December 20, 2007

「覚悟」について考える

前回のブログで覚悟という言葉を使った後、5年前の夏を思い出した。残暑が厳しい9月4日のことである。今でも鮮明に覚えている。このときは思わず近くのベンチで一気に感情を手帳に書きとめたからだ。

この日は乃木坂で打ち合わせがあり、思いのほか早く終わったので、次の打ち合わせまで1時間くらい時間が空いた。そこで近くの乃木神社にお参りに行った。久しぶりであった。いつもは神社にお参りしてそのまま帰るのであるが、この日は時間があったので、神社の境内をぶらぶらした。朝顔の鉢がたくさん並んでいるその隣に資料館があり何気なく入った。入場無料と書いてあったからである。資料館といっても狭い部屋である。

陸軍大将乃木希典と静子夫人の資料が展示してある。クーラーが効いていたので、ほっとしていろいろ資料を見てまわった。よくある歴史上の人物の資料展示である。しかし、あるところで釘付けになってしまった。大正元年9月13日、殉死をする日の朝に撮ったという写真の前である。明治天皇崩御の後、大葬の日の朝である。乃木大将64歳、静子夫人54歳である。
その写真に写っている二人はとても落ち着いていた。乃木大将は居間の椅子に座って新聞を読んでいる。静子夫人は後ろに立ってこちらを向いている。何事もない普通の朝の風景である。違うのは二人とも正装であるということだ。
乃木大将の求めに応じて執事が撮ったという。この写真からは覚悟を決めた後の清清しさを感じる。全く自然の姿である。
もう一枚は乃木大将が正装で立っている写真である。これも堂々として少しも臆するところが無い。

死の朝、これほどまでに自然でいられるだろうか? 覚悟の深さがその写真から伝わってくる。私は「心の中へ・・・冒険の旅」という本の中で自殺を考えている子ども達に自殺は弱い人のすることだ。逃げている人達のすることだ。と、言ってきた。もちろん今でもその気持ちに変わりはないが、二人の覚悟を目の前にすると、あなた達は弱い人間だと簡単には言葉に出せない。薄っぺらな自殺否定論など吹き飛ばされてしまう。「どうだ、私達の殉死に何か言うことがあるか」と見つめられてしまうと足が竦んでしまう。

遺書も読んだ。遺書を書いていた時には、乃木大将は1人で死ぬつもりであったらしい。自分の死後、静子夫人のことを心配していろいろと書いてある。しかし、二人は9月13日殉死している。
この夫婦はいつから覚悟を決めたのだろうか? 乃木大将は軍旗喪失の西南戦争後からいつ死ぬかを探していたようだと何かの本で読んだことがある。しかし、静子夫人はいつからだろう? 突然その日に覚悟を決めたのではないだろう。
明治天皇が崩御した後、夫が殉死するだろうと予期していたに違いない。だが、それを表に出さず乃木大将から当日打ち明けられた時、この時だ、と覚悟したに違いない。この日の朝、二人はどんな気持ちであったろう。
覚悟をしながら生きていくというのは大変難しいものだ。時間が経つにしたがってどうしても心が揺らいでしまうものだ。ところがどうだ、この二人の覚悟には。鳥肌が立ってしまった。そして、この夫婦の覚悟の前には何も言えなくなった。
私がこの夫婦以上の覚悟を持って自殺を止める勇気を持つまでは。 とても大きな宿題をもらった。そして「覚悟」も無く言うことの薄っぺらさを1枚の写真から思い知らされた。
あれから5年、大きな宿題を背負ったままである。


cpiblog00620 at 21:44│Comments(1)TrackBack(0)clip!こころ 

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この記事へのコメント

1. Posted by 高橋清文   December 22, 2007 05:58
5 おはようございます。

武士道の覚悟、千利休、吉田松陰、原敬、新渡戸稲造等はまさに覚悟のできた人たちの死ではなかったでしょうか。さまざまな死の覚悟は、武士道の死に見習いたいですね。全身全霊の上で、ミッションを果す。

そうありたいと思います。

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