March 05, 2005

京都----心柱について考える

e638d962.JPG「心柱」(しんばしら)聞きなれない名前です。

東寺の五重塔の真ん中には、心柱が聳え立っています。
五重塔と言いますが、この塔は私たちが考えている5階建てという構造の塔ではないようです。1階建てが5つ重なっているといった方がいい構造です。
東寺のリーフレットには次のように書いてあります。

「五重塔の塔身が各層ごとに、軸部・組み物・軒を組み上げ、これを最上部まで繰り返す積み上げ構造になっていて、木材同士も切り組や単純な釘打ち程度で、緊結されていない柔構造である。だから4度も焼失したが、地震で倒壊したという記録は残っていない。地震のエネルギーは接合部で吸収され、上層へ伝わるにつれて弱くなるとともに下と上の層が互い違いに振動することになる。柱も各層で短いため、倒れようとする力よりは元に戻ろうとする復元力の方が多きいため地震に強い」
少し難しいですが、要するに1階建てが5つ重なっていると理解すればいいでしょう。

私たちは初層(1階部分)内部を拝観させていただいたが、心柱は中央にあり5階まで聳え立っている。建物の構造には全く関係なく独立して立っています。
普通われわれは建物の中心となる柱というと大黒柱を思い浮かべ、建物の構造上大切な柱と思いがちですが、この心柱は構造には全く関係ない独立した柱です。
これが無くても構造上何も問題はありません。むしろこんな事があったくらいです。
長い年月により多くの部材で積み上げられた塔身は乾燥で収縮しますが、独立した心柱は収縮しないため、心柱は屋根を突き上げてしまい1692年に約50センチメートル下を切り下げたといいます。
うーん恐るべし「心柱」。

初層内部は心柱を大日如来に見立てその周囲の須弥壇(しゅみだん)上に阿閦(あしゅく)如来、宝生(ほうしょう)如来、阿弥陀(あみだ)如来、不空成就(ふくうじょうじゅ)如来の金剛界四仏と八大菩薩を安置しています。そして、四面どこからでも正面になるような造りになっているのです。
初層内部に入って感じるのは、建物の構造には関係ないとはいえ、塔を支えているのは紛れも無くこの心柱であるということです。そして、塔の心臓であり、頭脳であり、精神であるかのようです。
そうだ。心柱があってこその国宝なのだ。

私たちもこの心柱のような存在になりたいものです。
自ら進んで他に影響を与えないが、聳え立っているだけで人が集まり、心のよりどころにする。そんな大きな存在になりたいものだと思いながら五重塔を後にして、東寺観智院の門をくぐった。

ここでは国宝に指定されている客殿の床の間に描かれた、宮本武蔵の「鷲の図」を期待していました。二羽の荒鷲が今にも飛びかからんとする絵で、鋭い筆致は他の追随を許さないとの触れ込みであったからです。しかし、経年変化のために目を凝らして見ても説明を聞かないとどこが鷲の目か爪か判別がつきづらかったのは残念でした。
ここは年配のボランティアの方に説明してもらったのですが、院内を案内してもらいながら保存に必要な資金が国からも府や市からも十分にでないと嘆かれました。
京都はいたるところで拝観料がかかります。それも結構な金額の拝観料です。
しかし、ボランティアの方の嘆きを聞くと国宝を公開しながら保存していくには、われわれ国民が応分に負担をしていかなければ、「国の宝」として残していくことは難しいのだと感じさせられました。

観智院を出ると、さて、そろそろ腹が減ってきたぞ。
昼食は京都でイタリアンだ。

ということで、次回は「京都-----町屋でイタリアン」と題して書いていきます。


cpiblog00620 at 12:29│Comments(0)TrackBack(0)clip!京都 

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