October 28, 2006

たまには「浜離宮」

浜離宮2
10月は休日が忙しく9日(月)だけしか休めなかった。
その9日に10数年ぶりに「浜離宮」(正式には「浜離宮恩師庭園」)へ散歩に出かけた。JR浜松町駅から歩いて約15分。天気がいいのでゆっくり歩いた。目の前は汐溜シオサイトで巨大なビル群が聳えているが、「浜離宮」の中に入ると別世界である。ここが東京の真中とはとても思えない。
子どもの頃によく「芝離宮」、「浜離宮」は遊びに行った。小さい釣竿と虫取り網そしてバケツを持って。もちろん今では釣りは禁止である。

「浜離宮」の面積はリーフレットによると250,215.72屬箸いΔら75,800坪、言い換えればタタミ15万畳以上である。私は以前不動産業の会社に勤務していたので、坪数で表現するとイメージが湧くが普通の人は何かに例えると解りやすいようである。
浜離宮3
「浜離宮」の特徴は海水を引き入れ、潮の干満によって趣を変える風情ある潮入の池があることである。また、潮入り池の岸から小の字島と中島を結ぶ延長118mもある総檜造りの橋も見どころだ。この橋は平成9年に架け替えられたという。
三百年の松や鴨場、中島の御茶屋にボタン園とお花畑、新樋の口山などをゆっくり散策すると東京にいることをすっかり忘れさせてくれる。
ここは穴場だ。あまりに近すぎて忘れていたが、会社からは自転車で15分もあればいけるところである。たまには「浜離宮」で歩きながら企画を練ってみるといい案が浮ぶかもしれない。東京も雑踏とビル群だけではないことを再認識した。

「浜離宮」を出て「築地」へ歩いていく築地までほんの5〜6分である。寿司でもつまんでビールを飲もうという魂胆であったが、何と午後2時を過ぎているというのにどこの寿司屋も長蛇の列である。休日で築地市場が休みのため「浜離宮」の余韻を残してゆっくりビールをと思っていたのが、東京の雑踏にあっという間に引き戻されてしまった。


「浜離宮」
江戸時代には江戸城の「出城」としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園です。
1654年徳川将軍家の鷹狩り場、四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てました。その後綱重の子、綱豊(家宣)が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり「浜御殿」と呼ばれるようになりました。以来、歴代将軍によって幾度かの造園と改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉の時代にほぼ現在の姿の庭園が完成しました。維新後は皇室の離宮となり、名称を「浜離宮」と変えました。関東大震災や戦災によって御茶屋など数々の建造物や樹木が損傷し、往時の面影はなくなりましたが、昭和20年11月3日東京とに下賜され整備の後に昭和21年4月から公開されました。


cpiblog00620 at 13:10│Comments(1)TrackBack(0)clip!ぶらっと 

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この記事へのコメント

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