかっていないのである。すぐに左足のアキレス腱を触ってみると腱が緩んでいる。どうも部分断裂しているようだ。アキレス腱断裂は不思議なことにあまり痛くない。痺れがあるだけで、肉離れのような痛みが無いのが特徴である。I氏も痛くはないという。しかし、足に力が入らず、立つことが出来ない。
すぐに救急車を呼び武蔵大のOBが付き添い病院へ連れて行く。何と新道場最初の怪我人の加害者(?)になってしまった。
私も疲労が溜っていたので、怖くなりそのまま稽古を終了する。その後も30分くらい記念稽古会は続き、盛大なうちに新道場開きは無事にではないが終了した。

私もアキレス腱を2回断裂し、何度か稽古中にアキレス腱断裂を目撃しているが、自分の稽古相手が断裂をしたのは始めてであった。稽古相手として何か申し訳ないような気持ちになった。
稽古会の後は懇親会が行なわれ、多くの懐かしい剣友と再会し楽しいひと時を過ごさせていただいた。
剣道漬であった6日、7日、8日と長い3連休がやっと終わった。


cpiblog00620 at 15:12|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

October 13, 2007

剣道日誌30

57回品川区大会
先週の10月7日(日)第57回秋季品川区剣道大会が総合体育館で開催された。
私は午前中審判として参加し、午後からは四段以上の部に選手として出場した。
私達の第二コートは小学校1・2年生の部から始まり、最初の試合から審判としてコートに立った。小学校1・2年生は防具をつけて間もない子どもがほとんどで、初めて試合に出場する子どもも多い。そのため試合場に入るところから指導し、礼の仕方や蹲踞の位置など試合以外に指導することが多い。
そして、小学校1・2年生の試合は大変に難しい。どの打ちを1本とするかの見極めが困難で、大人の試合よりも緊張する。父母の方々の応援にも熱が入り、非常に注目される試合になるからである。
厳しすぎる審判を行なうと、試合が長引き延長が続く。そうかと言って軽すぎる審判では、試合にならない。コート全体の審判員の呼吸が合わなければ基準がばらばらになり、負けた側の不満が残ってしまう。小学校1・2年生の試合はとても難しいといつも感じる。

その後は、女子中学生の部の審判を行い、昼食後自分の試合の準備を始める。アキレス腱を2度断裂しているため入念に準備運動を行なう。
1回戦はUさん(女性)と対戦。メンの1本勝であったが、女性と対戦するのはとてもやりづらい。本来女性だろうと男性であろうと全力を尽くすべきであるが、どうしても闘争心が萎えてしまう。激しくぶつかることやツキなどを遠慮してしまうのだ。女性とは試合をやりたくはない。2回戦はI七段との対戦になった。普段稽古を行なっているため、出方が大体読める。
先手を取ったのは私で出てくるところを出ゴテで押さえた。2本目は逆で私が出たところをコテで1本取られる。3本目の勝負は近間から相手のメンに私のドウが相打ちになったが、2人の審判がメンに旗を揚げて敗れてしまった。
自分としてはメンを思い切って飛び込めなかったことが悔いとして残るが、勝負としては負けたという気がせず、満足のいく試合であった。

これからは、課題の割って入るメンを稽古の重点として、修行を積んでいこうと改めて思った大会であった。


cpiblog00620 at 11:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

October 06, 2007

剣道日誌29

芝学園の学園祭から中1日、品川区の少年、少女練成会が行なわれた。青年部主催で、私達中高年はお手伝いである。品川区内の小・中・高の子ども達が集まり、元気に汗を流した。それにしてもサッカーや野球、バレーボールに比べて参加者が少なくなってきた。掛け持ちの子どもも多く武道がだんだん子ども達から遠ざかっていくようである。

練成会は午前中で終了し、午後からは品川区剣道大会が行なわれた。競技は3人の団体戦(トーナメント)とリーグ戦の四支部対抗戦(7人戦)である。
私は団体戦の中堅と四支部対抗戦の副将で参加した。団体戦は3年ぶりである。大学生から中高年のチームまで無差別戦である。大井剣友会からは3チームがエントリーしたが、全体では約60チームの参加があった。私達の中高年チームは若いチームをつぎつぎと破り、何と4回戦まで進出し、見事ベスト8まで勝ち上がった。私は四試合一勝一敗二引き分けの五分であったが、準々決勝は先鋒が1本負け、中堅の私が引き分け、大将も引き分けという接戦であった。そして、私たちに勝ったチームが優勝したので、私が勝っていれば・・・と、大変に悔しい思いをした。

その後の四支部対抗戦でも一勝一敗一引き分けとこれも五分であったが、リーグの結果が二勝一敗で三チームが並び、勝者数で三位になってしまった。これも最後の試合私は引き分けたのであるが、勝っていれば・・・と、これまた後悔の臍を噛んだ。

それでも七試合精一杯戦ったので、試合後は心地よい疲れだけが残った。

明日は品川区の個人戦が行なわれ、明後日は武蔵大学の道場開きの稽古会に招かれている。本日の夜も剣友会の稽古だ。この三連休は剣道漬だ。


cpiblog00620 at 15:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

September 22, 2007

剣道日誌28

9月15日(土)会社から徒歩で芝公園を通り強い日差しを避けるように弁天池を廻って芝学園へ行った。弁天池のほとりで一休みしたが、目の前に東京タワーが聳え反対側にはプリンスホテルのタワーがせまっているというのに、この一角だけは昔からひっそりしたままである。

芝学園に着くと生徒や父母で賑わっている。年に一度の文化祭が開催されているのだ。今年も恒例のOB対現役戦が文化祭当日に開催された。今年は若いOB(19歳〜28歳)が揃ったので、私は監督として観戦することにした。試合風景
成績
今年はOBが圧勝した。5勝0敗7引き分けである。今年のOBは若い人達が揃ったせいもあるが、試合後の懇親会会費が勝者には割引になるという特典をつけたことも影響しているのではないかと思っている。
試合後は浜松町の中華料理店で懇親会を行なったが、私は夜、大井剣友会の稽古が控えているためウーロン茶で我慢をした。

若いOBを残して一足先に店を出て自宅に戻り、防具を自転車に載せて大井剣友会の稽古場所へ向かった。品川区の大会が近いため稽古をサボるわけにはいかないのだ。
暑い中、8人との立会いでぐったりする。今日は先をとるということをテーマに前に前に出たが、相手に圧力をかけられずに出たため思うような攻めが出来ず反省をする。
毎度のことであるが、頭で考えても体が覚えないと空回りばかりである。
仕事でも理屈ばかりで行動しない者はいつまでたっても役には立たないようだ。


cpiblog00620 at 12:43|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

August 10, 2007

剣道日誌27

7月14日、15日と恒例の東京大井剣友会の剣道合宿(サマーキャンプと呼んでいる)に子ども達を連れて行った。今年は埼玉県にある宮代町の剣友会にお願いして稽古場所を確保していただいた。宮代町には大学時代にライバル校の選手として活躍していた関根七段がいるのだ。
合宿の3週間前に下見に行った際、彼にホテルや体育館を案内してもらい、いろいろと手筈を整えていただいた。
やはり持つべきものは友だ。ありがたいことである。

今年の合宿は台風4号が接近しているということで、前日までどうするか協議したが、例年に比べ近いところであるということ、先方が準備をしてまっているということなどを勘案し、これ以上関東に接近してきたら、翌日は稽古をせず朝から帰路につくという条件で予定どおり行なうことにする。
宮代町合宿1宮代町合宿3
当日は生憎の雨であったが、元気に大井町を出発し、宮代町へ向かう。1時間半で到着し、ホテルへ荷物を置いて体育館へ。昼食のお弁当をそこで受け取り先ずは腹ごしらい。先方の父母会の方々がいろいろと気を利かせて下さる。そのうちに宮代町の剣友が集まってくる。13時から子どもの達の懇親試合を皮切りに全員で合同稽古を行なう。外は台風の影響で雨が強くなるが、体育館の中は溌剌とした気合に満ちた空気が流れる。
私も宮代町の先生方と剣を交え気持ちの良い汗を流す。
稽古の後、父母会の方々の車に分乗させて頂き、ホテルまで送っていただく。いろいろとお手数をおかけしてしまった。
宮代町合宿2

併設している大きな温泉で汗を流したあと、夕食にしたが、ホテルの食堂での食事のため他のお客さんもいて落ち着かない。早々に切上げ部屋で二次会となる。関根七段も二次会に駆けつけてくれる。扇子を出して扇ぎながら良く飲むが、何とそこには「剣酒会」と大きく書いてあるではないか。自分達は宮代町の「剣酒会」だと笑いながら良く飲む。私も負けじと杯を重ねる。ようやく日付が変わるころお開きとなり、布団に潜り込む。

明朝、テレビを付けると台風が接近してきているという。しかたなく予定を変更して早々に帰路につくこととする。
午前中稽古をして、午後からは子ども達を東武動物公園のプールで泳がせるつもりであったが、残念である。まあ来年リベンジだ。
今年は台風のため不完全燃焼の合宿であったが、十分飲んだのでよしとするか。


cpiblog00620 at 21:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

July 19, 2007

剣道日誌 番外編「雨ちゃんを偲ぶ会」3

墓前翌朝全員で雨ちゃんのお墓参りをする。玉屋ホテルから徒歩で3分という近い場所に雨ちゃんは眠っている。お墓に手を合わせた後、これまた全員で雨ちゃんゆかりの妙義神社へ参拝に行く。玉屋ホテルの初代は妙義神社の宮司であったという。宮司を辞めるときに当時参拝者で賑わっていた参道近くに、参拝者のための宿を作ったというのが玉屋ホテルの始まりだと聞いた。今は数件しかない宿だが当時は100件以上の宿が連なっていたという。そして雨ちゃんが四代目であった。

妙義神社には六回参拝している。今回で七回目の参拝である。いつものように老杉がうっそうと生茂る境内の石段を上がっていく。数えたことはないがかなりの石段である。途中「熊に注意」との看板を発見する。相当山の上まで上がってきているが、熊が出るとは驚きである。
妙義、熊
妙義神社の創建は537年というから1470年の歴史がある古い神社である。本殿に参拝後、宮司を尋ね参拝の訳を話すと、十メートルの石垣の上にあり、俗に宮様御殿といわれる見事な御殿に上げてもらい妙義神社について詳しく説明をしていただいた。

ここからの眺めは関東平野を見下ろす素晴らしい景色である。しかし、今日はもやがかかり遠くまでは見渡せなかったのが残念であった。
私たちはよく妙義山というが、実は妙義山という山はない。白雲山、金洞山、金鶏山の三山を総称して妙義山というのである。熊本の阿蘇山と似ている阿蘇も阿蘇五岳を総称して阿蘇山といっている。その妙義の山並みも今日は見ることができない。

説明を聞いているうちに朝食の時間が過ぎてしまった。慌ててホテルへ連絡し遅くなる旨を伝える。玉屋ホテル名物の朝がゆで腹を満たし、2日間に亘った「雨ちゃんを偲ぶ会」を解散する。名残は惜しいがそれぞれ車に分乗し、または電車で帰路についた。
妙義神社集合

cpiblog00620 at 21:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

July 13, 2007

剣道日誌 番外編「雨ちゃんを偲ぶ会」2

追悼稽古後、皆で立ち寄り湯である「もみじの湯」へ行き露天風呂で汗を流す。
一休みして玉屋ホテルに戻り、18時30分から「雨ちゃんを偲ぶ会」を行なう。
玉屋ホテルの大広間で各地から集まった30数人が酒を酌み交わす。
ちょうど1年前、彼が旅立った。
「もう頑張らなくていいよな」というのが最後の言葉だったという。

お膳に並んだ料理は、すべて思い出の献立である。
お品書きには次のように書いてあった。

食前酒  妙義山
     親しい方が訪れると必ずこのお酒で一緒に楽しむのが好きでした。
前 菜  蕗の薹、土筆、山椒、蕨
     年を追うごとに、春の苦味が好きになると、病床でも山椒の佃煮を食べていました。
スープ  新ジャガイモのスープ
     主人の得意とした料理です。
向 付  鰹、イカ、地場野菜
     初鰹を静岡の主人の友人のところで御馳走してくれる約束でした。
煮 物  白魚の玉子とじ、独活、葱、牛蒡
     肉料理よりも魚料理が好きだった主人が特に好んだ鍋料理です。
焼 物  鮎の笹焼き
     川魚では鮎が一番の好物でした。鮎は塩焼きにして骨と臓物が食べられるのが良いと言っていました。
蓋 物  海老のラビオリ
     病床で主人がお客様のために考案した最後の料理です。
ご 飯  竹の子、土筆、山椒の実
     春の苦味が好きだった前社長のために、調理場担当の房江さんが心をこめ炊き上げました。
汁    赤だし
     地元、富岡実業高校の手作り味噌、いつも主人が買ってきてくれました。
デザート  青梅の蜜煮
     6月に入り梅の季節を迎えたころ、病床にて「また梅の酸味を抜きたいなあ」とつぶやき微笑んだ主人を想い、心をこめてつくりました。

 知り合って30年、笑顔の主人を想い・・・
と、結んであった。

そして、奥さんの計らいで食前酒の妙義焼きのぐい呑みは、参加者それぞれ想い出に持ち帰
えらせて頂いた。
このぐい呑みを見るたびに、今日の偲ぶ会のことが思い出されるだろうな。


cpiblog00620 at 21:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

July 11, 2007

剣道日誌 番外編「雨ちゃんを偲ぶ会」1

6月30日、雨ちゃんの祥月命日である。
昨年から準備していた「雨ちゃんを偲ぶ会と追悼稽古会」のため朝8時、勝鬨へ車で向かう。京都から上京した三好先輩を先ずお迎えする。三好先輩と合流後、雨ちゃんの同期である小山夫人を小石川で乗せ、板橋区向原の青木敬汎先生の御自宅へ向かう。

青木先生の御自宅から関越自動車道に入り妙義へ。
朝は曇り空であったが妙義へ向かうにしたがって青空が見えてきた。
梅雨時であるが何とか雨は降らずに済みそうである。
関越自動車道は渋滞がなく予定時間より早めに着いたため、昼食に名物の「切り込みうどん」を食べようということになり、妙義インターから5分くらいのところにある「本陣」へ入る。切り込みうどん
本陣へは何度か足を運んだが、昔ながらの造りで風情がある。素朴な味の切り込みうどんで腹を満たしたあと、雨ちゃんの玉屋ホテルへ車を走らす。
集合1時間前であったが、すでに数名が到着していた。そして集合時間が近づくと九州から、上海からと彼の同期や先輩、後輩集まる。

14時、防具を持って車に分乗し、富岡市妙義総合体育館へ行くと地元の剣友がすでに素振りをしている。私たち30名と合わせ総勢50人近くの追悼稽古会になった。
雨ちゃんの遺影と稽古着、剣道具をテーブルに乗せ、その前で黙祷をして稽古に入る。この体育館では平成14年から3年間東京大井剣友会の合宿をさせて頂いた。その時剣を交えた方々もお見えになっている。雨ちゃんが結んでくれた剣友との再会である。
道場集合
約1時間、雨ちゃんの前で稽古を行なう。普段なかなか稽古をすることができない群馬剣連の方たちと稽古をさせていただく。僅か1時間であるが、体育館の中は蒸し暑く汗びっしょりになった。
稽古後、雨ちゃんがホームページで綴っていた「雨ちゃんの剣道日記」を冊子にしたものを配り、雨ちゃんの剣道に対する思いを改めて偲んでもらった。
遺影前

cpiblog00620 at 14:43|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

June 27, 2007

剣道日誌26

6月16日、17日に行なわれた品川区剣道連盟鴨川遠征に参加してきた。
総勢40名、アクアラインを通って鴨川へ。
途中鋸南町保田漁協直営の「ばんや」で昼食をとったが、ここの料理は全てにおいて大盛りで驚いた。11時過ぎの食事であったので、まだ腹が減ってはいなかったので、軽くというつもりで580円の切り落とし丼にしたのだが、これが刺身の切り落としが山のように酢飯に積んである。刺身だけで腹が一杯になってしまう。周りを見てみるとかき揚げ丼をたのんだ人は「う…」と唸っている。どんぶりからかき揚げが盛り上がっているのだ。握り寿司をたのんだ人も890円でその多さにびっくりしている。切り落とし丼
よそのテーブルを見渡すと3人前はありそうなあら煮を家族でつついている。よく見るとテ−ブルには当店の料理は多いので、お持ち帰りの容器を用意していると書いてあるではないか。
いやはや漁協直営の事だけはある。大満足でバスに乗り込む。
ここから鴨川まで約45分。12時45分には今日の宿である小湊温泉豊明殿に到着する。
14時からの稽古のため、稽古着に着替えてバスに乗り込み近くの体育館へ向かう。
梅雨というのに夏のような天気である。準備体操で汗が吹き出てくる。鴨川の剣連の方たちも集まり合同稽古が始まる。

芳根先生今回の遠征の最高齢は何と90歳の芳根範士である。もちろん見学だけでなく防具をつけて稽古をする。私も急いで芳根範士に稽古をお願いしに向かう。先生はとても90歳とは思えない身のこなしで若い剣士と剣を交えている。私も稽古をお願いしたが、面を打っても突きでかえされ、また、出小手を打たれて掛稽古で終わる。
この暑い中で先生は30分以上稽古をされていた。とにかくタフである。私たちは90歳で果たして剣道ができるか? いや生きているかだ。若々しい先生に稽古をいただいて元気になった。

その後、川瀬八段を筆頭に6人の先生方に稽古をいただきへとへとになって宿に戻る。風呂を浴びて宴会に入り、酒を飲むと疲れがどっと出て早々に部屋に戻り熟睡する。
集合写真鴨川
明朝、朝食の前に1時間の稽古を行い、風呂を浴びてから食事であったが、私は中学時代からの友人であるI君が宿に迎えに来てくれたのでシャワーを浴びて皆と別れ、彼の自宅で奥さん手作りの食事を御馳走になる。
目の前に海の広がるリゾートマンションの8階から沖を眺めて飲むビールは一際美味しかった。彼は一滴も酒を飲まないが、ビールを冷やして待っていてくれた。持つべきものは友だと改めて思った。


cpiblog00620 at 21:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

June 15, 2007

剣道日誌25

6月10日(日)母校成蹊大学にて春季四大学剣道大会個人戦が開催された。四大学とは旧制高校時代から親交のある、学習院大学、成城大学、武蔵大学、成蹊大学の4校である。旧制高校から新制大学に移行する時に現在の四大学が1つの大学として発足するという案もあったくらいであるからその親交の深さも分かる。

昨年は成蹊大学が男女共に優勝したが、今年は一転学習院大学が男女共に優勝するという我々にとっては番狂わせになった。
10日は10時頃から吉祥寺周辺は雷雨と共に大雨が降り、体育館も雨漏りするというアクシデントがあったが、激しい試合にもかかわらず怪我人もなく無事終了したので、開催校としてはほっとした。
今年は93才になるS先輩も見学に見えられ、閉会式で学生に激励の挨拶をされた。調布から1人で来られたS先輩はとにかく元気である。我々も年がどうのこうのなど先輩の前では言えたものではない。

私は参与として参加し、試合終了後恒例の稽古会に参加した。元立ちで学生と稽古をしたが、なぜか学習院の学生ばかりが私のところに集まった。
学生は稽古をしていて気持ちがいい。とにかく元気が良いのがいい。雨上がりの蒸暑い中、若い学生5〜6人と稽古をすると、もう汗でびっしょりなった。

後ろに下がり、呼吸を整えていると審判でお呼びした本郷学園のG先生に1本お願いしますと声をかけられた。G先生は芝学園の安部杯でもお世話になっている先生である。福岡県出身で高校時代はインターハイに出場し、上位に食い込んだ実績もある先生である。
初太刀は面を打ちに行ったところ、きれいに小手を押さえられた。私より17〜18才若いだろうか、さすが動きが早い。面も真直ぐ飛んでくるので、胴に切りかえしたり、面を合わせたりしたが、お互いなかなか技が決まらず、稽古の終了が近づいてきたため、1本勝負をお願いする。しばらく剣先で責め合っていたが、G先生が面に来たところをすかさず面に乗りかえすとこれがきれいに決まった。
なかなか意識していても出ない技であるが、体が自然に動き1本面を頂戴することができた。
07春四大戦
稽古会の後の懇親会で、多少お世辞もあるだろうが、学習院大学のH先生から稽古を見ていたがあの面は良かったと言われたのは嬉しかった。
学生食堂で行なった懇親会は四大学の学生、OBなどが参加し、賑やかに行なわれ、最後に主催校である我が校の音頭で万歳三唱をして解散した。


cpiblog00620 at 18:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

May 16, 2007

剣道日誌24

先週の日曜日、港区の剣道大会があり、良武剣友会の子ども5人を引率して参加した。
今回は大体育館が区の行事と重なり使用できず、武道場で行なうことになった。
今までは大きく6コート取れたため、午前中に小中学生、午後に高校生以上が試合を行なったが、今回は3コートそれも規定より小さいコートで試合を行なうことになったため、午前中小学生、午後に中学生という試合プログラムになり、高校生以上は中止となった。
港区剣道大会
武道場でこじんまりした試合場になったため、何十年振りかで紅白の幔幕を張っての試合となった。今までの大体育館で行なっていた試合とは雰囲気が違い、何か古式ゆかしい武道の試合という趣があった。
そういえば私が小学生の頃の試合場もこのように紅白の幔幕を張ってあった。そして、紋付羽織袴を着た来賓の方がいたのを覚えている。張ってあった幔幕にぴったりと溶け込み違和感がなかった。あれから45年久しぶりに見る試合場は新鮮さが漂っていた。きっと参加した小中学生もスポーツではない武道の試合だという感じを受けたであろう。いい思い出になったと思う。

今回初めて試合に出る小学生2年のI君とK君はかなり緊張気味で試合が始まる直前にトイレに駆け込む一幕もあった。結果は1回戦で敗退したが、相手に堂々と立ち向かったと誉めてあげた。試合後、勝ちたいかと聞くと「勝ちたい」との返事であったので、今週からの稽古は少し厳しく指導することにした。
試合に負けた後は一生懸命稽古して次の試合には勝つぞと思うが、すぐにその気持ちが萎えてきてしまう。これは試合だけではない。仕事でもそうだ。強い意志をもって初心を貫く人は少ない。ほとんどは権利を主張するだけで、義務を果たさず、すぐに惰性に流され、時間だけをかける所謂会社にぶら下がる人間になってしまう。

最初は小さな差であるが、あっという間に大きな開きになってしまう。だから、熱いうちに鉄は打つのだ。今週からの稽古は一際厳しくした。
勝ちたいと思う子どもは強くなり、逃げていく子どもはまた悔しい思いをする。それの繰り返しである。
秋の試合で結果が出てくるはずだ。


cpiblog00620 at 21:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

剣道日誌24

先週の日曜日、港区の剣道大会があり、良武剣友会の子ども5人を引率して参加した。
今回は大体育館が区の行事と重なり使用できず、武道場で行なうことになった。
今までは大きく6コート取れたため、午前中に小中学生、午後に高校生以上が試合を行なったが、今回は3コートそれも規定より小さいコートで試合を行なうことになったため、午前中小学生、午後に中学生という試合プログラムになり、高校生以上は中止となった。
港区剣道大会
武道場でこじんまりした試合場になったため、何十年振りかで紅白の幔幕を張っての試合となった。今までの大体育館で行なっていた試合とは雰囲気が違い、何か古式ゆかしい武道の試合という趣があった。
そういえば私が小学生の頃の試合場もこのように紅白の幔幕を張ってあった。そして、紋付羽織袴を着た来賓の方がいたのを覚えている。張ってあった幔幕にぴったりと溶け込み違和感がなかった。あれから45年久しぶりに見る試合場は新鮮さが漂っていた。きっと参加した小中学生もスポーツではない武道の試合だという感じを受けたであろう。いい思い出になったと思う。

今回初めて試合に出る小学生2年のI君とK君はかなり緊張気味で試合が始まる直前にトイレに駆け込む一幕もあった。結果は1回戦で敗退したが、相手に堂々と立ち向かったと誉めてあげた。試合後、勝ちたいかと聞くと「勝ちたい」との返事であったので、今週からの稽古は少し厳しく指導することにした。
試合に負けた後は一生懸命稽古して次の試合には勝つぞと思うが、すぐにその気持ちが萎えてきてしまう。これは試合だけではない。仕事でもそうだ。強い意志をもって初心を貫く人は少ない。ほとんどは権利を主張するだけで、義務を果たさず、すぐに惰性に流され、時間だけをかける所謂会社にぶら下がる人間になってしまう。

最初は小さな差であるが、あっという間に大きな開きになってしまう。だから、熱いうちに鉄は打つのだ。今週からの稽古は一際厳しくした。
勝ちたいと思う子どもは強くなり、逃げていく子どもはまた悔しい思いをする。それの繰り返しである。
秋の試合で結果が出てくるはずだ。


cpiblog00620 at 21:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

April 24, 2007

剣道日誌23

3月と4月に各1回ずつ大学の1年後輩であるY君いわく怪しい「大江戸地下道場」へ防具を担いで、いや引っ張って潜入してきた。日本橋にある三井道場であるが、確かに怪しい。
日本橋ビジネス街の真只中、それも近代的なオフィスビルである。エレベーターは地下1階までしか行かない。そこからは細い急な階段を地下2階まで下りていく。どうも地下2階は機械室のようである。そこの突き当たりに部屋があり、暗証番号を入れるとドアが開く。するとどうだ、細長い板張りの結構立派な道場が現れた。神棚もある。うん、これは昔よくあった町道場の造りである。Y君が言っていた「大江戸地下道場」とはこのことか。納得である。

いつもは小学校の体育館や大学や高校の広い剣道場で稽古をしているので、このように昔風の道場は逆に新鮮である。3組も立会いを行なうともう一杯である。狭いために後ろへ下がることが出来ない。剣先の張合いで前に出て行く。広い場所ではなかなか出来ない稽古である。
この道場のあるビルで働くY氏、道場主風のI氏、師範代風のS氏、熱心に指導を受けるK氏、数十年ぶりに復活したI女史と稽古で汗を流す。

シャワーを浴びて着替えると、さあ行くかとI氏の掛け声で同窓のY氏、S女史と私の4人で喉を潤しに地上へ出る。
それではいつものところでということで道場から数分の居酒屋へ入る。いやはやここも怪しい。日本橋の表通りで3000円食べ放題、飲み放題である。メニューの品をいくら食べても飲んでも3000円という。確かに女将さんは無愛想でとっつきにくい。しかし、いくつか料理を注文すると「それはもう用意しています」との返事。さすが常連である。入るとすぐいつも注文する料理は準備してくれる。
我々は先ず大きなコップの水で乾杯する。そして水分を補ったあと、ビールで改めて乾杯である。3000円で飲み放題、食べ放題なので多少店に遠慮しながらそれでもビールから日本酒に移って杯を重ねた。
2回とも同じコースで「大江戸地下道場」での稽古を楽しませてもらった。また、時間を見つけて是非潜入してこようと思う。


cpiblog00620 at 21:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

剣道日誌23

3月と4月に各1回ずつ大学の1年後輩であるY君いわく怪しい「大江戸地下道場」へ防具を担いで、いや引っ張って潜入してきた。日本橋にある三井道場であるが、確かに怪しい。
日本橋ビジネス街の真只中、それも近代的なオフィスビルである。エレベーターは地下1階までしか行かない。そこからは細い急な階段を地下2階まで下りていく。どうも地下2階は機械室のようである。そこの突き当たりに部屋があり、暗証番号を入れるとドアが開く。するとどうだ、細長い板張りの結構立派な道場が現れた。神棚もある。うん、これは昔よくあった町道場の造りである。Y君が言っていた「大江戸地下道場」とはこのことか。納得である。

いつもは小学校の体育館や大学や高校の広い剣道場で稽古をしているので、このように昔風の道場は逆に新鮮である。3組も立会いを行なうともう一杯である。狭いために後ろへ下がることが出来ない。剣先の張合いで前に出て行く。広い場所ではなかなか出来ない稽古である。
この道場のあるビルで働くY氏、道場主風のI氏、師範代風のS氏、熱心に指導を受けるK氏、数十年ぶりに復活したI女史と稽古で汗を流す。

シャワーを浴びて着替えると、さあ行くかとI氏の掛け声で同窓のY氏、S女史と私の4人で喉を潤しに地上へ出る。
それではいつものところでということで道場から数分の居酒屋へ入る。いやはやここも怪しい。日本橋の表通りで3000円食べ放題、飲み放題である。メニューの品をいくら食べても飲んでも3000円という。確かに女将さんは無愛想でとっつきにくい。しかし、いくつか料理を注文すると「それはもう用意しています」との返事。さすが常連である。入るとすぐいつも注文する料理は準備してくれる。
我々は先ず大きなコップの水で乾杯する。そして水分を補ったあと、ビールで改めて乾杯である。3000円で飲み放題、食べ放題なので多少店に遠慮しながらそれでもビールから日本酒に移って杯を重ねた。
2回とも同じコースで「大江戸地下道場」での稽古を楽しませてもらった。また、時間を見つけて是非潜入してこようと思う。


cpiblog00620 at 21:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

March 22, 2007

剣道日誌22

2月18日(日)東京マラソンが行なわれた日、第11回安部杯争奪剣道大会が行なわれた。
第1回から6回まで実行委員長を仰せつかり、第7回からは会長を務めている。
私にとって大変思い入れのある大会である。
安部杯1
今年も多くの中学校、高校の選手が参加し、白熱した試合が展開された。しかし、今年は東京マラソンが開催され、日比谷通りが5時間にわたって通行止めになるなど交通機関が麻痺した
ため、大会顧問の先生や安部夫人などが開会式に間に合わないなどの影響が出た。また、審判の先生や来賓のお弁当が日比谷通りを横切れないため、高速道路を使って運ぶなど高い弁当代についた。
安部杯2
また、この日は社員のKさんの結婚式とも重なり、大会の表彰式を審判長のO先生に代行してもらい大会途中でKさんの結婚式に駆けつけた。この時も友人のI君に車で披露宴会場まで送ってもらい。何とか開始までに間に合った。
結婚式というものはいつ出てもいいもので、幸せな気持ちにさせてくれる。

新婦側を代表してスピーチを頼まれていた。数日前から骨子だけは考えていたが、車で送ってもらう途中に肉付けをした。挨拶はいつもそうであるが、骨子だけを考えて後はその時の状況に応じてアドリブで話す。だから文章を読み上げると言うことはしない。だから時々脱線する。今回は何とか脱線せずに収まったようだ。
安部杯の会長挨拶に続いて本日2度目のスピーチである。
熊川結婚式
大変申し訳なかったが、結婚披露宴も最後までいられず後半には退席することになった。それというのも、安部杯の懇親会が18時から行なわれるためである。普通の懇親会であれば遅れて行ってもどうということはないのであるが、私が会長を務めている大会であり、尚且つ手弁当で遠くは福岡からこのために来ていただいている先生などもいるため、感謝の気持ちを表したいと思っていたからである。
今日3回目の挨拶を懇親会で行うとやっと一段落がついた。 朝7時から本当に忙しい1日であった。懇親会はまだ始まったばかりであるが、何だか1日が終わったような気になった。

安部杯の挨拶でいつもこの大会から次代を担う優秀な選手が育つことを願っていますと話をするが、昨年のインターハイ個人で高輪高校の石田雄二君が優勝した。一昨年の安部杯に1年生で参加したのを覚えている。インターハイ優勝と聞いて大変嬉しく思った。
来年もまた、この大会の参加者の活躍を期待したいと思いながら気がつくと2次会のラウンジで先生たちに囲まれてウィスキーを傾けていた。


cpiblog00620 at 20:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

February 04, 2007

剣道日誌21

成蹊大学で平成19年の卒業生送別稽古が2月3日行われた。
送別稽古12時半より送別試合が4年生(6人)対1年〜3年で行われ、その後送別稽古になりOB、OG,師範の青木先生を交えて行われた。
こういう時でないとなかなか青木先生(範士八段)に稽古をお願いできないので、率先して稽古をお願いする。青木先生は大変指導が上手である。いつも注意されることは同じであるが、少しずつ身に沁み込んでいくようである。とにかく教えを請うときは「守破離」の精神で先生の言うことを素直に実践することを心がけているが、なかなか出来ない。歯痒いが今はひたすら「守」の気持ちで言われることを実践していこうと思う。(手のひらの力を抜いて相手の両足の真ん中へ右足を捻じ込むように真直ぐ打ち込む)
青木先生に稽古をお願いした後、同期のI氏、学生2名と稽古を行い、一足早めに稽古を上がり総会を行う教室へ急ぐ。

稽古の後、蹊剣会(OB会)総会を大学の教室を借りて行い予決算等の議案を参加者に審議してもらい無事承認を得る。議案審議の後、学生から新体制(男女の主将、主務等)の発表があり、年間の行事予定の報告を受ける。
幹事長である私の最大の仕事が総会であり、無事に終了するとほっとする。今回は会長が所用で欠席されたためO副会長が中心となり総会をまとめてもらう。

総会が少し長引いたため18時からの卒業生送別会兼蹊剣会入会式を18時30分に変更してもらい、吉祥寺の居酒屋へ急ぐ。
今年の卒業生は男子3名、女子3名の6名である。ここ数年では少ないほうである。所謂昔の「追いコン」であるが、最近では大変おとなしくなり4年生の修羅場を見ることは少なくなった。それでも学生は元気でいい。一緒に飲んでいると活力が沸いてくる。
卒業式前に4年生とは改めて場を設けて飲むことにして1次会で彼らと別れる。

明日は品川区のスポーツレクリェーション協議会のボーリング交流会があるというのに、吉祥寺駅へ向かう途中、いつものことではあるがOB7名でもう一軒寄ることになってしまった。



cpiblog00620 at 17:54|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

January 30, 2007

剣道日誌 番外編 「雨ちゃん」3

雨ちゃんが亡くなって7ヶ月が過ぎようとしている。
妙義山
車での金沢からの帰り道、「松井田・妙義」インターで下りて玉屋ホテルの前まで、K氏とI氏に送ってもらう。1年祭(神式では1周忌のことをいう)の相談と墓参を兼ねて4人で集まることにしたのだ。夕方玉屋ホテルに着いたが、私が一番乗りであった。その後すぐH夫人、I夫人が雨ちゃんの娘さんが運転する車で到着し、N氏が最後にホテルへ到着する。
今日は遅いので墓参は明朝にして早速夕食を用意してもらう。

夕食1

ここの料理は「摘み草料理」(http://homepage2.nifty.com/myogi_tamaya/info.htm)といい懐石風に一品ずつ運ばれてくる
凝った料理で味も良く宿泊客からも好評である。部屋に落書き帳が置いてあり、宿泊客が自由に感想を書いているが、どの感想もこのホテルの気配りの素晴らしさを称えている妙義というのはこれという観光は無いが、玉屋ホテルは妙義山の麓にあるので山を眺めているだけでもゆったりする。妙義山は木々が少ないため登ると上からの眺めは最高である。
また、妙義神社へお参りした後、立ち寄り湯の「もみじの湯」で汗を流せばこれまた極楽である。まだ、行ったことのない人は是非妙義へ足を運んでみて下さい。夕食2

夕食3
写真(食べかけの写真で失礼)のように料理が一品ずつ出されて、それに合わせるように酒を飲み、雨ちゃんの奥さんである女将さんに思い出話を聞かせてもらった。(美味しかった前菜3品は撮り損なった)夕食4


翌朝、女将さんに案内されて雨ちゃんのお墓参りをする。ホテルのすぐ近くにあるお墓は大変立派な作りであった。

夕食5

ホテルへ戻って朝食を済ませ、雨ちゃんの富岡の剣友であったS氏とI氏を交えて1年祭の打ち合わせをする。6月30日の命日に追悼稽古会を行ない、1泊して偲ぶ会を行なうことに話がまとまる。きっと雨ちゃんも喜んでくれるはずだ。
さあこれから多くの剣友に集まってもらうために6月30日に向けて準備をしていくぞ。
お墓

これを読んだ剣友の皆さん6月30日、7月1日は空けておいてください。


cpiblog00620 at 22:08|PermalinkComments(3)TrackBack(0)clip!

January 09, 2007

剣道日誌20

1月6日(土) 1日中雨が降り、大変寒い日であったが、東京大井剣友会の稽古始があり、そこで今年最初の稽古を行なった。
昨年は怪我が多く結局目標の「100人の人と500回の稽古」が出来なかった。ここ5年間で一番稽古量が少ない年となってしまった。
今年は目標を達成するため意気込んでいたが、昨年後半から出てきた五十肩と左肘の痛みで思うように竹刀が振れない。6日は11人と12回の稽古を行ったが、肩と肘が大変に痛い。稽古を少し休むべきか、稽古をしながら直すべきか非常に悩んでいる。

小学校の体育館を借りての稽古のため、最近では稽古納や稽古始の後の車座になっての飲み会が出来なくなってきた。
学校での殺傷事件が起こるなど物騒になってきたためか、またはごみの問題か、それとも小学校校内での飲酒が問題なのか、とにかく利用に際しての規制が厳しくなってきた。
それはそれで仕方がないのであるが、紅白饅頭とみかんだけが配られる稽古始はやはりさびしいな。

そんなこともあってか、稽古後は新年会の話題にすぐに移ってしまう。
今年も新年会の幹事を仰せつかった。1月28日(日)いつものように大井町で新年の杯を傾ける。

1月は公式の新年会が4回(内幹事3回)、非公式の新年会が3回と忙しい。体調を万全にして臨まなければならない。そのためにもやはり稽古は休めないな。


cpiblog00620 at 19:41|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!

December 05, 2006

剣道日誌19

11月23日恒例の「安藤杯」が成蹊大学の道場で開催された。
今年で9回目である。
安藤先生はマックスウェーバーの研究では日本で右に出る人がいないというほどウェーバー研究に生涯を捧げた学者である。
先生が亡くなった後、いろいろな雑誌で学者「安藤英治」としての追悼文章が掲載されたが、私にとっては剣の師という一面だけが突出している。
法学部の学生であった私の前では一度たりとてマックスウェーバーの話をしたことがない。剣道以外の話をした記憶がないのだ。恥ずかしいことに私は卒業してしばらくするまでマックスウェーバーの研究の第一人者ということを知らなかった。

先生には学生時代から大変可愛がられた。「名手三浦君」と先生が私をおだて、先生が道場に来たときには必ず稽古相手に指名された。
足が悪い先生はどっしりと構え、打ち込む私の技を返しては「どうだ」と稽古が終わるたびに話しかけてきた。
そんな先生が亡くなられる少し前に自宅のマンションに私を呼んでこの大会を発案された。
先生が見学されたのは第1回のみである。その後は遺影を掲げての大会となってしまった。
先生については話すことがたくさんあるが、改めてブログで紹介していきたいと思う。
安藤杯1
今年の安藤杯は学生が学祭の準備で欠席したため、本来のOB,OGの懇親試合となった。
3人の団体戦でリーグ戦を行い上位2チームが決勝トーナメントに進出するという方式をとる。私は同期のI君、U君とチームを組み2試合行なうが、引き分けと一本負けという成績であった。特に一本負けの相手は1年後輩のH夫人である。女性はハンデとして1本を先取したところから始まるルールとしたため、3分で2本とらないと勝てない。3分間凌がれて結局1本もとれずハンデ負けとなる。それにしてもこの日のH夫人は強かった。男性相手に勝ち進み最優秀賞を取ってしまったのだ。いやー畏れ入りましたという他ない。
今年の安藤杯はH夫人に始まり、H夫人で終わったという感じである。
安藤杯2
試合後、青木敬汎先生(範士八段)に稽古をお願いし、面の打ち方をじっくり指導される。
力を入れずに竹刀を握る。力を入れていてはブレーキになる。何度も同じことを言われる。
これは簡単そうで大変に難しいが、これが出来なければ真直ぐな面は打てない。最後に良い面が一本出たところで稽古を終わる。

稽古の後は懇親会である。大学前の「尾張屋」(そばや)に繰り出すが、料理が来るまでに小一時間かかり、その間にH夫人の活躍で盛り上がり、すきっ腹に酒が浸み込みすぎた。


cpiblog00620 at 09:41|PermalinkComments(5)TrackBack(0)clip!

November 21, 2006

剣道日誌18

10月最後の土曜日、芝学園で小篠杯剣道大会が開催される。
大会といっても芝学園の卒業生と学生の懇親試合である。昭和56年に顧問の小篠守正先生を称えてOBで大会を開いたのが始まりである。今年が平成18年ということは26年に亘って続いている大会である。
小篠先生は、昭和61年に校長に就任し、平成5年に退職されたが、その後も小篠杯は継続し毎年先生をおよびしている。84歳になられた今年も元気なお姿を見せていただいた。

試合の前に久しぶりに高校生、中学生と稽古をする。高校生は動きが早いが打ちが軽い。合わせずにじっくり構えて返す。また、下がったところを乗るように心がける。
面を意識して打つ。間合いに入って正面から面を打つ稽古を繰り返す。
小篠杯

30分稽古をして試合に入ったが、4月に傷めた左足ふくろはぎが完治していないため、今年は審判に徹する。若手OBチームが優勝し、それぞれ恒例の優勝の賞品新米5キロを手にした。

試合の後は、懇親会である。浜松町にある後輩の店へ繰り出す。
防具を持って増上寺の境内を通ると夕日が空を染めている。振り返ると東京タワーがいつものように聳えている。東京タワー


昭和39年芝学園に入学し、毎日稽古の後この道を通り帰宅したことを思い出す。ここの景色だけは40年以上経った今も変わらない。

景色同様、来年も元気な先生の姿を見せていただきたいと思いながら店へ急ぐ。


*3年前に作らせていただいた小篠先生の著書「方円の器」は是非教育に携わる人には読んで いただきたい。
 http://www.shinryokusha.co.jp/smc/index_pub.html


cpiblog00620 at 20:12|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

October 22, 2006

剣道日誌17

10月15日東京大井剣友会では第25回少年剣道大会が開催された。
今年は主催の東京大井剣友会それに清明舘道場、品川竹誠舘剣友会(共に品川区)、神奈川の綾瀬少年剣友会、港区の良武剣友会が協賛して5団体で開催された。
5団体とはいえ、小中学生の参加者は35名というこじんまりした大会である。毎年かけもちでサッカーや野球、バレーボールなどを行っている子どもが多く、大会運営が大変である。今年も当日まで出場する選手の出入りがあり、トーナメント表やリーグ戦を書き直してバタバタしながら開催された。
25回大会6


この大会は参加者に1試合でも多く試合をさせて懇親を深めたいという趣旨の下に運営されているため、個人戦(リーグ戦)、団体戦(トーナメント)、紅白戦と最低でも5試合は試合が出来るように工夫されている。手作りの大会のため父母や剣友会の会員、先生方総出で前日から試合場や観客席などの会場設営を行う。

こういう大会は貴重である。全員が子どもたちのために汗を流し、応援する。25年にも亘り引き継がれてきた伝統を守って今年も大きな声援の中で無事に終了した。


cpiblog00620 at 05:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

October 06, 2006

剣道日誌16

06品川区練成会9月18日は午前中、品川区少年少女剣道練成会があり、子どもたちの指導を手伝う。
小学1年生から中学3年まで学年毎に分かれてそれぞれ指導者が付き約2時間指導を行なう。品川区剣道連盟青年部が中心になって行なう年に1度の練成会である。もちろん青年部を補佐して剣連所属の私たちも総出で指導にあたる。全くのボランティアである。
06品川区練成会2
午後からは剣道連盟主催の大会が行なわれ、審判を行なう。最後の四支部対抗戦に1試合だけ選手として出場するが、全くいいところなく負ける。昨年は我々の支部が優勝したが、今年は最下位である。私自身も足の怪我が完治しておらずびくびくしながらの試合であった。言い訳はいろいろあるが、要するに力が拮抗していると言うことか。

1週おいて10月1日は品川区民スポーツ大会の剣道大会が開かれ、審判で参加する。どこの区や市町村でも同じであるが、朝早くからボランティアで手伝ってくれる人たちを集めるのは大変である。6試合会場で審判が6名ずつ36名、タイム係りや記録係り、掲示や呼び出しなどの手伝いがそれぞれ6名で36名、それに審判長やコート主任、昼食の接待やお弁当の手配など総勢100名くらいの人たちが汗を流して大会の運営を行なう。自分たちの子どもがお世話になっている、また、以前お世話になっていたなどの理由で手伝ってくれる人も多いが、やはり剣道が好きだから手伝うということであろう。

私は今回も大事を取って試合にはエントリーはしていない。審判だけなので、多少は気が楽であるがそれでも気疲れがする。試合をするのは選手であるが、試合を作るのは審判である。審判の良し悪しで試合が引き締まったり台無しになったりするものだ。選手は日頃鍛錬した技を競い合うわけである。誤審をしては申し訳ない。そんな気持ちからコートに立つと緊張し、気疲れをしてしまう。
大会が終わるといつもぐったりするのだが、特に今回は当支部が準備担当のため大会終了後の観客席や周辺の掃除も行なう。
06品川区練成会3
掃除が終わり、体育館の外に出ると悪いことに雨が降っている。天気予報は曇りだと言っていたので、自転車で来てしまった。これは弱ったと思うがどうしようもない。自転車を置いて帰るわけにも行かず、雨の中を自転車に乗って約20分びしょ濡れになりながら自宅に戻る。
審判は紺のブレザーにグレーのズボン、ネクタイは赤で靴下は紺色と規定されているので、ブレザーもズボンも雨でぐっしょりになってしまった。まあそれでも今日は充実した1日だったと自分を納得させる。

次の8日の日曜日は港区の剣道大会だ。会場で子どもたちの面倒を見なくてはならない。
15日の日曜日も大井の少年剣道大会があり、21日の土曜日は四大学の大会、28日の土曜日は母校で小篠杯の大会がある。
毎年春と秋はとにかく忙しく休日は休めないな。


cpiblog00620 at 21:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

September 15, 2006

剣道日誌15

先週は金曜日に港区の良武剣友会で子どもたちと汗を流した後、U氏と10分程度稽古を行ない、土曜日は品川区の大井剣友会で11人と稽古を行った。足を怪我してから本格的に稽古をしたのは4ヶ月振りである。
面を中心に前に出る稽古を心がけ体を慣らしていった。久しぶりの本格的な稽古で、ついつい力が入ってしまったが、何とか足の方は悲鳴を上げずに済んだ。
これで九分どおり復帰できたようだ。9月18日には品川区の四支部対抗戦にエントリーしているのでほっとした。

翌日の日曜日は芝学園の学園祭で恒例のOB対現役戦があるが、今年は大事を取って見学だけにするつもりである。若手のOBに試合を任せてゆっくり高見の見物と洒落込む予定である。
芝学園稽古1


日曜日の朝起きると前日久しぶりの稽古で張り切ったせいか、筋肉が疲労して痛い。やはり今年は対抗戦に出ないぞと言っておいてよかったと改めて感じた。
芝学園に着くと若手のOB(19歳から35歳)がすでに稽古を始めている。これは頼もしい。
今年はゆっくり試合を拝見しよう。
今年もOBが勝利したが、現役は少し遠慮気味なのか元気がなかったのが気になった。現役の父母も見学に来ていたのだから、元気に試合をするところを見せてもらいたかった。
芝学園稽古2
試合が終わるといつもどおり若手のOBを慰労しに浜松町へ繰り出す。10名ほどで中華料理店に入り少し遅めの昼食を取る。未成年3名はウーロン茶で、そして他のOBはビールと紹興酒で勝利を祝って乾杯をする。自分の子どもより若い人たちと共通の話題で盛り上がるのは楽しいと同時に若返るものだ。
試合の後で腹が空いているとはいえ、若い人は良く食べる。ボリュームのあるものを中心に注文するがほとんど平らげてしまう。いやーこれだけ食べると気持ちがいいが、懐が心配になる。まあ、それはそれとして久しぶりに剣道三昧の充実した3日間であった。


cpiblog00620 at 00:18|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

August 21, 2006

剣道日誌14 熱海合宿2

熱海花火1民宿「まきた」は料理が美味しい。K先輩の紹介だけの事はある。合宿ということもあり値段を下げて質を落としてもらっているのだが、それでも満足である。熱海花火2
午後7時20分に旅館組合のチャーター便のバスが民宿前まで迎えに来たのでそれに乗り込む。花火会場まで約15分、駐車場から歩いて5分ほどで会場に到着する。
8時過ぎから花火が始まる。間近で見る花火は迫力がある。そして、熱海は三方が山に囲まれているので、音が反響して頭の上から落ちてくるようだ。
子どもたちもおとなしく見学していたので、充分花火を堪能して民宿に戻る。いつもながら2次会と称して10人ほどで1時間ばかり飲みなおし床に就く。

翌朝は子どもたちの声で目が覚める。まだ5時過ぎである。プレゼントされたカブトムシで虫キングの真似事を始めたようだ。カブトムシにとっては迷惑なことである。
6時30分に民宿前の海岸で体操とトレーニングを行う。子どもたちは元気がいい。走らせても相撲を取らせても全く疲れないようだ。こちらがへとへとになってしまう。
熱海腕立て
朝食をとり、荷物を整理してバスに乗り込み昨日と同じ体育館に向かう。K先輩がすでに準備をして待っていてくれた。今日は最初に剣友のI氏が転職をして札幌にいくということで、13名が掛かっていく送別の立ち切り稽古を行うことになった。熱中症警戒が出ている中での立ち切り稽古はきついはずだ。私も11番目に稽古をする。最後はふらふらになりながらもよくI氏は頑張った。面を取った後、皆から健闘を称えられほっとするとともに最後までやり遂げた満足感で顔が輝いていた。

立ち切り稽古の後、私は子どもたちを指導していたため、今年はK先輩と剣を交えることが出来なかったのが残念であった。
11時30分に稽古を終了し、近くのホテル「平鶴」で温泉に入り、昼食をとる。ここも料理が良く人気のところである。海に突き出た露天風呂も視界が開けていて開放感がありなかなか良い。

帰りも渋滞が予想されるため、予定より少し早めに出発したが、案の定大変な渋滞に巻き込まれた。こうなったらしょうがないということで、大人は宴会になり、子どもたちはビデオを見たり、カブトムシを取り出したりでバスの中は大騒動になった。至る所でトイレ停車をしながら東京に着いたのは19時40分ごろで6時間の長旅になってしまった。

お世話になった民宿とホテルは下記の住所とTELです。機会があればお寄り下さい。
磯の宿「まきた」〒413-0102 熱海市下多賀1472 TEL0557-68-1237
磯料理・海辺の湯の宿「平鶴」〒413-0102 熱海市下多賀493
http://www.hiraturu.com


cpiblog00620 at 12:53|PermalinkComments(3)TrackBack(0)clip!

August 12, 2006

剣道日誌13 熱海合宿

8月5日、6日と品川の「東京大井剣友会」で熱海合宿を行った。昨年同様K先輩にお世話になり2日間稽古をさせて頂いたのだ。この合宿は小中学生が主体の合宿であるが、近年子どもの数が少なくなり、今回も子ども12人大人18人という構成比になり、以前のように30人前後の子どもたちで賑わうということは無くなった。

8時30分に大井町駅前をバスで出発したが、夏休みの土日ということと、熱海で人気の花火大会が開催されるということで、大渋滞になり何と5時間半近くかかってしまった。3時間から3時間半と予想していたが甘かった。そのため子どもたちを飽きさせないようにマンガのビデオテープをかけたり、お菓子やスポーツドリンクを配ったりと、幹事の私たちは大変であった。それもその筈。子どもたちに配るしおりには「サマーキャンプ」と銘打ち「合宿」という言葉はどこにも使っていない。何とか子どもたちに楽しみながら剣道に親しんでもらいたいとの配慮からであるが、私たちの子ども時代の剣道合宿とは雲泥の差である。
熱海海岸
予定の時間からかなり遅れて熱海の海岸にさしかかると、海岸は芋の子を洗うような人だかりである。近年熱海の観光客は激減していると聞いていたが、どうしてどうして大変な人ごみである。花火大会があるからだろうか?そんなことを思いながら、やっと民宿「まきた」へ到着し、用意してもらっていたお弁当を食べる。
休む間もなくバスに乗り込み近くの多賀小学校の体育館に向かう。民宿から歩いても7分程度であるが、道が狭いため子どもたちの安全を考えてバスで行く。
子ども試合
体育館にはすでに熱海の剣友が待っていた。ここでも剣道をする子どもたちの数が減り続けて現在は小学生が3人となってしまったという。
一緒に準備体操から行い稽古を開始する。熱中症警戒が出ている中、試合稽古も交えて約1時間半汗を流す。稽古着に着替えただけで汗が吹き出るほどのため、途中で水分を取らせながら無事に初日の稽古を終了する.

稽古終了後熱海のK先輩が子どもたちにカブトムシをプレゼントしてくれた。何とオス、メス合せて44匹。すべて天然のカブトムシである。今年はよく飛んできたといって捕まえたカブトムシをすべて子どもたちに分けてくれたので、大喜びであった。
熱海集合S
今日の夜は子どもたちを連れて熱海名物の花火大会を見に行くことになっている。目の前で見学できるということと安全を考え有料席(1人1000円)を予約した。急いで民宿に戻り、遊びまわる子どもたちを順番に風呂に入れ、夕食をとる。
楽しいが子どもたちの相手をするのは疲れるな----。
それはそうと稽古の後のビールは何でこんなに美味しいのだろう。


cpiblog00620 at 09:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

July 29, 2006

剣道日誌12

週2回、近くの芝小学校で剣道を指導しているが、そこに通ってくるO兄弟(小学校3年、2年)が父親の転勤でシンガポールに行くことになり、稽古の後送別会を行なった。
O兄弟はとてもまじめで、また母親が熱心なこともあり成長を大変楽しみにしていたのであるが、残念であった。しかし、シンガポールでも剣道を続けるというので安心した。
日本では剣道を修行する子どもの数が減り、あちらこちらで指導者の人数の方が多くなってきているが、シンガポールでは指導者不足で大変だと言っていた。

野球やサッカーに押されて武道を習う子どもが少なくなって久しいが、それでも毎年数名剣道を習いに来る子どもはいる。親が進めるというのがほとんどであるが、大体小学校までで中学になると他のスポーツに移ってしまう。特に公立の中学校では剣道部がないところがほとんどのようである。また、剣道部があっても顧問が転校すると後を引き継ぐ先生がいなくなり廃部になるところが多い。

剣道を指導していてここ数年思うのは、子どもたちに堪え性が無くなってきたということである。すぐに面を取って座り込む。後ろの壁に寄りかかるなど稽古中ではいままで考えられなかったことをすぐに行なう。注意をしてもすぐまた同じ事を繰り返す。そのうち注意する気にもならなくなってきてしまうのだ。学校でも、家庭でも我慢するということをしないようだ。兄弟の数も少なく争うこともない。自分が好きなこと、やりたいことをやらせてもらえる。幸せなことであるが、逆境になると全く対処できない。ぐっと堪えることが出来ないからだ。
家庭で出来ない、学校で出来ないそういう厳しい忍耐力を剣道で養わせようと指導しているが、なかなか思うようにいかない。子どもは楽な方、楽な方へと逃げていく。だから長く続けることに意義があるのだが、続ける子どもは10%くらいである。
教育というのは本当に時間がかかる。

送別会では、子どもたちは剣道のときの2倍くらい元気に中華料理を食べながらはしゃぎまわっていた。

翌日の土曜日は午前中採用面接があり、午後から大学の稽古会と先日の四大学剣道大会の祝勝会のため酒はほどほどにして切上げる。
明日は飲むぞ。


cpiblog00620 at 10:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

July 17, 2006

剣道日誌 番外編「雨ちゃん」2

妙義神社2
今は雨ちゃんを送るより重要な仕事はないというY君と同じ気持ちでお通夜の後、予約をしていた妙義グリーンホテルに泊まり、明日の告別式に参加することにする。
朝起きると曇り空で時折霧雨が降る。晴れていれば妙義山が一望できるホテルであったが、
私たちの気持ちと一緒で空模様は湿りっぱなしである。朝食をゆっくり済ませ、告別式までにはまだ時間があるので、妙義神社へ行こうということになった。雨ちゃんの「玉屋ホテル」は妙義神社と深い関係にあり、料理も「神代料理」を出していた。何度もお世話になりそのたびに妙義神社には参拝をしてきたが、今日は特別である。長い石段と坂道を登り、辿り着いた本殿に雨ちゃんの霊もすでに祭られているのかと思うとあだや疎かに手を合わせられなかった。静かな神殿に向かって手を合せ雨ちゃんのことを考えるとやはり涙がこみ上げてくる。
今日ここに来たという証が欲しくて帰りに社務所でお守りを買った。絵や書の好きなY君も天狗の文鎮を買って下へ降りる。
もう少しこのあたりにいようということになり、すぐ近くの妙義美術館で妙義山の絵を鑑賞することにした。雨の中、静かな美術館にいるお客は私たち二人だけである。1時間ゆっくりいろいろな顔を持つ妙義山の絵を鑑賞して、今日の告別式に参加する剣道部の仲間や妻を迎えに安中駅へ向かう。
雨ちゃんの死を惜しむ人たちが九州や北海道からも駆けつける。出張を途中で切上げて私服のまま駆けつける仲間や剣道関係の先生、先輩や後輩ばかりでなく、旅館組合の先輩後輩など彼の人柄を慕って式場に入りきれない人たちで溢れかえった。とにかく弔辞が6人も続いたのにはびっくりした。それだけ雨ちゃんの死を惜しむ人たちが多いということであろう。
正月は旅館の仕事で忙しいため、雨ちゃんはいつも旧正月近くにはがきをくれる。今年のはがきの消印は2月3日となっていた。気がついていたのかいなかったのか、この時にはすでに彼の体を癌が相当に蝕んでいたはずだ。
君の生きざまはしっかり見届けたよ。

燈々無尽(とうとうむじん)
(前文省略)
火曜日は4時に起きて早朝セミナー、3年目になるのに上達しない書道、頭に入らない英会話。剣道七段に失敗しました。挑戦が始まります。夢をもつことは可能性を信じて努力を惜しまないこと。
「真剣勝負に二本目はない。初太刀一本のみ。人生も二度ない。その精神を日常生活に生かすのが剣道」
燈々無尽。良い教えを人にも伝えていこう。
3月、官営製糸工場の世界遺産登録をめざす富岡市と合併します。新市の迎賓館、妙義の歴史館となるような旅館にしていきたいと思います。
剣道も旅館道も夢をもつ。決して諦めない、52歳の生きざまを見てください。
平成18年立春  妙義道場にて


cpiblog00620 at 12:16|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

July 06, 2006

剣道日誌 番外編「雨ちゃん」1

雨ちゃん葬儀
6月30日未明、剣友である雨宮弘氏が七段を目前に52歳という若さで亡くなった。彼は大学の後輩であるが、妙に気が合い長い付き合いをしてきた。 
昨年11月の終わりに七段の審査に失敗した時、大学の同期や先輩が集まり残念会を行なった時、元気に再挑戦を誓ったはずであったのに。

それは突然であった。今年の2月中旬、妻の携帯電話にメールで足が動かなくなり、緊急手術をしましたと本人から連絡があった。たいしたことは無いだろうと思いつつも彼の同期のN君が近くへ行くというので様子を見てきてもらうことにした。
彼からすぐに連絡が入り、悪性の骨肉腫でそれも脊椎に転移しているという。
これはただ事ではない。それから何度かお見舞いに群馬県へ足を運んだ。手の施しようが無いと聞いた時には愕然とした。奥様は旅館の女将の仕事が終わると着替える間も惜しみ見舞いに通い詰め、回復を祈ったがその願いも空しく逝ってしまった。
発病して5ヶ月、本当に早かった。1月には元気に東京まで稽古会に参加していたのに。
彼は大変に稽古熱心でそれを「雨ちゃんワールド」としてHPに稽古日記を書き続けていた。以下は最後になってしまった雨ちゃんの稽古日記である。
本当に残念であったろうと思う。彼が亡くなった後、最後の稽古日記を何度も何度も読み直した。読むたびに涙がとまらない。

<原文引用>
雨ちゃんの剣道日記 平成18年1月12日(木)日本武道館:全剣連合同稽古会、
中島義孝先生、松本忠男先生、鈴木敏史さん

 日本武道館に到着すると、山梨の一之瀬仁先生が親しく声をかけてくれた。
「七段の昇段審査どうでした?あの面(雨宮のするどい面のこと)を初太刀に出さなければ。誰とやっても初太刀に面を打つ、くせをつけること。」
ワーイ、八段の先生からボクの面をほめて、勇気をいただいた。やっぱり東京の稽古会はいいなあ。
 時間前に中島義孝先生、長堀久五郎先生に指導稽古をお願いした。
指導稽古
1本目、平子先生(茨城県)
並んで先生の足捌き、間合いの入り方を見ていた。足幅を狭く立つ。右に移動。左に移動。右足を前に左足をひきつけて面。打ち終えた後、姿勢をくずさない。右手の位置、剣先が前を向いている。
初太刀、先生のまねをして右、左そして右足を前、左足をひきつけて面にでた。
先生が合わせて面に来た。振り向いて構えると、先生はすぐに攻めて間合いをつめて強烈な面がくる。右手が前に伸びて、姿勢がいいのか剣先に十分体重が乗っている面だ。
最後に先生が面を打たせてくれたが、はずしてしまった。あれをきっちり決めないとなぁ。
終礼で:
「踏み込みが弱いので剣先に力が乗っていない。自分の間合いをしっかりつかむこと。自分の間合い以外ではうちに出ない。」

2本目、一之瀬仁先生(山梨県)
 面が早く、打った後剣先がまっすぐ伸びている。出頭をとらえるときの面は振りが小さく、さすようであるが十分剣先に力が乗っている。審査のときにああいう面を打てればなあ。平子先生の間合いの入り方をまねて面。いままでは右足を半歩前に進めて左足体重をのせて面に跳んでいた。こんどは、右足半歩前、左足をしっかりひきつけて面。相手に近づいて面になる。出頭の面を打たれた。相面で振り返ったところ、面を打たれた。
終礼で:
「気迫がいつもと違っていました」

3本目、碩山哲弘先生:
 先生の剣道はパワー全快。誰に対しても最後は面の打ち合いで先生が相手を圧倒。
今日も最後は相面の打ち合いですっ飛ばされた。最後は切り替えし。
終礼で:
「旅館の商売は大丈夫かい?しっかりしておかないと、剣道はできないからね」
帰りに先生の奥様を紹介いただいた。

4本目、脇本先生
こちらが間合いの入る前に、先生に入り込まれて打たれてしまう。面に跳ぶところを狙われて小手を打たれてしまう。面うちに終始した。
終礼で「いい剣道をしていますね」といわれた。

間合い。いままでは相手の攻めがこわくて、打たれるのがこわくて遠いところから
うちに出ていた。右足に左足を引付けて、一歩前にでる勇気。
これを工夫してみよう。

帰りの車の中で、中島先生が西村先生にマッサージをしてもらったと話していた。
西村先生が「雨宮さんの剣道は素直すぎる。七段をとるのだったらもう少し駆け引きを」
誰かがみていてくれるんだな。東京の稽古会は。



cpiblog00620 at 21:09|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!

June 16, 2006

剣道日誌11

京都で怪我をしてから1ヵ月半、そろそろ再開に向けて準備を始める。
先週の金曜日、港区の良武剣友会で新入会の小学1年生3名の指導から復帰する。1年生は教え甲斐がある。何を言ってもまともに聞いていない。3人集まるとお互いにきょろきょろしはじめ私のことなど見てもいない。ちょっと目を離すとすぐに見学に来ているお母さんの顔を見始める。
忍耐力が養われるな。私の三女が剣道を始めたのも小学校に上がる少し前だった、その時の指導の先生の苦労が身に浸みてわかる。
翌日の土曜日はその三女が通う品川の大井剣友会で小学生の稽古指導の補助として参加する。まだ剣道具は付けられないので、掛け声だけである。
翌日曜日は、四大学(成蹊、学習院、武蔵、成城)の剣道大会が学習院大学で開催され、早朝から参与として参加(応援)する。
四大戦個人優勝

この四大学は旧制高校の時代から親交が深く、50年以上に亘って競技大会が開かれている。そのため四大学の剣道部の卒業生は同じ学校の卒業生と言ってもいいくらいに卒業後は仲がいい。私も多くの学習院、武蔵、成城の人たちと今でも深いお付き合いがある。
その四大学戦(春は個人戦)で成蹊大学が男女ともに優勝、準優勝を独占した。(男子は3位にも1人入る)
私の記憶ではアベック優勝は母校でも他校でも何度かあるが、優勝、準優勝を独占したのは初めてではないかと思う。
決勝戦は男女ともに成蹊同士のため、見ているほうは緊張感があまり無かったが、下級生の活躍が目立った。
祝勝会は7月15日(土)前期の稽古納めも兼ねて行なわれる。
さあ、これからOB会幹事長として資金集めが大変だ。


cpiblog00620 at 15:01|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

May 02, 2006

剣道日誌10

4月30日、初の六段挑戦は失敗に終わった。

京都へは不安を抱えながら向った。当日まで行くか、棄権をするか迷っていた。傷めた左足は早素振りが出来るまでに回復していたが、2週間稽古をしていない。本当に踏み込めるのか?自分でもやってみないと分からないというのが本音であった。無理をしないほうがいいという仲間もいた。しかし、敵前逃亡をするようで棄権をするのは嫌だった。そんな思いで着いた京都には同志社大学剣道部OBのM先輩が待っていた。京都市立体育館で再会し、いろいろとアドバイスを受けた。
M先輩は6月より京都府剣道連盟の事務局長の任に着くという。京都では大変に顔が広い。(昨年まで「京大和」の支配人を務めていて花街でも大変顔が広いのだが…)偶然会場でお会いした範士九段、教士八段(共に京都)の先生方に私の立会いを見てアドバイスをもらえるようにしていただいた。

ところが、始まってみると審査どころでは無くなった。一人目の立会い30秒くらいで左足ふくろはぎからひざの裏にかけて激痛が走った。肉離れか、靭帯損傷か、意識はすべて足へ向いてしまった。手を挙げて棄権することも考えたが、先輩や先生方に見ていただいているということが頭をよぎり、2人目の立会いも行なった。ただこれは立っているのが精一杯という無様なものであったが。
審査が終わりすぐに着替えた。発表は見るまでもない。M先輩は気遣って微妙なところだなと言ってくれたが、私自身は棄権をせずに済んだことだけで満足であった。

発表後に伝えなさいとM先輩が先生方に言われたと、私へのアドバイスを伝えてくれた。
それを聞いて愕然とした。失敗したのは足のせいではなかった。2人目のほうが良かったと言うのだ。ただ立っていただけなのに。確かに2人目は剣先をはって堂々と構えていた。それはそれしか出来なかったからだ。1人目には溜めが無いといわれた。気が焦っていたのだろう、先を取るつもりで仕掛けが早すぎたようだ。
足のさばき、すり足、左手の使い方、上からの攻めなど多くのことを教えられた。その中でも特に印象深かったのは「審査は誰に指導を受けていたかを見られる場だ」と言うことである。きちんとした指導者についていればその人の所作自体がきちんとする。どういう教え方をされてきたかが現れると言うのだ。
「10年稽古をするより10年かけて師を探せ」と言う言葉が重く感じられた。

失敗はしたが、京都へ来てよかった。多くのことを学ばせてもらった。まずは体を万全にして新たな挑戦の始まりだ。
因みに左足は全治2ヶ月とのことであるが。


cpiblog00620 at 21:49|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

April 22, 2006

剣道日誌9

今日、「新木場」駅近くの夢の島で開催された東京都剣道連盟、東京学連剣友連合会、東京都学生剣道クラブが主催する剣道講習会に参加してきた。夢の島といえばごみの埋立地で有名であるが、いまや熱帯植物園やスポーツ文化館、それに緑豊かな公園が広がり昔のイメージとは全く違う。その中にあるBumB東京スポーツ文化館で日本剣道形、審判規則、指導法を範士八段の先生から講習を受けた。受講者は学生、社会人合わせて200名は超えていたであろう。

日本剣道形は何度も何度も繰り返し講習を受けているが、「剣の理法」の真髄はたやすく凡人には会得できない。特に「形のない残心」、「位攻め」、「入身(いりみ)になろうとするところ」などは特に難しい。先人が検討に検討を重ねて作り上げた日本剣道形だけに奥の深さは尋常ではない。形を練習すればするほどその難しさが身に沁みてくる。

審判規則では、学生の試合を実際に審判し、それを先生方に見てもらいその場で指摘を受けて審判法を学んでいった。
審判でとにかく難しいのは有効打突の見極めである。特に残心を見極めてからの判定は容易ではない。しかし、たとえ誤審であっても、自信を持って堂々と旗を揚げるということが大切であると言われる。

指導法では繰り返し素振りと切り返しの大切さを学ぶ。とにかく素振りをさせる。素振りをしたらどうなるではなく、とにかく正しい素振りを毎日やらせる。とかく試合に勝つための技の稽古に重点がおかれがちだが、素振りと切り返しが上達の早道のようである。

最後に合同稽古を行い、加藤浩二先生(範士八段)に稽古をお願いしたが、何と面を3度打ち込んだだけで傷めていた左足ふくろはぎの肉離れを起こしてしまった。40分間の稽古時間で最低でも2名の八段の先生から指導を受けられると楽しみにしていたのだが、30秒でリタイヤとは全く情けない。
左足はアキレス腱断裂、剥離骨折、ボルト止め、肉離れ、捻挫とぼろぼろである。古傷をたくさん抱えているが、理にかなった打ち方であれば負担はないのだが・・・。「無事これ名馬」とはよく言ったものだ。稽古が出来る体をつくる。先ずはここからだ。

しかし、ちょっと待てよ。来週の日曜日は京都で六段の審査会がある。申し込みはだいぶ前に済ませているが、棄権をするか、強行受審か痛む足をさすりながら思案中。


cpiblog00620 at 21:03|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

April 06, 2006

剣道日誌8

大学卒業式

3月18日成蹊大学の稽古会に参加。この日は大学の卒業式とも重なっているため大学内は大変に華やいだ雰囲気であった。
我が剣道部からも9人が卒業するとあって在校生は卒業生を送る準備で忙しそうである。
OB、OG10数名が参加し、稽古に汗を流す。この日の稽古は5人だけであったが、中身の濃い稽古をさせてもらった。
なかなか中心から攻めることが出来ず、迷っているところを見透かされ何本か打たれる。
「打ち切る」ということが難しい。どうしても迷って中途半端になってしまう。大きな課題である。
稽古が終わった後、卒業生が道場に戻って来るまで時間があったので、馴染みの蕎麦屋で稽古後のビールを皆で楽しむ。

午後卒業生がそれぞれの学部から戻ってきた。男子はスーツに女子は和服で先日までの様子とは大分違う。社会人1年生の初々しさが漂う。
名物の桜もまだ蕾であったが、いつでも咲くぞという臨戦態勢であることを感じさせる。
新社会人と蕾の桜並木が妙に釣り合いが取れているようである。
桜が満開になる頃、卒業生たちは新しいスタートを切っているだろう。


06桜祭


それから2週間後4月2日に再び母校を訪れる。
毎年名物の「成蹊桜祭」に合わせて行なわれるOB会(蹊剣会)の総会に出席するためである。
あいにくの曇り空ではあったが、桜はすでに満開で総会後に桜の下で行なう懇親会では散り始めた桜を肴に大いに盛り上がる。
今年の卒業生を送ってから2週間、蕾であった桜がいっせいに咲き誇っている。
昨年は東北まで桜を追いかけていったが、今年は満開の桜を母校で満喫する。

どうも懇親会だけでは収まらず、元気のある者たちで吉祥寺へ繰り出し2次会に移っていったのは自然の流れであった。



cpiblog00620 at 15:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

February 25, 2006

剣道日誌7

安部杯つば止め

先週の日曜日(2月19日)私が会長を務めている「安部杯争奪剣道大会」が第10回を迎え盛大に開催されました。
この大会は芝学園に勤務されていた安部先生(剣道部顧問)が急逝(享年43歳)された後、先生のご指導を受けた当時の20代、30代の若い中学、高校の教師の方々が安部先生の遺徳を偲んで先生ゆかりの学校を集めて親善大会を開きたいとの申し出があり、芝学園剣道部のOB会がその熱意を汲んで主催を快諾して始まった大会です。5回大会まで私が実行委員長を務め、6回大会から会長として運営してきた大会なので、ひとしお10年という歳月に感慨深いものがあります。

また、初めは実行委員の先生たちは、毎年一人5万円ずつ積み立ててこの大会に寄付をしてきました。何とか軌道に乗るまではと実行委員が手弁当で支えてきた経緯を見ていますので、尚更です。
それにしても毎年、佐賀県からわざわざこの大会のために審判に来ていただいているI先生には頭が下がります。

たくさんの先生、先輩、剣道関係者、大会参加の御父母の方々の御援助、ご協力で10年という1つの節目を無事に迎えることが出来たことは、本当にありがたいことだと思っています。剣道大会としては小さな大会ですが、毎年東京を代表する中学(今年は19校)、高校(今年は21校)が参加して熱戦を繰り広げます。子どもたちの試合を観戦するのも楽しみですが、試合後に審判の先生、引率の先生方が稽古をするのを見学させてもらうのも大変勉強になります。
いつも主催者として懇親会の準備のため稽古に参加できませんが、始めの20〜30分は見学させてもらっています。さすが六段、七段の高段者の稽古は勉強になります。
この稽古会が楽しみで来て頂いている先生方も多いというのも頷けます。
熱心なあまりなかなか稽古が終わらないのが玉に瑕ですが、それも致し方ないといつも諦めています。

今年は10回の記念大会ということで、積み立てていた費用と御寄付で記念の「つば止め(不動)」(写真)をご協力いただいている先生、先輩、関係者に贈らせて頂きました。
このつば止めを使って稽古に励んでいただきたいということと、いつまでも安部先生のご指導を忘れないで欲しいとの願いからです。


cpiblog00620 at 12:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

February 10, 2006

剣道日誌6

1月は中旬に軽いぎっくり腰を再発してしまい稽古があまり出来なかった。
23名の先生、剣友、後輩と29回の稽古のみという体たらくだ。
2月に入ってもまだ2度しか稽古が出来ず、それも小学生を指導するために面を被っただけだ。自分の体が若い時のように回復しないことにいらいらしている。いらいらしても体が回復するわけではないのだが、少しでも竹刀を振らないと今年立てた目標が遠のくような気がしてしまうのだ。
まだ2月、外は寒いしのんびりするか。と、思いつつも明日は稽古に行くぞとすぐに気が変わってしまう。だからなかなか体が治らないのだ。「耐える」ということも稽古の内だと言い聞かせる。


cpiblog00620 at 22:23|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

January 07, 2006

剣道日誌5

私は7〜8年前から、1年間に100人以上の方々と500回以上の稽古又は試合をすることを目標にしているが、昨年は人数も稽古回数も最低であった。
人数としては109人で目標は達成したが、355回の稽古回数というのはどうもいただけない。中身の濃い稽古だったと自分に言い訳しているが、仕事にかまけて稽古に出ない日が相当あったように思う。確かに昨年は何かと忙しく、慌しい日が多かったが、「忙中、閑あり」で時間をつくれないことは無い。
特に11月からの稽古回数が少なかった。年末に向けて大変忙しくなる頃であるが、ここでもう少し竹刀を振る機会を見つければと悔やんでいる。

去年の稽古で印象深かったのは、フランスから八段の審査を受けに来たレック先生との稽古であった。受審の5日位前であったと思う。品川の大井剣友会に足を運んでいただき稽古をお願いしたのだが、大変堂々とした稽古振りに感心させられた。七段まですべて日本で取得したというから本物である。
八段の審査のためだけに来日して稽古をしている姿には頭が下がる思いがする。
残念ながら合格率2〜3%という日本一難しい審査には合格しなかったが、また挑戦しに来るという。

今年も今日から稽古始である。ここ数日大変な寒波で寒さが厳しいが、100人、500回の目標に向って今日から竹刀を振る。
今年は、目標を達成するぞ。


cpiblog00620 at 16:17|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

December 10, 2005

剣道日誌4

段級審査会
先月、品川区の段級審査会(5級〜1級、初段〜3段)にお手伝いで参加した。
小学生の低学年から中学生、高校生が中心の段級審査会である。付き添いの保護者も緊張気味だが、受審する子どもたちも大変緊張しているのが手に取るように分かる。
私は段審査の立会人として審査会場で見ていたが、皆大変不安そうであった。
実は、我が家の三女も1級を受審したのである。本人よりも私のほうが緊張していたかもしれない。声を出せ、前に出ろ、真直ぐ打っていけなどと心の中で叫びながら見ていた。その甲斐あってかどうか、何とか合格することが出来た。
他の親御さんも皆私と同じように心の中で応援していたのであろう。

私も小学校三年の時から父に連れられて剣道の道場に通っていたが、同じように父も心の中で、声を出せ、前に出ろ、真直ぐ打っていけと応援していたのだと思うと思わず感謝の気持ちが湧いてきた。
その父も今年の夏には3回忌を迎えた。


cpiblog00620 at 20:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

December 03, 2005

剣道日誌3

05安藤杯
2週間前の日曜日のことであるが、母校の成蹊大学で、「安藤杯」剣道大会が行なわれた。
これは剣道部顧問であった安藤英治先生が体を悪くし、剣道が出来なくなったが、せめてOB、OGが剣道をするとところだけでも見学したいとの希望で優勝杯を寄贈され、開かれるようになった内内の大会である。
先生は第1回目の大会が終わった後、少ししてお亡くなりになったが、卒業生の懇親大会ということでその後も先生の遺影を掲げて続けられ今年で8回目となる。
毎回、学園祭(欅祭)当日に開催することになっているため、学内は学生、卒業生、職員などで大変に賑わっている。

今年は東西対抗戦で試合が開始された。吉祥寺を境に東と西に分けての試合である。
私は西軍の副将で参加し、同期のI君と対戦しコテで1本勝ちを収めた。団体でも西軍が勝利し、今年の「安藤杯」を手にした。
懇親大会ということであまり勝敗にはこだわらず、その後の懇親会が目当てで集まってくるが、今年は試合後、皆で師範の青木敬汎範士八段に稽古をお願いした。

80歳近い先生であるが、先生の前に立つといつものことだが、小学生と大人との稽古のようになってしまう。
打ち込もうとすると「まだまだ」また打ち込もうとすると「まだまだ」そして「そこだ」といわれて打ち込むということの繰り返しになってしまう。
相手の右の親指から喉下を通って真直ぐ面を打ち込み、右足を相手の両足の真ん中へねじ込むつもりで飛び込んでいく。
いつも言われることだがこれが出来ない。気ばかり焦ってしまうのだ。ほんの5分で息が上がってしまう。今日もいい汗をかかせていただいた。

夜は吉祥寺で学生と共に懇親会があるが、時間が未だ少し早い。下地を作って行くかということで早めに吉祥寺へ繰り出した。


cpiblog00620 at 12:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

November 16, 2005

剣道日誌2

毎週土曜日の夜は、品川区の浜川小学校で行なわれている大井剣友会の稽古に参加している。先週も参加して10名の方々と稽古をして汗を流した。
稽古が終わった後、東京都剣道連盟が発行している「東剣連だより」が配られた。そこに書かれていた第5回剣道八段選抜大会の審判長をつとめた佐藤博信先生の戦評がとても印象に残った。
「剣道は如何にして攻め勝つかという点である。相手の攻めに対して、簡単に退いて安全な間合いになろうとするに至っては論外である。三殺法の活用を身につけて攻めに対しては攻めて勝つのが武士の誇りであり常識である。」

言われれば剣道人として当たり前のことであるが、攻めて勝つということの難しさを今日の稽古を振り返って改めて思った。

因みに剣道でいう三殺法とは、剣を殺し、技を殺し、気を殺すことによって、相手を制することをいう。
(1)剣を殺すとは、相手の剣を押さえ自由を奪い技を出せない様にすること。
(2)技を殺すとは、常に先を取り攻めたて、技を仕掛け相手の技を封じること。
(3)気を殺すとは、自分の気力で相手の気力を奪い、技も出せなくさせることによって、勝ちを制することをいう


cpiblog00620 at 17:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!