November 09, 2010

修行について考える

最近、修行(心や体の鍛錬)はどこでするのが一番か、いろいろと考えさせられる。
イチローはなぜあれほど野球に打ち込むのか?白鵬はなぜ土俵で無敵なのか?
彼らはどこで修行をしているのか?
深山幽谷の中か? 絶海の孤島か? 静寂と香のたかれた畳の上か? 轟音をとどろかせた滝の前か? どこで修行を積むとあれほどに成れるのか。
イチローはグランドの中で、白鵬は土俵の中でしか修行を積めない。それはそれぞれが修行の成果を出す場所でしか本当の修行は出来ないからだ。
剣聖といわれた宮本武蔵も、立会いの中で修行を積んできた。その成果を持って幾十度と戦いを制してきたのだ。

われわれはどこで修行を積むと良いのか。答えは明確である。それは日常の中でしか修行を積むことは出来ない。瞑想をするのも良いだろう、座禅を組むのも良いだろう。一人旅するのも良いかもしれない。しかし、それらは修行を積むための準備に他ならない。修行は日常の中でしか出来ないのだ。
修行の成果を出すのは、家庭であり、地域であり、職場のはずだ。だとすれば、修行は家庭や職場や地域の中でしか出来ないはずだ。

そう考えると、気持ちが楽になる。毎日の愚痴や怒りや不満などをじっとこらえていくことから修行が始まるのだ。
その修行の成果を、家庭であり、地域であり、職場で発揮できればイチローにも白鵬にも負けない哲人になれるはずだ。

大日本帝国連合艦隊総司令官 山本五十六元帥の「男の修行」という詩を改めて読み直す。

「男の修行」
苦しいこともあるだろう。
云いたいこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣きたいこともあるだろう。
これらをじっとこらえていくのが男の修行である。


cpiblog00620 at 15:53│Comments(2)TrackBack(0)clip!雑感 

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この記事へのコメント

1. Posted by fake hublot   March 17, 2015 14:25
3 えは明確である。それは日常の中でしか修行を積むことは出来な
2. Posted by rolex replica   May 09, 2015 11:50
3 たの視覚を通じてその動きを肯定することによって確認されるようになります

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