March 05, 2006

見舞いについて考える

土曜日に妻と群馬県前橋市の群馬大学医学部付属病院に入院しているA君を見舞いに行ってきた。
彼は大学の剣道部の後輩で、妙義山近くで旅館を経営しながら地元で剣道の指導をしている。剣道に対して大変熱心で教えられることが多い後輩でもある。
毎月一度、全日本剣道連盟の稽古会に群馬県から参加して八段の先生方に稽古をお願いしていた。これらの稽古内容を自身のホームページでも詳しく語っていた。昨年の11月には七段の審査にも挑戦した。このときは合格には至らなかったが、これから挑戦が始まりますと元気に語っていたのだが・・・。

1月の後半に突然足がしびれて動けなくなり、緊急入院して手術を受けたのだという。病名は肉腫。それが脊椎に転移して下半身の機能を麻痺させているのだと本人から聞いた。100万人に一人の確立だということも言っていた。

一ヶ月以上点滴だけだというが、相変わらず冗談を言い合いながら話をした。手も握ったが力もあった。そのとき時間はかかるだろうが、必ず退院してくると確信した。病気や運命を変えるのは心の力だからだ。気力が萎えていない限り寿命をまっとうできる。彼も「心力歌」を知っているので心に力があることは承知している。きっと病気を克服すると信じている。

見舞いは励ましの言葉をかけるより、聞き役にまわったほうがいい。私もけがで何度か入院したが、入院していると愚痴をこぼしたくなる。それを見舞いに来て慰めや、励ましの言葉をかけられると愚痴がいいづらくなる。そして見舞いに来てくれた人が帰ると愚痴がまた一つ大きくなってしまう。入院患者はそれを家族にぶつけてわがままになっていくのだと思う。
愚痴はたあいも無いものが多い。言えば気がすむのだ。ついつい見舞いに行くと励ましたくなるが、いろいろと話を聞いてあげるのが一番の見舞いかもしれない。そして、病気やけがと関係ない話をすることで気がまぎれてくる。

来週、九州からA君の同期の仲間が見舞いに来るというので、また一緒に見舞いに行く予定である。
今週よりきっと元気になっているはずだ。


cpiblog00620 at 09:58│Comments(0)TrackBack(0)clip!雑感 

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