April 28, 2005

「恩師との交流」について考える


私が小学校や中学校の恩師と交流があるというと、とても不思議がる人たちが多い。それもただ年賀状や挨拶状のやり取りではなく、御自宅へお伺いしてお酒を飲んだり、外で一緒に食事をしたり、時にはミュージカルなどを見に行くというと殆どの人が「えーー」という。それも一人や二人の恩師ではないと知るとそれこそ呆れ返る。

小学校時代の恩師で昨年亡くなったN先生の御自宅にはたびたびお伺いして奥様の料理を肴に酒を飲み、何時間も今の教育を熱く語った。先生が趣味で始めた水墨画の個展にも何度か招待をしてもらった。
剣道の道場に通っていた時の恩師のS先生とはいまだに剣を交えて時々飲む。S先生は私の父とも剣を交えており、また、小学生の娘もS先生から私と同じように御指導いただいている。親子三代正しく交剣知愛である。
中学高校時代のO先生宅は会社が近いこともありよくお伺いする。先月は先生の教え子で、私の後輩でもあるY君が主役を務めるミュージカル「レ・ミゼラブル」にO先生をお誘いし、一緒に楽屋を訪問した。お酒もいろいろな会でご一緒してよく飲む。また、先生の教員時代の思い出を1冊の書籍にまとめてもらおうと、同級生でお願いして完成したのは一昨年のことだ。
足を悪くした大学時代の恩師A先生とは電話でよくお話をした。1時間も話をして妻にあきれられたこともある。A先生は7年前に亡くなられたが、その1週前、御自宅にお伺いして近くのレストランで御馳走になったばかりだったので、本当にびっくりして駆けつけた。また、今でも現役の教授としてお忙しいT先生とは手紙のやり取りを続け、機会を見つけてお会いしている。
大学を卒業したあと、熊本でお会いした剣道のS先生には独身時代ずいぶんお世話になり、台湾、香港の遠征にも同行させてもらった。熊本に帰った時にはよく道場を訪ね、昔の話に花を咲かせている。昨年、試合のため道場の子供たちを連れて上京した時には、どうしてもお会いしたくなり、日本武道館に押しかけて一緒に応援をした。その夜、妻や子供にも会ってもらいたく宿舎を訪ねたが、道場の子供たちを連れて夜のディズニーランドへ行った後で、お会いできなかったのはとても残念であった。

このように、私は今でも恩師と深い交流を持てていることをとても誇りに思っている。そして、感謝の念をずっと持ち続けられるこれほど多くの恩師にめぐり合えた自分はとても幸せである。

今の教師がどうだこうだと言うのはここでは避けたい。どんな時代でも素晴らしい教師のほうがきっと多いはずだし、一生恩師と交流を持てる子供たちもたくさん育つはずだからである。

私の恩師との交流を不思議がる人たちに聞きたいのは、何故交流が続かなかったのか?
尊敬や感謝のできる恩師にずっとめぐり合えなかったのか?
それとも心から幸せに感じる努力を自らしなかったのか?

少し難しくなってきたが、明日から頭を休めに桜を追いかけに行くぞ。
秋田や青森は桜が咲いているだろうか?


cpiblog00620 at 20:55│Comments(0)TrackBack(0)clip!雑感 

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