March 15, 2008

活版印刷について考える

絶滅したと思っていた活版印刷が再び脚光を浴びているという。当社(心力舎)は平成10年に有限会社三浦印刷所が設立した会社である。三浦印刷所は昭和24年に会社組織にしたが、その10年くらい前から個人営業で活版印刷を行なっていた。
「3丁目の夕日」ではないが、当時は地方から金のたまごといわれた中卒の労働力が東京に多く流れ込み、どの産業も活況を呈していた。活版印刷も全盛で、三浦印刷所も今では違法建築だが、木造2階建ての屋根裏を改造して3階を造り、そこに住み込みの職人さんたちを寝泊りさせていた。家族6人に住み込みさんを交えて大人数で朝食を食べ、小学校へ出かけたことを思いだす。

私が大学の頃にはオフセット印刷に押されてはいたが、まだ住み込みの職人もいて活版印刷は大手を振っていた。特に名刺やはがき、チラシなどは活版印刷が主流であった。私も午前中は活字で名刺を組み「てきん」と呼ばれる半手動式の印刷機で名刺を刷り、午後から学校へ出かけた。もちろん午前中も授業はあるが、それは「代返」(変わりに返事をしてもらう)と後でノートを借りることで凌いできた。午後からの授業は必ず出た。午前中ノートを頼んだ友人のほとんどは午後からマージャンや喫茶店に雪崩れ込んだため、午後から私がノートを取り彼らに貸したものだ。
授業が終わると部活があり、19時ごろに学校を出て、自宅に21時前に戻るという日々であった。だから学生時代に大学で遊んだという記憶がほとんどない。
活版印刷と授業と剣道の学生生活であった。

ある時「てきん」で印刷していた時のことである。ラジオの放送に気をとられて名刺の台紙を挟みこむタイミングを外してしまった。ちょうどスピードを上げていたところであった。しまったと思い手を抜いたのであるが、指の先を「てきん」に潰され爪を2本ダメにしてしまったことがある。
安全装置もついてはいたが、ちょっとしたことで止まるので効率が悪く、慣れてくるとスイッチを切ってしまう。そこで事故になるのだが、当時の職人は安全装置をつけながら印刷するのは素人だという意識が強く粋がってスイッチを切っていることが多かった。

その後活版印刷は電子化に押されほとんど姿を消した。当社も活字のほとんどを破棄してオフセットに切り替えたのだ。その時には二度と活版印刷が脚光を浴びるなどと思ってもみなかったが、今ではパソコンの文字に慣れている若い人達が、デザイン的に美しいということで活字に憧れているという。

複雑な気持ちである。しかし、活字はあくまでも興味の部類であって、工芸、趣味という分類であろう。産業としての活版印刷はすでに役目を終えて絶滅している。
昨日最後の運行を終えた夜行寝台「銀河」のようなものだ。最後だと思うと多くの人が集まり、チケットも30秒で売り切れたという。
人の興味というのは気まぐれである。活字も産業として絶滅したためにかえって今、人気なのかもしれない。


cpiblog00620 at 13:47│Comments(0)TrackBack(0)clip!雑感 

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