February 02, 2011

「寄付」について考える

山口県下関市の大平学園という児童養護施設に40年間に亘って「三太郎」という名前以外は不明の人物が毎月寄付と手紙を送り続けたというニュースを聞いた。
とにかく驚いたのは、その年月である。480回に亘るその長さに頭が下がった。初めは300円からの寄付であったという。6月と12月には少し多くの寄付が送られたという。
これらを考えると社会人になったばかりの若い人が、自分に出来る範囲で社会に何か貢献したい、または恩返しがしたいという気持ちがあったのだろうか。それも一時的な感情ではなく強い意志と固い決意で。

それから40年、480回もの寄付を続けた。そして総額百数十万円になったという。途中で施設の応援旗を作ったり、植樹をしたりして寄付を有効に使わせてもらったという。
新聞で感謝を伝えたり、感謝状を作って名乗り出てくるのを待ったりしたが、とうとう「三太郎」さんは現れず、480回目にこれで最後にしますという手紙を添えて寄付が終わったという。
ちょうど定年を迎えたのかもしれない。新入社員のときに始まった寄付が定年退職で終わったのかもしれない。
とても潔い引き際だと思った。そして何よりも感動したのは、最後の手紙に施設の子供たちに向けて感謝の言葉が添えられていたことだ。寄付を続けられたのも施設の子供たちが拙い手紙を読んでくれているからだったという。励ますつもりが逆に励まされたという。

最近「伊達直人」を名乗る人物が全国で寄付や贈り物をしている。どうか僅かずつでも継続をして欲しいと思う。寄付は大変崇高な行為だと思っている。英雄になるのではなく、気持ちが通じ合える関係を継続してもらいたいと願っている。
誤解しないでいただきたいが、「伊達直人」さんの行為は大変立派であり、賞賛に値すると思っている。だから、あえて継続を願いたいのだ。
継続は力であり、信頼であり、愛でもある。自分に出来る範囲の中で継続することが尊いのだと思っている。これはお金や物だけではない。労働も然りである。ボランティアなどは正しく労働の「寄付」である。

私もボランティアとして、ある団体の幹事長を31年間続けているが、最近はもうそろそろ代わって欲しいと愚痴が出だした。「三太郎」さんは40年、黙々と手紙を添えて寄付を続け、感謝の気持ちを残して潔よく引いていった。

愚痴が出るようではまだまだだ。もう少し頑張るか。


cpiblog00620 at 21:33│Comments(2)TrackBack(0)clip!こころ 

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この記事へのコメント

1. Posted by replica panerai   November 27, 2014 17:53
愚痴が出るようではまだまだだ。もう少し頑張るか。
2. Posted by Hermes Galaxy S4 Cases   January 13, 2015 15:50
どういうことですか.?

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