May 06, 2009

「お弁当」について考える1

18年前、長女が中学校のテニス部に入部したときから私の弁当作りが始まった。
もともと料理は好きなほうで、小学生のときから父に習って料理、特に魚料理の下拵えを行なってきた。そう、私は母親から料理を習ったことが無い。手の込んだ料理や魚料理はいつも父親が作っていた。母や祖母はもっぱら煮物料理専門であった。
父は料理人でも無く、また、料理屋で働いたことも無い。ただ無類に釣りが好きで、毎週朝早くから川や海に釣りに出かけていた。とうとう釣りの会を結成し、そこの会長を長い間務め、若い人たちに釣りを指導していた。そのため自分で釣ってきた魚をさばいて私たちに食べさせて喜んでいた。ふぐなども刺身や鍋にしてよく食べた。今思うと不安であるが、その時は自信を持って、「毒のあるところは取ってあるから大丈夫だ」といわれるとそうなんだと妙に納得して舌鼓を打ったものだ。
志願兵で中国に出兵していたので、そこでも中華料理をいろいろと学んだようである。父の不得意な料理は洋風のものである。だから子供の頃は、和食と中華がほとんどであった。
料理3
料理1
料理2
そんな父を見て育ってきたので、料理を作るのは全く苦ではない。むしろ楽しいのだ。
長女と次女が中学生のときから高校を卒業するまで弁当はよく作った。
8年前に次女が高校を卒業した後、しばらく弁当は作らなかったが、三女が今年の4月に高校に入学したため、再び弁当作りが始まった。7時に家を出るので、5時半に起きてお米を炊く。10年近く前から電気炊飯器を止め、伊賀焼きの土鍋で炊くようになった。このほうが数段美味しく炊ける。しかし、電気炊飯器のように予約が出来ないので、その分早く起きなくてはならない。また、昨年からは玄米を30キロ単位で購入し、精米から始めるようになった。その玄米は島根県の幻の仁多米(コシヒカリ)を知りあいから安く分けてもらっている。仁多米は奥出雲のブランド米で「東の魚沼、西の仁多米」と並び評されている。奥出雲の仁多米は、現在では生産者が少なく、出荷する量が僅かなため、幻と言われているのだ。

お米が炊き上がるまでに、おかずを調理する。市販の冷凍食品はほとんど使わない。すべて手作りを目指している。1週間分のメニューを考えて、下拵えをしてあるので、あまり悩むことは無い。
妻は調理補助という役割だ。また、どちらかというと子供の朝食の準備である。
三女の弁当だけでなく、最近は多いときで5人分、少ないときでも3人分の弁当を作る。折角作るのだから、皆に弁当を持たせるようになった。私ももちろんほとんど弁当である。

弁当は、健康にも愛情にもそして経済的にもいい。3拍子揃った料理である。ただ、朝が多少きつくなって来たが・・・。


cpiblog00620 at 15:19│Comments(0)TrackBack(0)clip!お弁当 

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