December 27, 2007

熊本帰省2007.淡路島へ

阿蘇からの帰り、私が昭和50年から53年まで販売を担当していた「弓削しらかわ台」という団地へ寄る。ここは分譲地として販売し、毎日阿蘇の連山を眺めながら箱番(仮設の現地案内所に当番で勤務すること)をしていた懐かしい場所である。朝の10時から夕方5時まで1人で案内所に詰めてお客さんを待っていた。東京と違いめったにお客さんは顔を見せず、毎日宅建の参考書を読み、阿蘇の山を眺めていたことを思い出した。しかし、あれから30年。すっかり街は住宅が立ち並び、土地だけの当時とは様変わりしていた。車でぐるぐる回ったが、箱番をしていた場所すら分からなくなっている。同じところを何度もまわり、辺りをきょろきょろしているので、庭いじりをしている住民が不審そうに私の車を見始めた。これはまずい。熊本ではほとんど見ることの無い品川ナンバーでこれ以上うろうろしていると通報されかねない。慌てて団地を離れる。

義母が入院している病院に着いたのは、午後5時過ぎであった。ベッドを半分しか使わなくてもすむほど小さくなった義母と1時間くらい話をして、いつもの義母の言葉で別れる。「またこりゃなんたい」。
病院を出て、健軍の湯「一休」で一風呂浴びて体を休める。夕食もここで軽く済ませていよいよ淡路島へ向かい出発する。時刻は21時30分。高速へ入り2時間もすると、眠気が襲ってくる。今日一日宮崎の伊勢が浜から高千穂峡、白川水源、阿蘇中岳とハードに動き回ったせいか、かなり疲労している。帰りは淡路島経由で東京まで1人で車を走らせる。ここで急いでも先は長い。車の後部座席をベッドにして1時間横になる。うとうとするとすぐに夢を見る。意識が高揚して熟睡は出来ない。再びハンドルを握り走り出す。宮島SAで再度横になり休むがここでもよく夢を見る。これは夢なのか、起きているのか境が不明な状態である。中国の「胡蝶の夢」を思い出した。蝶が自分なのか? 縁側で寝ているのが自分なのか?
大鳴門橋
朝8時与島PAで朝食をとり、四国を走り抜け淡路島へ入る。大鳴門橋を渡るとほっとする。やっと淡路島に着いた。うずしおがよく見えるという道の駅へ寄ってみると、妻と三女は12時前だというのに昼食をとると言い出した。そして、なんと妻は私が飲めないのを承知で海鮮丼に地ビールを注文し始めた。私は疲労で食欲がない。三女のたこ焼きチャーハンを一口もらい呆然と海を見つめていた。
よーし今日の夜は地酒を浴びるほど呑んでやる。


cpiblog00620 at 21:39│Comments(1)TrackBack(0)clip!熊本 

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by breitling replica sale   April 02, 2015 16:43
いつもの義母の言葉で別れる。「またこりゃなんたい」。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔