August 30, 2006

交通安全について考える

8月25日、福岡で大変痛ましい事故が起きた。22歳の若者が飲酒運転で追突し、追突された車がガードパイプを突き破り下の海に転落して、幼い兄弟3人が死亡したのだ。運転していた若者は19歳の同乗者と直前まで飲酒をしていたという。
事故のあった海ノ中道大橋は志賀島へ渡る橋である。志賀島へは30年前福岡で働いていた時によく行ったことがある。美しい景色だったことを思い出す。
そんな島へ繋がる橋で大惨事が起き、一度に3人の子どもを失った両親の悲しみははかり知れない。
川崎大師
福岡の事故があったからというわけではないが、8月27日の日曜日、川崎大師の自動車交通安全祈祷殿へ車の御祓いに行ってきた。7月に10年間乗ったボンゴフレンディーからアルファードに乗り換えたためだ。
御祓いを受けるだけで事故を起こさないとは露ほどにも思っていないが、私は車を乗り換えるたびに必ず御祓いに行く。私は車を乗り変えたという1つの区切りにいつも改めて交通安全を誓おうと家族で御祓いをしてもらいにいく。
御祓いを受けながら、新しくコンビを組む車と一緒に交通安全を誓い、事故を起こさず、また、事故に巻き込まれないようにしようと約束をする。
だから、車が故障したり、パンクをしたりすると事故に巻き込まれないように相棒の車が時間をずらしてくれたのだと思うようになった。また、車に乗るときは必ず今日も頼むぞと声をかけるようにしている。私は良く車に話しかけるので、知らない人が聞いているとちょっとおかしいと思うだろう。しかし、話しかけると不思議に車は調子がいい。

よく神社やお寺に行くと100円、500円のお賽銭を入れてあれもお願いします、これもお願いしますとやたらとお願いばかりして手を合せる人がいるが、勘違いもはなはだしいと思ってしまう。「神仏は頼むにあらず、敬うもの」と宮本武蔵も言っている。神仏は頼のまれても何もすることはできない、見守るだけである。頼む人の心は消極的になっているから願いが叶う訳が無い。神仏に手を合せる時は、こうしますので見守っていてください。お陰さまでこうなりました。と言うように積極的な気持ちで手を合せると願っていることが叶うものだと信じている。
ナポレオン・ヒル、中村天風という東西の傑物が思考は現実化すると口をそろえて言っている。積極的な思考も、消極的な思考も現実化するのだ。だから積極的な思考をしていかないと道は開けない。

御祓いの後、頂いたお札を入れている封筒の裏に次のようなことが書いてあった。
「あなたの心のままに、自動車は走ります。あなたの気持ち次第で、ハンドルは微妙に動きます。後略」車を運転するのは人である。ひとりひとりが交通安全を誓うことで事故は激減するはずである。
福岡の事故のニュースを聞き改めて交通安全の大切さを噛みしめた。



cpiblog00620 at 19:53│Comments(0)TrackBack(0)clip!雑感 

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