January 14, 2006

佐渡ヶ島へ1

佐渡ヶ島1
佐渡ヶ島へは昔から一度行ってみたかった。新潟方面へは学生時代から何度も足を運んでいたが、佐渡ヶ島へはまだ渡ったことがありませんでした。
黄金の島、流人の島、朱鷺の島、佐渡へ。この思いがとみに強くなったのは、北朝鮮に拉致された曽我ひとみさんが平成14年に戻ってきてからです。

曽我ひとみさんは、母親と買い物途中に拉致され、いまだ母親のミヨシさんは行方不明になっています。 まだ夫のジェンキンス氏や娘さんたちが日本へ戻る前の平成14年12月30日の新聞に母親への思いを便箋3枚に綴った文章が掲載されました。
ちょうど母親の71歳の誕生日(12月28日)に記者会見で読み上げた文章です。そこにはいまだに会えぬ母親への思い出が熱く書かれていて強く胸を打たれました。その中の一節は何度読んでも感激させられます。

新聞記事から引用
前略。
これは私とお母さん2人しか今まで知らない話です。小学校6年生の頃だったと思います。友達が学校で新しいセーターを着ているのを見せてくれました。本当にすてきでうらやましいと思いました。私も1つ新しいセーターがあったらいいなと思いながらもお母さんに買ってくれとは言えませんでした。
その時、頭に浮んだのがたんすの中にあった少しのお金でした。そのお金をお母さんに言わずにこっそり持っていって新しいセーターを買ってしまいました。
その日の夜、仕事から帰ってきたお母さんが新しいセーターを見せてくれと言うのでした。
私はその時、知らないと思っていたのにびっくりしながらお金を黙って持っていったことで本当に怒られると思い、心配しました。だけどお母さんは一言も怒りませんでした。
涙を流しながら、「母ちゃんが新しい服をこうてやれんもんだし、ひとみがセーターをひとつこうてきたんだな」と言われたとき、大声で怒られるより、もっともっと本当に馬鹿で悪いことをしたな思い、私も泣きながら「ごめんね。これから絶対、こんなことしんし許してな」と心から謝りました。
こんなお母さんでした。
後略。

これを読んだ後、私は曽我ひとみさんに手紙を書いて送りました。会ってお話をもっと聞きたいと思ったからです。
もちろん本人の住所は教えてもらえませんでしたので、真野町役場にある真野町帰国家族支援室宛に送りました。

そんな思いもあって、あれから佐渡へ行って見たいという気持ちが強くなったのです。
そして、1月8日いよいよ佐渡ヶ島へ。


cpiblog00620 at 22:58│Comments(0)TrackBack(0)clip!旅行記 

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